秋本吉徳 のバックアップ(No.4)
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- 秋本吉徳 へ行く。
- 1 (2021-03-24 (水) 04:24:36)
- 2 (2021-03-25 (木) 10:48:16)
- 3 (2021-04-02 (金) 10:11:55)
- 4 (2021-04-10 (土) 04:50:03)
- 5 (2021-05-05 (水) 03:08:32)
秋本吉徳*1(あきもと よしのり)は、国文学者。清泉女子大学名誉教授。駿台予備学校古文科講師。横浜校,藤沢校に出講。
経歴
- 1947年10月、奈良県生まれ。
- 奈良女子大学文学部附属高等学校*2卒業。
- 京都大学工学部建築学科中退。
- 静岡大学人文学部国文学科卒業。
- 東京大学大学院人文科学研究科修士課程(国語国文学専攻)修了。
- 文学修士(東京大学)。
- 東京大学大学院人文科学研究科博士課程(国語国文学専攻)単位取得満期退学。
- 元 清泉女子大学文学部日本語日本文学科・清泉女子大学大学院言語文化専攻教授。
- 2018年3月で定年。
- 専門は古事記・風土記など日本古代文学及び日本芸能史。
- 清泉女子大学名誉教授。
授業
- 関谷浩師と並ぶ駿台古文科の重鎮だが、授業内容は対照的。
- 一言で言うと、基礎を身につけた学生が記述力・応用力を二次レベルまで伸ばすための授業をする。基礎的な事項から懇切丁寧に教えるタイプでは無いので、古文が苦手な人にはチンプンカンプンな授業となりやすい。
- が、下記にもある通り参考書や単語帳の類のものを完全に否定している。苦手な人は相談しよう。基本的に快く受け入れてくれる。
- 時に授業が高度といわれるのは、文法にあまり時間をさかないからだろう。関谷師のような、文法を1から10まで体系的に、順を追って説明するようなタイプではない。「原文のまま」読解して文脈を掴む事を重視する。
- ただし、説明にあまり時間を割かないだけで、現代語訳や解釈の際は徹底的な文法理解を求める。
- 「アンケートに『秋本が文法を知ってるとは思わなかった』と書いてあった。知ってます」
- テスト演習ではある一個の助動詞に気付けるか否かで本文全体の人物設定が狂いかねない問題を出すことも。文法を疎かにしていいという訳では決してない。
- このとき、青本などの模範解答を参照しながら時に不備や誤訳を指摘することもある。
- それなりに好き嫌いが分かれる授業である。師独特の読解法や学習法を所詮年配講師の言ってる事だと見做して我流に走る人や、単純に授業内容が難しいからという理由で逃げるように授業を切る人も多い。「嫌い」というよりは「ついていけない」人が続出すると言った方が良いだろう。
- しかし師が長年駿台で教鞭を取ってきたベテラン講師であるのは言うまでもなく、師の言う方法にきちんと従ってやるようにすればかなりの実力がつくのは確かである。求められる水準や敷居が高いのも事実ではあるが、第一志望に受かりたいならきちんと食らいつく努力をしよう。どうしても授業内容について行けないのなら質問に行けば丁寧に対応して下さる。
- 極めて延長が多い。ほぼ毎回延長する。と言っても15〜30分程度であるが。
- 首にかけるタイプのマイクを使用している。
- よく休み時間中マイクの電源を切るのを忘れ、講師室の会話が教室中に丸聞こえでラジオのように響き渡りことがある
- 聞こえてきたのは
3号館の愚痴のときもあった
- 聞こえてきたのは
- よく休み時間中マイクの電源を切るのを忘れ、講師室の会話が教室中に丸聞こえでラジオのように響き渡りことがある
- 板書はとても綺麗で、内容もかなりまとまっている。
性格に似合わず大変美しいくずし字を書く。ここまで綺麗な字を書く講師はいないと思えるほどである。ちなみに、書道は地元の文化勲章受章者の先生から習ったそうだ。1ヶ月程度ですぐ上達し、何度か賞も貰ったんだとか。- また、そこで悪事を働きすぎたあまり、小学校高学年(恐らく小6?わかる人は訂正を)のときに書道の先生(文化勲章受章者)に「お前はもう手に負えない」と言われたそうだ。
さすがヤクザは昔からやることが違う - ただ、文字は小さめで筆圧も薄いので後ろの席からは見えづらいことがある。しかも板書は話が脱線した部分も分けずにそのまま続けて書き、そのあとでその部分だけを消してから続きを書くことがある。ちゃんと流れを追いましょう。
