京都大学 のバックアップ(No.57)


  • 京都にある日本の国立大学。旧帝国大学の一つ。
  • 略称は「京大(きょうだい)」。

概要 Edit

  • 総合人間学部、文学部、教育学部、法学部経済学部、理学部、医学部、薬学部、工学部、農学部を設置している。
  • 一般教養課程(教養学部前期課程)が現存している東大とは違い、京大は「大学設置基準の大綱化」による教養部廃止と「大学院重点化」で各「大学院研究科・学部」がかなり独立した存在である。

特徴 Edit

  • 官僚養成学校である東京大学に対して、京都大学は極めて自由で学究的な学風を誇る。
    • かの京都大学に「自由の学風」を根付かせたのは、京大の前身である旧制第三高等学校の初代校長を務めた折田彦市であったと言われている。以来、100年以上にわたって、この学風は引き継がれてきた。(「週刊新潮」2020年12月3日号)https://www.dailyshincho.jp/article/2020/12060556/
    • 他大学と比べても、自由度は群を抜いている。
    • その自由度ゆえか、学生の自●率もNo.1だったらしい。
  • 近時は、立て看板撤去や学生への処分を積極的に行うようになるなど、かつての自由さはもはや存在しないとの意見が増えつつある。
    • 「最近の京大は、どんどん規制が厳しくなり、自由は失われる一方です」と、同大関係者。(「週刊新潮」2020年12月3日号)
    • 「東大の劣化下位互換と化しつつある」という声も見られる。
  • 学部・学科に関わらず科学の基礎研究に非常に力を入れている。
    • 現在までに7人ものノーベル賞受賞者を出している。
    • 数学のノーベル賞とされる「フィールズ賞」受賞者も国内最多である。
  • 関西以外での世間的な知名度は意外に低い。
    • 2005年にTBS系列で放映されたバラエティ番組『学校へ行こう!MAX』(2005年4~5月放送分)で、ダンスユニット「灘6」のメンバーの一人(三宅担当か岡田担当の人)が東大志望ではなく京大医志望だったところ、「何で東大じゃないの!?」とV6に驚かれていた(笑)。
      • ちなみに、番組内企画の「文舞両道フリツケ甲子園(2005年9月6日O.A.)」では、出場校6校中、「筑6」(筑波大附属駒場高)が優勝した。筑6のメンバーの一人は東大理三に進学している。

学部 Edit

教養部(廃止) Edit

  • 前身は旧制第三高等学校
  • 第三高等学校医学部だった岡山大学医学部は兄弟校である
    • 岡山にあった第三高等学校医学部が1901年に岡山医学専門学校として分離独立した。
 
  • 明治2年5月1日(1869年6月10日)、大阪舎密局開校(大阪府管轄)。
  • 明治2年(1869年)9月、大阪府立「洋学校」(大阪洋学校)設置。
  • 明治3年(1870年)4月、大阪舎密局と大阪洋学校がともに大学(文部省の前身)南校に移管。
  • 明治3年(1870年)年5月26日(6月24日)、学則を改正して大阪舎密局を「理学校」(理学所とも)に改編。
  • 明治3年10月24日(1870年11月27日)、理学校と洋学校が統合されて「大阪開成所」が設立された。
  • 明治5年8月3日(1872年9月5日)、学制発布により大阪開成所を「第四大学区第一番中学」に改編。
  • 明治6年(1873年)2月、第四大学区第一番中学が同年4月の学制二編追加に先立って官立外国語学校の一つである「開明学校」に転換。
  • 明治7年(1874年)4月、開明学校は他の官立外国語学校に合わせて「大阪外国語学校」と改称。
  • 明治7年(1874年)12月、「大阪英語学校」と再改称。
  • 明治12年(1879年)4月、大阪専門学校(ここでいう「専門学校」は専門学校令による旧制専門学校とは異なる)に転換。
  • 大阪専門学校はその後、官立「大阪中学校」(1880年)⇒「大学分校」(1885年)と改編。
  • 1886年(明治19年)4月29日、官立第三高等中学校設立:大阪
    • 大学分校が中学校令に基づく第三高等中学校となった。
  • 1887年(明治20年)8月、官立第三高等中学校医学部設置:岡山
    • 文部省の告示により高等中学校に医学部を置くこととなったことから、岡山市の岡山県医学校を第三高等中学校に編入して医学部とし、1888年(明治21年)4月に開部式が行われた。
  • 1889年(明治22年)8月、第三高等中学校本部が大阪から京都(現:京都大学本部構内)に移転。
  • 1894年(明治27年)、第三高等中学校を第三高等学校に改組。
  • 1897年(明治30年)、大学予科の設置。京都帝国大学設立により二本松地区(現:京都大学吉田南構内)に移転。
  • 1949年(昭和24年)、 新制京都大学に包括され、一般教養を担当する分校となる。
  • 1950年(昭和25年)、第三高等学校廃止。
  • 1954年(昭和29年)、分校は教養部に改称。
  • 1991年(平成3年)、教養部改革の流れで独立大学院人間・環境学研究科設置。
  • 1992年(平成4年)、教養部を改組し総合人間学部設置。教養部は廃止。

