早稲田大学 のバックアップ(No.5)


  • 東京都に本部を置く日本の私立大学。
  • 通称は「早稲田(わせだ)」。

概要 Edit

  • 前身は、1882年(明治15年)に大隈重信が創立した東京専門学校*1
  • 1902年(明治35年)、「大学部」を開設して,早稲田大学と改称。
    • 元々、校舎があったのは東京府南豊島郡戸塚村であるから、本来は「戸塚大学」である。
    • 東京府南豊島郡戸塚村にあったのは、創立者・大隈重信の別邸である。
  • 1904年(明治37年)、旧制専門学校。
  • 1920年(大正9年)2月5日に大学令に基づく大学(旧制大学)となった(慶應義塾大学とともに私立大学として初)。
  • 1949年(昭和24年)、新制早稲田大学

特徴 Edit

  • あらゆる学力層の学生が在籍する懐の深い大学である。
    • 東大僅差落ちのいわゆる「東大くずれ」から、脳筋のスポーツ推薦や内部進学、アルファベットすら覚束ない自己推薦・AO入試組まで在籍する。
  • いまだにバンカラ、貧乏学生のイメージも残っているが、学費は意外と高い
    • 毎年、出願あるいは一次金(入学金)送付の段階になって驚く受験生が多い。
  • 出身にスポーツ関係者が多いので、地方では難関大学と認識されていないこともある。
  • ミュージシャン、特にバンドマンの出身者が非常に多い。
    • 小室哲哉(社学中退)、デーモン閣下(社学)、サンプラザ中野くん(政経中退)、亀田誠治、森重樹一(一文)、ドリアン助川(一文)、田淵智也、日高光啓、西寺郷太などなどなど...。
    • 関東駿台物理科には早稲田卒業後、プロミュージシャンとしてMステにも登場した星研二先生がいる。
    • ちなみに、YOSHIKIや及川光博が早稲田出身というのはガセネタである。
  • 関西出身者も意外と多く進学する。
    • 最近、大阪にも系属校(早稲田摂陵)が出来て関西進出してきた。
  • 医学部設立が悲願である。
    • 神学部(文学 (※以下復元不能)
    • 1906(明治39)年、大隈重信が会長を務めてい東亜同仁会(アジア地域の医療と伝染病予防に貢献する民間組織)が大学敷地内に東京同仁医薬学校を立ち上げたものの、経営難で閉校している。

学部 Edit

  • 比較的、学部ヒエラルキーがはっきりしている。
  • 学内、及び卒業後のヒエラルキーは、入試難易度(≒偏差値)とは必ずしも一致していない。
  • ランキング表を見て一喜一憂している受験生は要注意。

政治経済学部 Edit

法学部 Edit

文化構想学部 Edit

文学部 Edit

教育学部 Edit

商学部 Edit

基幹理工学部 Edit

創造理工学部 Edit

先進理工学部 Edit

社会科学部 Edit

人間科学部 Edit

スポーツ科学部 Edit

国際教養学部 Edit

キャンパス Edit

早稲田キャンパス Edit

  • 通称"本キャン"。
    • 旧名称:西早稲田キャンパス、本部キャンパス。
  • 地名に基づいて古くから「西早稲田キャンパス」と呼ばれてきたが、大久保キャンパス前に地下鉄「西早稲田」駅が出来たため、「早稲田キャンパス」と改称された。
  • 高田馬場駅からは意外に遠いので受験生は要注意。

附属校・系列校 Edit

  • 勘違いしている人も多いが、早稲田高校は系属校ではあるものの、附属校ではない。直属の附属校は、早稲田大学高等学院(早高院)と早稲田大学本庄高等学院である。
  • 戦後、旧制中学と旧制大学予科がそれぞれ新制高校となり、大学と同名の早稲田高校(旧制中学)の方が附属校とならなかったため混乱をきたしている。

入試 Edit

  • 難易度においては、従来、政経だけが別格だったが、「早稲田ならどこでもいい」という受験生が増えるにつれて、元々、夜間であった社会科学部(第二政経・法・商)や第二文学部(現在廃止)でさえ超難化した。
    • 数学で受けられる政経・商、小論文で受けられた第一文学部(現在廃止)は昔からよく理系の併願先にされていた。
    • 受験事情をよく知らない人は文理制覇と騒ぎ立てた。
  • 政治経済学部は一時期、数学が易化して理系が併願しやすかった時代がある(1985~1988年)。
  • 例年、法を除く社会科学系の学部の試験日は連続しており(いわゆる「早稲田4連戦」)、文や人科まで併願すると最大6連戦となる。
  • センター利用入試はボーダーが異様に高い。

概要 Edit

出身者 Edit

 




*1 当時の「専門学校」は一般的な高等教育機関の意だった。