- また、そこで悪事を働きすぎたあまり、小学校高学年(恐らく小6?わかる人は訂正を)のときに書道の先生(文化勲章受章者)に「お前はもう手に負えない」と言われたそうだ。
- 板書は早い上に口頭説明ですませる部分も多いので聞き逃しなどに注意。情報量の多い授業である。
- たまに教壇周辺の生徒を当てる。
- ただし、分からなくても怒られることはあまり無く(簡単な品詞分解で答えられないと咎めることがあるなど皆無ではない)、問題の難易度によっては上手い誘導で答えに導いてくださることもある。
- 例外として、師の前で「分かりません」と答えるのは厳禁である。考えることを放棄している姿勢が嫌らしく、場合によってはかなり怒られる。分からなくても分からないなりに考える姿勢は見せるべきだろう。なお、答えが分からず、黙り込んでしまったとしても怒られることはまずない。(怒られた場合は後述)
- 助動詞の意味を訊かれて少し考え「分かりません」と答えた生徒に激怒し、授業を中断して教室から出ていってしまった事がある。間違っていても何か答えたほうが良いと思われる。怒らせたいときは分かりませんを連発しよう。(ちなみに「告げ給へり」の「り」の意味を聞かれた。答えは完了の「り」)
- 尤も、その生徒は最前列に座っていたのにテキストもノートも出さず当てても「分かりません」と答え、 怒った師が出ていくよう命じると「すみません」と答えたから腹が立って出て行ったと師は話している。それが本当なら師が怒るのも無理ない。
- 「昔叱った生徒のことと記憶を取り違えているのでは」という意見もある。
- また、日本史選択が大宰府の設立時期について聞かれて分かりませんと答えても全く怒らなかった事もある。古文事項の質問ではないからだろうか。
- 師は基本的に短気であり、同時にかなり気難しい人柄でもあるので、(師の授業に限らないが)授業態度や返答にはかなり気をつけるべきである。
というか駿台の講師で気難しくない講師の方が少数派ではなかろうか。師は口は悪いが、普段見せる表情や口調は温厚な人柄が出ており、なんだかんだ生徒思いの先生である。
- 現代語訳の添削を受け付けている。
- 質問をしても「常識だ」として返されることもある。
- 本文、現代語訳、本文・・・というように書いていき、本文にどうしてそこに補いをしたのかという根拠を添えて主語などの補いを徹底的に行い、現代語訳にもその補いを反映させるのがルールである
- 本文はまずテキスト通りに書き、その本文に補いを横から追加して書くやり方でやるとよい。
- 悪いところには×印がついて添削が返ってくるが、×印が重なれば重なるほど、ひどいミスであるということである。
- 2重に×印が重なっているところはひどいところで3重に×印が重なっているところは
代ゼミ以下の最悪のミスであるという。もしそれらが添削用紙にあるならば、すぐに用紙を持って師の元へ来るよう言っている。
- 2重に×印が重なっているところはひどいところで3重に×印が重なっているところは
- 1単元丸ごと出したいのであれば、ホッチキスでとめて何枚でも出してもよい。
- 高卒クラスでペアを組んでいることもある松井誠師のものとは全く異質なものであるため、同時に受けている人は同じように書かないよう注意しよう。
- 本文、現代語訳、本文・・・というように書いていき、本文にどうしてそこに補いをしたのかという根拠を添えて主語などの補いを徹底的に行い、現代語訳にもその補いを反映させるのがルールである
- 辞書を最重要視しており、辞書を「引く」のではなく1番最初の項から最後まで全部「読む」ことを推奨している。「読む」ことを何周も繰り返すことで単語力は仕上がると主張している。通期の授業でも夏期講習でも、必ず辞書の使い方について詳しい説明をされる。また、便覧も重視しており古典常識や文学史のために使うように推奨する。
- 古文の作者が生きた時代の物の考え方や常識を知らなければ古文は理解できないという考えらしい。古文常識の知識はセンター対策にも繋がるとか。
- 一方、市販の単語帳や文法書などに対して否定的である。
- 「単語帳なんてものは今すぐ捨てて下さい。そんなもん使って学習しても受かる保証はできません」
- 「単語帳なんてものを使ってたら落ちます」
- 「お前ら帰りちゃんと神田川に単語帳流して帰れよ?」
もちろん単語帳を使わなかった所で受かる保証がされる訳でもないのだが。- 前後の文脈と関連付けて単語を覚えるというプロセスを排除してしまっているという点や、古文単語と現代語を1体1で機械的に対応させて暗記すると文脈によって適切な訳語が変わる場合に対応できなくなってしまうという点で、単語帳を嫌っているらしい。