総合人間学部 Edit

  • 通称「ヒャダイン学部」。
    • ヒャダインこと作詞家・作曲家の前山田健一氏の出身学部として有名(大阪星光学院高等学校卒業)。
  • 1991年(平成3年)、教養部改革の流れで独立大学院人間・環境学研究科設置。
  • 1992年(平成4年)、教養部を改組し総合人間学部設置。教養部は廃止。
  • 2003年(平成15年)、総合人間学部と人間・環境学研究科が統合。
  • 他大学を含め医学部を目指す仮面浪人が多い。

文学部 Edit

法学部 Edit

教育学部 Edit

経済学部 Edit

  • かつては「京大のドリームランド」の異名を取ったが、奈良ドリームランド自体が閉園してしまった。

医学部医学科 Edit

  • 明治32年の京都帝国大学医科大学設置の際は、医科大学は大阪に置こうという文部省の意向であったが、岡山県や京都府からの誘致運動の結果、京都に設置されることになった。
    • 創立案ではどちらかといえば大阪設置説が強く、創設の予算面をみると、大阪もしくは京都の府立医学校のを増改築して医科大学を開始する予定であった。
    • 政府委員だった牧野伸顕(大久保利通の次男)が大阪医学校(現・大阪大学医学部)の官立移管(政府直轄)の提案を行ったがならず、大阪医学校とは別に第二帝国大学医科大学を大阪に建設しようとしたが、京都府からの熱心な誘致運動により京都に帝国大学医科大学が設置された。*1

大阪側の反応をみると、府会議員に反対するものがあり、文部省側は知事と協議するため書記官等を大阪に派遣している (医科大学(大阪に設置の事)『大阪朝日新聞j明治28年12月15日付)。これに対し、京都側は、府知事、府会等の地方議会、府立医学校長猪子止文之助が一丸となって熱心に誘致運動を
展開した(例えば、「医科大学に付ての協議Jr日出新聞』明治29年 1月 3日付、
「医科大学に関する協議」同前紙 1月 7日付参照)0 r日出新聞J明治29(1896)年
1月22日付「医科は京都に決すJという記事は、京大に「属する」医科大学
は大阪に置こうという文部省の意向であったが、京都府より京都に置かれた
しとの希望をもって委員を東上せしめ、その筋へ裏議中であるが、衆議院の

  • 当初の予定では、京都府医学校(現・京都府立医科大学)の教室等を譲り受け、医科大学を開始することになっていたが、猪子止戈之助京都府医学校校長(医科大学の創設時に教授,付属医院院長となった。)の進言により、新たに土地を買収し、全施設を新設する案に変更された。*2
    • 京都府医学校は、医科大学が設立されるや優秀な人材が転出し、一時存亡の危機におちいった。
  • よって、京都府立医科大学とは伝統的に仲が悪い。
    • 京都府立医科大学とは、鴨川を挟んで目と鼻の先だが、創設時の人材引き抜きなどの軋轢から、歴史的にあまり関係が良好でなく、お互いに「川向こう(鴨川の向こう岸の人達)」と、よそよそしい呼び方をしていることは、医者の間では有名な話です。
    • 府内で二つの大学でありながら、今でも人的交流が乏しいのも、また事実です。
    • 眼科だけは例外で 、府立医大の先生が京大眼科で特殊外来を担当したり、共同研究をしたりと、交流が非常に盛んである。
  • 昔は、54歳で入学した葛城四郎さん*3など、多浪・再受験にも全く差別がなく寛容なことで有名であったが、最近は面接0点を付けるなどあからさまな差別があったらしい。

医学部人間健康科学科 Edit

  • 専門職の資格取得を目指すための2年次学士入学を行っている。
    • 4年制大学を卒業後、看護師、理学療法士、作業療法士の資格取得をめざす方を対象とした入学制度。
    • 3年次学士編入は、2018年度をもって終了。
  • 2023年、水口創太投手(膳所高校)が「京大から二人目」、「医学部から史上初」のプロ野球選手となった(福岡ソフトバンクホークス、育成契約)。

薬学部 Edit

理学部 Edit

  • 「緩やかな専門化」を謳っており、履修の自由度が高くなっていたり必要な単位数もかなり抑えられている。
    • それのせいで学生は好きな分野ばかり勉強する人だらけで、逆に学生はその制度によって急速に専門化していくというパラドックス的状況がかなり多く起こっている

工学部 Edit

  • かつては、工学部が全学で最難関の時代があった。https://juken.y-sapix.com/articles/7642.html
    • 工学部の方が医学部より入試の難易度が高かった。
    • 中でも原子核工学科(現・物理工学科原子核工学コース)は他大学・他学部も含めて日本最難関だった。定員わずかに20名、工学部の最難関であり医学部より難しかった。
    • 利根川進さんは当時人気の化学系学科に進学したかったが、学力不足で理学部に進学している。
    • 逆に森和俊理学研究科教授は、理学部志望だったが、現役合格にこだわって工学部合成化学科に志望を変更し、合格した(2年次に薬学部に転入部し卒業)。
  • 時代によって学科ごとの難易度が乱高下が激しい。
  • 伝説的ロックバンド「ボ・ガンボス」のボーカル・ギターどんとさん(石油化学科*4中退)や俳優、声優の山西惇さん(石油化学科*5卒業)の出身学部として一部で有名。
  • 京大卒初のプロ野球選手の元千葉ロッテマリーンズ田中英祐投手(白陵高校)は工業化学科卒業。

地球工学科 Edit

  • 明治30年(1897年)の京都帝国大学の創設と同時に設立された土木工学科と、その翌年の明治31年(1898年)に設立された採鉱冶金学科(昭和17年に学科が2分割され鉱山学科が設立、それが昭和39年に名称変更されて資源工学科となった)を、その母体としています。
  • 土木工学科の一部が分離独立して、新たに昭和33年(1958年)に衛生工学科が、また、昭和38年(1963年)に交通土木工学科が設立されたことによって、今日の地球工学科を構成する教育・研究組織の基本的な体制が整った。
  • 平成4年度から工学部内では、大学科制への移行が進められ、その最後として地球工学科が、土木、交通土木、衛生、資源の4学科を統合した新たな学部教育組織として、平成8年(1996年)に発足した。

建築学科 Edit

  • 1964年4月、建築学第二学科創設。
  • 1996年4月、建築学科と建築学第二学科を統合し、大学科・建築学科となる。
  • フリーキャスター・気象予報士の酒井千佳さんの出身学科。

物理工学科 Edit

  • 1994(平成6)年、工学部の7学科(機械エ学,冶金学,航空工学,原子核工学,精密工学,金属加工学,物理工学)を物理工学科に改組。
  • コース配属は一応成績順で振り分けられるので人気の高いコースに行きたい学生は1回生の時からまじめに勉強をしている印象。
  • ただ人気の出るコースが年度によって異なるので自分の希望しているコースがその年度で人気なのかはわからないのが難点です。
  • そうは言ったものの大体の学生がそこまでがっつり勉強をしている訳ではないので周囲の友人を見ていると普通にテスト前に単位を落とさない程度に頑張っていれば志望コースには行けている模様です。
  • 1回生終了時の取得単位数が少なすぎるとコース配属が志望に関係なくランダム配属になる。
    • 遊びほうけてもとりあえずランダム配属にならないように頑張って最低単位数すれすれで回避する人、行きたいコースはあるが成績が悪すぎるためあえてランダム配属になる強者、そもそもコースはどこでも良いが取得単位数が全く足らずランダム配属になる人など様々。
 

 機械システム学コース(105名)