- ただ、上記の単語を調べて覚える手法をこなしつつ、単語帳を同時並行で使う人もいる。講師の言う事をどこまで取り入れるかは自分次第である。
- 「風呂で覚えるシリーズ」を酷評している。
- そんな師が現在唯一?勧めるのは高橋正治師の『古文読解教則本』。
- かつては、稲村徳『古文重要語の研究』(有精堂出版)*3、小西甚一『古文研究法』(洛陽社)、同『古文の読解』(旺文社)*4、宮腰賢『古文の基礎』(旺文社)、桑原岩雄・関谷浩『大学受験必修 古文入門』(駿台文庫)、桑原岩雄『古文要説I 日記文学編』(駿台文庫)も勧めていた。
- 関東の京大対策講座は秋本師の独
裁壇場であり、長年担当している。
担当授業
通期
春期講習
- 古文特講(お茶の水校、横浜校)
- 東大国語?(横浜校)
冬期講習
- 古文特講(お茶の水校、横浜校、藤沢校、オンデマンド)
- 東大・京大合格への古文(横浜校)
- 京大古文演習(横浜校)
- 高2古文特講(横浜校)
直前講習
直前Ⅰ期
- 古文FA-センター正答選びのテクニック-(オンデマンド、お茶の水校、横浜校、藤沢校)
直前Ⅱ期
- 京大プレ古文演習(横浜校)
- 難関国公立大プレ古文演習(横浜校)
人物
- 国文学者(日本古代文学・芸能史)。
- 横浜市在住。
- 関谷師と並び称される駿台古文科の重鎮。
通称悪い方の駿台古文科の重鎮。- もっとも、現在は高齢で担当コマ数も多くなく、オンデマンド・サテネット講座の担当や学習参考書の執筆もないので、あまり知名度は高くない。
- 最近は「そろそろ若い者に後を譲ろうと思っている」(2019年度夏期講習)といい、事実2019年度からは師のオリジナル講座がCORE講座に変更され、下屋敷雅暁師と分担して担当するようになった。
- 2020年度から、長年担当していたお茶の水校京大コースの担当を降りた。後任は松井誠師と松本裕喜師。
- 御歳七十を越える駿台の最古参講師の一人で、ほとんどのベテラン講師と交流を持つ。
- 師のことを呼び捨てにできるのは同じく古文科の重鎮である関谷浩師と物理科の山本義隆師だけである。「おい、秋本!」と呼んで席を譲るらしい。年賀状も送り合う仲で、山本師が平安時代の文献を読む際は師を頼ってくるとか。
- 逆に先日山本師の話をされた時は「物理の山本先生」と仰っていた。
- これまでは山本師が本を出版する度に献本してくれたそうだが、遂にくれなくなった。珍しく葉書が届いたと思ったら『新しい本を出した。買え。』と書いてあったそう。
- 二戸師のことを「二戸君」、関谷師のことを「関谷はん」と仰っていた。他の先生はほぼ呼び捨て。雲師も呼び捨て。久山道彦師ですら呼び捨てにする。
- 関谷師のことは「関谷」「関谷くん」「あの相撲取りみたいな奴」と呼ぶ事もあり、かなりバリエーションに富んでいる。
- 現代文科の二戸師と仲が良い。以前は直前講習「国語融合問題演習」を二人で教壇に立って教えていた。その際、二戸師が寝坊か二日酔いで来なかったため秋本師が結局、現代文部分を解説したというエピソードで有名。
- 同じ大学教授という肩書のためか久山師とも仲が良さそうである。良く一緒にエレベーターに乗っている。久山師が2歳の息子に靴の中に履くのになぜ靴下というのかと尋ねられた際、一週間調べても理由がわからず最後に頼ったのが秋本師であったとのこと(下というのは古語で表に現れていないという意味だからが答え)。
- 師のことを呼び捨てにできるのは同じく古文科の重鎮である関谷浩師と物理科の山本義隆師だけである。「おい、秋本!」と呼んで席を譲るらしい。年賀状も送り合う仲で、山本師が平安時代の文献を読む際は師を頼ってくるとか。
- 国立大学になにかしらのこだわりがあるようである。
- 京大クラスでは「京大コースにいるなら早慶は絶対に受けるな、受けるなら早慶コースに行ってくれ」という旨の発言をたびたびしている。
- 東大や京大のコースの生徒に対しては私大関連の進学相談は早慶であっても取り合ってくれない場合がある。授業で「そんな話をしに来るくらいならこのクラスから出て行け」とまで言い放ったこともあるが、それだけ国公立大志望者への思い入れが強いのであろう。
- 早慶と国立大学の問題はかけ離れており早慶を受けてもタメにならないからである。日程的にも2月の直前期は京大に集中するべき時期である。下記のように私大を卑下している節もあるが、最終的な目標はあくまで京大であり、早慶ではないのである。