  • ミクロな材料から巨大なシステムまでを対象とし、数学、力学などの基本的な知識に加え、材料、物性、設計製造などの機械工学に関する基礎的な知識をもった創造的な研究者・技術者を育成する。

 宇宙基礎工学コース(20名)

  • 極限的工学問題の処理や革新的技術開発の要求に応えるために、十分な基礎学力とそれに基づく豊かな開発能力を備えた研究者、技術者を育成する。

 材料科学コース(55名)

  • 金属から半導体、セラミックスに至る基幹的材料に関する広範な基礎知識をもってこれらの材料に関わる先導的研究を担い、社会に貢献し得る人材を育成する。

 原子核工学コース(20名)

  • 原子核工学科→物理工学科エネルギー理工学コース原子核工学サブコース
  • 量子科学とその工学的応用の視点から、物理学や数学を基礎として、新しいエネルギー源の開発や高度な機能を持つ物質の創生などに貢献できる、高い知的および創造能力を有する研究者・技術者を育成する。

 エネルギー応用工学コース(35名)

  • 2011(平成23)年、工学部物理工学科エネルギー理工学コースエネルギー応用工学サブコース→
  • エネルギーの生成、変換、輸送、貯蔵、利用に関わる科学技術の基礎を修得させ、環境に調和したエネルギーシステムを追及するための実力を涵養し、21 世紀のエネルギー・環境問題の解決に貢献する人材を育成する。

電気電子工学科 Edit

  • 2008年入学の天才「アイウエくん」(入試得点率92%(歴代最高?))で有名。
    • 電電志望理由は「バリアーを作りたい」。

情報学科 Edit

理工化学科 Edit

  • 現在は入学定員235人。
  • 入学から1年半の間、共通のカリキュラムで数学や物理学、化学の基礎を履修するとともに、2年生から物理化学、有機化学、無機化学、分析化学、化学プロセス工学などの基礎から高レベルの教育を受けている。
  • 2年生の後期からは2:3:1の比率で創成化学コース、先端化学コース、化学プロセス工学コースに分かれ、将来の専門分野に応じた教育に入る。

 創成化学コース
 先端化学コース
 化学プロセス工学コース

工業化学科(改称) Edit

  • 平成5年、大学院重点化に伴う工学部化学系教室の改組(化学系学科の再編)が行われ、新しい内容の「工業化学科」として統合された。
  • 京大卒初のプロ野球選手の元千葉ロッテマリーンズ田中英祐投手(白陵高校卒)は当学科卒業。
  • 2024(令和6)年4月より「理工化学科」に学科名称を変更する。

 工業化学科(旧)

  • 平成5年、化学系学科の再編が行われ、新しい内容の「工業化学科」として統合された。
  • 2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」が評価されノーベル化学賞を受賞した野依良治先生がここの出身。

 石油化学科(廃止)

  • 平成5年、化学系学科の再編が行われ、「工業化学科」と統合された。
  • 伝説的ロックバンド「ボ・ガンボス」のボーカル・ギターどんとさん(中退)や俳優、声優の山西惇さんが出身。

 化学工学科(廃止)

  • 平成5年、化学系学科の再編が行われ、「工業化学科」と統合された。

 高分子化学科(廃止)

  • 平成5年、化学系学科の再編が行われ、「工業化学科」と統合された。

 合成化学科(廃止)

  • 平成5年、化学系学科の再編が行われ、「工業化学科」と統合された。

農学部 Edit

大学院 Edit

工学研究科 Edit

分子工学専攻(独立専攻) Edit

  • 分子工学専攻は、工学部石油化学科福井謙一教授のノーベル化学賞受賞(1981 年)が契機となって、それに関連する物理化学系講座(石油化学教室、工業化学教室、化学研究所)が協力し、一部独立する形をとって、1983 年に京都大学大学院工学研究科における初めての独立専攻として創設された。
  • 従来、学部教育組織に組み込まれていなかった分子工学専攻は、その後の大学院重点化に伴う工学部化学系教室の改組によって、化学系他専攻とまったく同等の組織となり、現在では学部教育にも参加するようになっている(工業化学科)。