- 志望学部の研究内容にもよるが、文系であればセンター利用で早稲田を取ることを勧めることも多い。
思い通りに取れる人は少ないが。 - なお、この発言を遵守する生徒はほぼ皆無で、早稲田のセンター利用に失敗して結局一般入試を受けることになる。生徒からすれば京大しか受けないという大きな賭けはしたくなく、京大に落ちて二浪するよりかは早慶を確保して一浪で終わらせたい、という心理が働くからである。
- 師は時々「早慶からではまともな研究者のルートには入れない」と語るものの、分野にもよるが実際は早慶出身でも活躍されている研究者は数多くいる。早慶にも真面目な学生はいるし、国立大学にも不真面目な学生はいるので、結局は本人の努力次第と言うべきだろう。
- 師の個人的な早慶嫌いによるバイアスがかかった発言と見た方が無難か。
- 志望学部の研究内容にもよるが、文系であればセンター利用で早稲田を取ることを勧めることも多い。
- スーパー早慶上智大文系クラスの授業では東京外大などの私大専願でも受けられる国立大学に入ることをたびたび推してくる。
- 「早慶の門をくぐってみ、あの敗北感はなかなかやで」
- 行きつけの病院が日吉にあるらしく、下車する度に
頭の空っぽな慶大生の話を聞いて苛立つらしい。「何が今日はどこで飲むぅ?や。ISに頼んで全員殺すぞ」
- 横浜校のスーパー国公立大医系コースでも、初回授業で「私大医学部は厳禁や」とおっしゃった。
- 本人曰くやりたい事が静岡大と岡山大のみでしか出来なかったため、京都から離れた静岡大を選んだ。
- 駿台サテネット21オ開始初期に授業を担当していた。
- 目の前に生徒がいないので現場にいる人たちを笑わせたりしているうちに、収録内容のほとんどが代ゼミの誹謗中傷になったため辞めさせられたと、冗談でいっている。
- 駿台サテネット21では常にスタジオ中が笑いに包まれ、カメラマンまでもが笑ってしまい、上手く師のことを撮影することができず、翌日クビにされたのだと本人は言う。
- 授業のない空き時間に頻繁に外出するため、質問したくても講師室にいないことがある。
- ズボンのベルトをつけずに授業をしている。
- 現在の古文科の中心である上野一孝師を全く信頼していない。
- 上野師本人だけでなく、その監修物も嫌いらしい。古文Ⅰαに至っては持ち歩くのも嫌で、扱う文章と問題をまとめたオリジナルテキストを師だけ使っている。古文Ⅰαの問題の形式なども批判しているのは言うまでもない。
- そのため、初回の授業では必ず「もう片方の先生はホットいて 誰だか知らんけど。」とまで言い張る。
- 問題も東大京大対策には不足であるとして度々改変・補充を行う。
- 例年京大クラスでは後期からは教材の本文だけを扱った演習授業に切り替えられる。
- 上野師の作成した問題がおかしいと激怒することもあった。
- 文章は原典から再度抜き直しているそう。上野師と秋本師の参照した伊勢物語の写本系統が違ったために、秋本師の解説を生徒が全く理解出来ないという事態が起きたことも。
- 京大コースの古文では、後期になってもこんなテキストやるくらいなら京大本試の過去問か実戦問題集の過去問をやるべきだと言うことも。
- 青本の古文の解答についても、「英語は5人、数学は雲と小林の2人で作って(恐らく雲くんが解くんでしょうが)いるのにどうして古文は1人に任せるのか?それにその人が信頼できないんですよ~この前の東大添削を作ったのも彼ですが間違えていたでしょ」とおっしゃっていた。解答欄がかなり余っているのに主語や目的語を補わないのは信じられないらしい。
- 以前は、青本の解答は関谷師と2人で教室の端に座り、実際に解いた後2人で見比べ、「秋本、ここ違うよ~」と2人+監修1人体制で作成していたらしい。
- ただ、上野師によると、解答速報を作る段階では5人程度の講師で合議をとっているので、それを引き継ぐ青本も一人で作っているわけではない。
- もっとも、上野師だけでなく、関谷師のことをぼろくそに言っていた時期もあるので、単に口が悪いだけと思われる。
- 3号館あるいは東大が嫌いで、お茶の水校の東大コースの出講を取り止めている。
- 昔は東大コースのある3号館の閉塞感が嫌いだからといっていて、現在ではここ十数年の東大の問題作成傾向が気に入らない、別に3号館自体が嫌いなのではないと説明しているが、実際どういう理由なのかはよくわからない。
このことについて師は、「3号館は東大専門校舎と言っておきながら、在籍者の3割も受からんなんて馬鹿げとるやろ、だから3号館で授業してへんのや」とおっしゃっていた。その割には講習では3号館で授業をする。
- 2018年度に3号館で開講された直前講習では、3号館は消防法に違反した建物であると仰った。建築学科に一度入られた師ならではの発言と言える。また、1号館に関して、3号館以上の問題があるとも仰ったが詳しいことはわからない。とにかくお茶の水校においては2号館が一番お好きなようである。
- 2019年度の夏期講習で、3号館に教室が割り振られた際、1日目のみ予定通り3号館で授業を行い、2日目以降は2号館に
まさかの校舎変更を行った。- 3号館の教務は欠席者に連絡しなければならず大変そうであった。
- そんな融通も効かす師の権力もすごいが、ここまで3号館嫌いを徹底している師のプライドの高さがすごい。
- 他の年度では3号館でも講習を普通にこなしていたという話もあるので、この変更は3号館嫌い以外の何か仕方ない事情があったためなのかもしれない。
- 1992年度の秋本師の雑談中、すでに3号館の閉塞感が嫌いという話は出ている。だから3号館には出ない。また市谷校舎に関しても同様なことを話されていた。また担当していた理系のコースでは、東大、京大、東工大以外は行ってはいけないような発言もされていた。
横浜校でも、秋本師は「3号館なんてISに頼んで爆破や!」とまでおっしゃっていた。やはり3号館がお嫌いなようである。
- お茶の水校長と意見の相違がありお茶の水で授業はやらなくなったと仰っていた。ただ講習はどうしてもと懇談されたので開講しているとのこと。
- また、昔、代ゼミの参考書で内職をしていた生徒を机ごと蹴り倒してから担当がないという噂もある。
この時その参考書に書かれていた解説を読んでそのデタラメな内容に閉口し、それ以来代ゼミが嫌いになったらしい。- 生徒に直接謝った経験も1度ではないそうだ。
- 理由が二転三転していてはっきりしない事、また師の性格を鑑みると、3号館のスタッフや講師陣が何かしら気に食わないのかもしれない。あくまで予想に過ぎないが。
- 昔は東大コースのある3号館の閉塞感が嫌いだからといっていて、現在ではここ十数年の東大の問題作成傾向が気に入らない、別に3号館自体が嫌いなのではないと説明しているが、実際どういう理由なのかはよくわからない。
- 横浜校開校当時から毎年横浜校に出講している。
- かつては、駿台京都校や大阪校の季節講習で「古文特講」などを担当していた。
- 2018年 東大古文対策の特別授業で大阪校に出校し、その授業の完成度にMS・SS・LS・SAクラスの東大志望者から称賛の嵐が巻き起こった。
- 高橋正治師が駿台に出講していた当時、写真と講師紹介文をパンフレットには載せていなかったが、1993年度からパンフレットに載るようになった。
- 池袋にあった駿友予備学校(のち、駿優予備学校)にも出講していた。
- 季節講習に出講する際、駿台に無断だったのか、パンフレットで「A先生」と匿名になっていたことがある。
- 弟が一人いる。息子も大学教授。
- 奈良県の出身。関西弁で話す。
- 高校時代は水泳部。強豪校だったらしく練習はかなりきつかったようだ。
- 映画「アウトレイジ ビヨンド」にて神山繁演じる花菱会会長が風貌も口調も良く似ている。
決してモデルではない。
- 映画「アウトレイジ ビヨンド」にて神山繁演じる花菱会会長が風貌も口調も良く似ている。
- 須藤公博師などと同じように左寄りの思想なのか和暦である「令和」を使わず世界標準である西暦を使うことにこだわっているそうだ(本人談)
- 古き時代の駿台講師らしく、大学教授を兼任。国文学者として研究活動を続けられている。
- 専門は古事記や風土記といった上代文学。特に風土記の神話研究では第一人者である。古代建築や民俗芸能史も専門の一部らしい。
- 兼任している大学がキリスト教系の大学であるにも関わらず、キリスト教を批判した内容を大学の講義で言ったところ、罷免されそうになったという。
- 定年を迎えたため17年で大学はお辞めになったが、在野の研究者としてまだ研究を続けるそうだ。奈良の友人から古代建築研究を誘われ、いよいよ本領発揮が出来るとかなんとか。
- 元々は寺社建築に興味があって京大工学部建築学科に在籍し、そこから文転。最終的には東大院を修了という異色の経歴の持ち主。
- 故に理系の知識も豊富であり、そして理系ならではの悩みも良くわかって下さる。
- 高校時代の夢は寝殿造の家を持つこと。今でも諦めていない。
- 受験時代の得意科目は数学と日本史だった。
- 本番六完したと思い両日とも適当に試験を受け、家族には絶対合格したと豪語していたが後日全く合ってないことに気付き、合格発表直前に秋吉台まで逃避行したとかなんとか。
- 「古文の授業なんて聞くわけないやろ。あんなつまらんババアの話。古文の時間はな、大学への数学を解く時間だったんや」
- 英語は今でも嫌い。
- 「英語なんて糞食らえと思っとったな。こんなこと言うと久山に怒られるけど。」
- 中退ではあるが、京都大学への愛は深く、関東の駿台における京大受験の最高責任者と言っても構わないほどである。
- 横浜校の一大イベント、「京都大学への道」は師の主導。
- 横浜校SALAでは度々東大を貶し、京大を宣伝する。東大志望者をゼロにし、京大専用校舎にするのが目標らしい。
- 師曰く、「東大は犯罪者養成所。京大は出家するための場所」
- 大学準備講座においても合格者がいるにも関わらず散々東大をディスっていた。筋の通った理由があってディスるところもあるので聞きに行くべし。
- 東大をディスる理由の一つに、進振り制度によって他大学で4年間専門分野を学ぶところを、東大は2年程しか学べないというものがある。1年次から学部が確定している京大の方が良いとおっしゃっていた(2018年夏期講習)。
- 世間が持ついわゆる京大生のイメージをそのままにした様な方である。久山師とは対照的。
しかしそれでいて一流の研究業績を挙げているのも京大の本質と言ったところだろうか。- 「京都行ったら大学行く暇なんてないでぇ。春は桜、梅雨は紫陽花、夏は琵琶湖、秋は紅葉。冬は雪見酒やな。京都は縦に長いから下から追っていかにゃならん。」
- 「くれぐれも『授業は2/3以上出席する』なんて思うなよ。『1/3の授業は休んで良い』と解釈するんや。安室奈美恵の最終コンサートと授業どっちが大事やねん。だから五月は授業サボって葵祭行けっちゅうんや」
- 「京大に行くことは出家や。官僚は東大の奴らにやらしときゃええねん」
- 近年駿台全体の京大合格者数が東大合格者数を上回ったことを大変喜んでいらっしゃる。
- 2021年度の京大入試では、有志の京大生により久山師と共にタテカンになった。
- 大学教授兼予備校講師というポストに収まるまでには色々経験してきたそうだ。大概無茶苦茶なことをしている。
- 練馬にある御三家男子校で非常勤講師をしていたこともある。体調を崩した先輩の代打だったため早朝起床の生活に馴染めず、午前中の授業を度々自習にしては校長に呆れられていたらしい。いつのまにか受け持つ授業が全部午後の時間帯になっていたとか。
- 大学院時代には角川にて辞書編纂のアルバイトもした。本人曰く「三浦しをんの『舟を編む』そのもの」の仕事だった。
- その際「をかし」の担当となり用例採集を行なったが、余りにも意味が多岐に渡るので基本的なものだけ記し『「をかし」は文によって意味が異なるので例を踏まえた上で読者自身で考えて欲しい』と注をつけ放棄したところ、注がそのまま掲載されて愕然としたらしい。
- 更に師の友人がその注を気に入って別の単語にも記載。辞書なのに自分で意味を考えさせる辞書としてそこそこ売れたんだとか。現在は全国の高校教員からのクレームを受けて改訂されてしまった。
- 東京書籍に依頼されて巷で虎の巻と言われる教科書ガイドを執筆していたことも。
- ちなみにこの時も『この程度のことは自分の力で考えるように』と記して手を抜いたところ、クレームが沢山来たらしい。
- 口ひげをはやしており、通勤時は黒いサングラスを着用することもある。
- その風貌からか電車の中でヤクザに間違われたことがあり頻繁にネタにする。
- 関西人らしいきさくだがアクの強い人物である。毒のあるきわどい冗談も多い。
- 特に花札の話が出てきた時はジョークがマシンガンのように飛んでくる。
- ちなむと師に花札を教えてくれたのは本物のヤクザなのだとか。
- なんと山口組の○○組長と小学校の同級生だそう。
師はその組長よりはるかに破天荒な少年だった。
- 師が通っていた当時の東大は女子のレベルが低く後ろ姿から女だとわからないやつが多かった、とかいいだしたりする。
- 関西人らしく大の阪神タイガースのファン。
- 阪神が負けるとそのことを翌日の授業のネタにすることも。
阪神が負けた翌日に質問に行くと少しだけ機嫌が悪いこともある。 - 阪神が勝つと次の日は機嫌がよく授業がとても素晴らしくなる。
- 実際、2019年度は阪神が4位から6連勝して3位に滑り込んだ次の日の火曜日、横浜とのCS1stステージに勝った次の日の火曜日は今まででいちばん素晴らしい授業が展開された。
- なお、ベイスターズファンとの取っ組み合いのケンカが全国ネットに晒されたことがあると本人は言う。
- 巨人が負けると最も機嫌がいいらしい。
- 最近はベイスターズと阪神の試合を観に行く際に、カモフラージュのために青色のグッズを揃え、ベイスターズファンのふりをしているとのこと。
- 阪神が負けるとそのことを翌日の授業のネタにすることも。
- かつて入試問題の作成をした際に、マーク式であったため面白半分ですべての解答を「1」に揃えたところ主任に「こんなに意地の悪い問題はありえない」と言われたらしい。
- それを受けて翌年は解答を「1.2.3.4…」としてみたところまたもや主任に苦い顔をされたそうだ。
- 2年連続でこうした問題を作ったためか、翌々年からは大学院の試験担当に回されたそうである。
- もちろん根は真面目な人で、生徒にもボケカス・病気か・死ねなどといいつつ親身になって接してくれる。
- 特に花札の話が出てきた時はジョークがマシンガンのように飛んでくる。
- 結婚式をなんと仏滅の日にやられたそうだ。
- そのため縁起が悪いということでキャンセルが続出し、結果当初の半分程度の出費で済んだそうだ。
- 秋本師はこれまで40年間教え子に仏滅の日に結婚式を挙げろとおっしゃってきたそうだが、未だに1人もやったことがないらしく、このことを嘆いていらっしゃった。
- 代ゼミと青山学院のことをよくネタにしている。小馬鹿にした発言をよくする。特に代ゼミは「ひどい」「とても悪い」の代わりに使う言葉として毎回のように口にする。
- (例1)「青学だに入らばや」
- (例2)「代ゼミゴミぜよ」
- (例3)「今年のセンターで満点取れなかったなら人じゃない!30切ったなら代ゼミ!」「難しい問題が出ても大丈夫!代ゼミもいる!(冬期直前講習)」
- (例4) 講習を受けに来ていた代ゼミ生と講師室で会話し「先生、私代ゼミ生なんですけど」「すぐにやめなさい!」(直前講習)
- ただし、最近は四谷を馬鹿にすることも多い。「お前ら偏差値50割ったら代ゼミ行け!偏差値40割ったらなんで私が京大に?やぞ!」 (全国模試)
- この、助動詞「だに」の説明の際に使われる例文である『青学だに入らばや』であるが、青山をもちだすのは師が学生時代に東京に出てきて好きになった女性が青学の学生だったかららしい。ネタにするのもここからきているようだ。
- オーロラ輝子の大ファンといっていた時期もある(朝ドラにオーロラ輝子が出てた時代の発言)。
- 通常の人間の骨格よりも肋骨が一対ずつ多いらしい。師曰く「僕は人格に問題があるのは認めますが、身体にもそんな問題抱えてるって知った時は、まあびっくりしたなぁ」
- 学生時代にデモに参加した所警察に捕まり、護送車で連行されたらしい。「赤信号とか全部無視して突っ走って、ヒーローになった気分やったぞ」
- 同じく学生時代、「田中角栄がまもなく逮捕される」という噂を聞きつけ、友人と共に田中邸付近まで急行して電柱によじ登ったところ、角栄本人の姿は見れなかったものの角栄が乗せられた車が田中邸から走り去って行くのを目撃したそう。
- 沖縄が返還されるより前、つまり渡航にパスポートが必要であった時代に、なんと貨物船に乗って沖縄に密入国したことがあるらしい。
- 髪型はどうであれ、顔は具志堅用高にかなり似てる。
- 2020年度は新型コロナウイルスと大学入学共通テスト導入の影響で波乱の一年となっているが、国の対応にひどく納得いかない様子である。
- 毎週のように政府と文科省は何の対策も取っていないと憤っておられる。おかげで3号館の生徒にアンケートで「授業そっちのけで国の批判ばかりしている」と書かれたそう。
- 「こんなこと書いといて『最高です』ってなんや、俺に授業させるなちゅうことか」
- 毎週のように政府と文科省は何の対策も取っていないと憤っておられる。おかげで3号館の生徒にアンケートで「授業そっちのけで国の批判ばかりしている」と書かれたそう。
- その2020年度は講師はマスクかフェイスシールドの着用を義務付けられているが、ある時師がフェイスシールドを忘れたまま1コマ授業が終わってしまった。
生徒より師の命が危ない
- 2017年後期のある授業では同じ雑談を1コマの間に2度し始めたことがある。教室全体が「同じ話してる…?」という微妙な空気になったものの突っ込みを入れる生徒はおらず、師もとうとう自分が同じ話をしている事に気づかないまま終わってしまった。さすがにそろそろ歳なのだろうか。
- 最近は体調が優れず、病院で点滴を打って貰った後に駿台に出校される日も多い。お体に気をつけて頂きたい限りである。
駿台遍歴
東大、あるいは3号館嫌いと言われているが、桑原岩雄師引退後、1990年度あたりまでは、3号館午前部文1α(東大文系コース)に高橋正治・関谷浩両師と個性の異なる“最強トリオ”で出講していた。- 高橋正師が「古文選」、秋本師が「古文精選」、関谷師が「古典文法演習α」を担当。
- 当時、古文精選がない理系は文系より1コマ少なかったので、3号館午前部理1αへの出講はなかった。
- 1986年度3号館午前部理1(C組・D組)には出講していた。A組・B組は関谷師。
- 1992年度3号館東大文系スーパーでは、高橋正師ではなく関谷師が「古文選」の後継「古文Ⅰ」を担当しているので、トリオは1990年度か1991年度までと推測される。
- 高橋正師が「古文選」、秋本師が「古文精選」、関谷師が「古典文法演習α」を担当。
- かつては、池袋校の東大文系スーパー、東大理系スーパーの「古文Ⅰ」を担当していた。
- かつては、大宮校、四谷校、池袋校での講習会で「古文特講」「古文出典別攻略法」を担当していた。
- 1992年度の横浜校では、スーパーコース以外にセレクトコース(現在のハイレベルコースに相当)の古文も担当していた。
- かつては、駿台京都校や大阪校の夏期冬期講習で「古文特講」などを担当していた。
- 師の話によると駿台講師二年目の頃、市谷校舎へ出講していたそう。
- 年上の多浪生に「君新人?まあ頑張りたまえ」と激励されたらしい。
- 先輩講師だとばかり思っていたところ、担当したクラスの生徒の中に何食わぬ顔で混ざっているのを見つけ、そこで初めて多浪生だと分かったそうな。
- 2008年度まで、横浜校で夏期講習会、冬期講習会の「東大古文」、直前・東大プレ古文演習を担当していた。
- 2009年度から、夏期講習会、冬期講習会で「東大・京大合格への古文」を秋本吉徳師が担当するようになり、講習会の「東大古文」の横浜校担当は松井誠師に替わった。
- 時期は不明だが、師本人曰くかつて現代文を教えていたことがあったらしい。
名言
- 「文学少女を求め、文学世界に逃避するための学問ではありません!文学を通して世界を見つめ、自分の頭で考えて、自分で行動できる人を創りたいです。」
著書
編著
- 『古語拾遺(新撰日本古典文庫4)』(現代思潮社、1976年)
- 『風土記 全訳注 1 』(講談社、 1979年)
- (久松潜一監修)『賀茂真淵全集 第26巻』(続群書類従完成会、 1981年)
- 『出雲国風土記諸本集』(勉誠社、1984年)
- 『新撰亀相記』(神道大系編纂会、1992年3月)
- 『常陸国風土記: 全訳注*7(講談社学術文庫)』(講談社、2001年10月)
- 『兵部卿物語全釈』(武蔵野書院、2019年2月)
論文
- 「『常陸国風土記』の世界」(『解釈と鑑賞』67‐11)2002.11
- 「中央と地方との関係-地誌-」(『岩波講座・日本文学史1)1995.12
- 「『常陸国風土記』-その魅力-』(『国文学』54‐7)2009.5
寄稿
- 「古文を自分のものにする学習法」 宮崎尊 『モリモリ勇気の出る受験勉強の集中講義』 (草思社、1990年、pp.168-175.)
- 「広場(エッセイ)」 『駿台フォーラム』第15号
- 「大学と高校のはざまで」 特集「教育変革と新しい予備校像」 『駿台フォーラム』第19号
*1 「徳」は正しくは「心」の上に横線が入る字(德)
*2 現・奈良女子大学附属中等教育学校
*3 絶版・Amazonでも品切れ
*4 以上二冊は筑摩書房(ちくま学芸文庫)で復刊
*5 ちなみに[[アカデミー校>アカデミー校舎]]の古文Ⅰは白鳥師、古文Ⅱαは関谷師担当
*6 それ以前の旧1号館、旧2号館時代の京大コース出講は不明。京大コース自体は、以前から午前部文1βが旧1号館、午前部理1βが旧2号館にそれぞれ設置されていたが、1992年度、1993年度は、お茶の水校だけでなく関東地区では京大コース自体設置がなかった。したがって、当時の京大志望者は、東大文系スーパー、東大理系スーパー、文科特類スーパー、理科特類スーパーのいずれかに入学していた。
*7 上記の改題