医学研究科 Edit

医学専攻・医科学専攻・ゲノム医学国際連携専攻 Edit

人間健康科学系専攻 Edit

社会健康医学系専攻 Edit

 臨床統計家育成コース

  • 新しい医薬品や治療法の開発に必要な臨床試験では、医学、薬学などの専門家のほか、統計学の専門家の参加も不可欠です。臨床統計家とは統計学を基礎とする臨床試験方法論のプロフェッショナルです。
  • 臨床統計家育成コースは、臨床統計家に必要な知識、技術、態度を身につけるための2年制の専門職学位課程です。本コース修了後は、社会健康医学修士(専門職)が授与されます。

京都大学数理解析研究所 Edit

  • (英: Research Institute for Mathematical Sciences)は、「数理解析に関する総合研究」を目的として設立された京都大学の附属研究所である。共同利用・共同研究拠点に指定されている。
  • 略称は数理研(数解研)、RIMS(リムス)。
  • 1963年に設立された日本で唯一の数学の研究所。
    • 設立当初は解析、応用解析などの趣が強かったが、現在は純粋数学の研究のほうが盛んである。
  • 所員は設立以来40から50人。雑用が少なく、講義が義務ではない。
  • 日本における数学研究の中心的存在で、著名な数学者が所属した。
  • 同研究所所員の共同研究者としての活動や、セミナー、研究集会などに参加するために海外研究者も多く訪れている。
  • 研究集会は年80回以上開かれ、参加者は約4500人に上る。研究集会の報告集は、「数理解析研究所講究録」(英: RIMS Kōkyûroku)が年数十巻程度、査読ありの「数理解析研究所講究録別冊」(英: RIMS Kōkyûroku Bessatsu)が年十巻程度、それぞれ刊行されている[1]。
  • 「基礎数理研究部門」、「無限解析研究部門」、「応用数理研究部門」、「計算機構研究施設」の3部門・1施設で構成されている。
  • 1975年までは研究所として活動していたが、1975年からは大学院教育も担うようになり、現在では研究所と大学院の両方の側面を持っている。
    • 現在、京都大学大学院理学研究科数学・数理解析専攻は二つの系に分かれており、数学系は理学研究科数学教室に所属する教員が、数理解析系は数理解析研究所の教員が研究指導にあたる。

キャンパス Edit

吉田キャンパス Edit

  • 〒606-8317 京都府京都市左京区吉田本町
  • 最寄り駅は京阪電車の出町柳駅。
  • 全学部の生徒が一般教養などを学ぶキャンパス。
  • 時計台など「京大といえば」といった建物はこのキャンパスに集中している。
  • 立て看板問題などで職員と一部勢力によるバトルがよく起きている。

桂キャンパス Edit

  • 〒615-8510 京都府京都市西京区京都大学
  • 最寄り駅は阪急電車の桂駅。
  • 工学部などの研究室が立ち並ぶ。別名「桂男子刑務所」
    • 新しい。

宇治キャンパス Edit

  • 〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄
  • 最寄り駅は京阪電車の黄檗駅、およびJRの黄檗駅。
  • 周辺に何もないことが特徴。

入試 Edit

概要 Edit

  • 駿台では京大対策のコースや通期、講習での授業がある他、『京大入試実戦模試』『京大突破レクチャー』などが行われる。駿台校内外を問わず多くの受験生が受講する。
    • 駿台に限らず受験業界の良い食い物になっている。
  • 2018年2月、大阪大学に続き2017年度の入試(物理)での出題ミスが指摘され、追加合格者を出す事態になった。
    • なお、指摘をしたのは他塾の講師ではあるものの、青本の編集の際、新田克己先生や古大工晴彦先生が出題ミスに気付き、青本には正答が記載されている。
    • 三幣剛史先生はセンター試験後に記者とやり取りをし水面下で指摘のために動いていたものの、京大側からの確たる証拠が得られる前にネット上が騒ぎになってしまい、先を越される形になってしまったようである。
    • 三幣剛史先生はこの件に関し、京大の問題チェック体制のお粗末さをボロカスに貶している。
      • 同年度の阪大の出題ミスも古大工晴彦先生が気付き、青本には正答が記載されている。
    • これを受け、石川正明先生が2010年度の化学での出題ミスを指摘。これも青本に掲載されている。
      • 答案が廃棄されており合否に影響は出ないとのこと。
  • 工学部は2年次編入学試験がある。
    • 東大は時間制限がものすごく厳しいが、京大は時間をたくさんくあって、難易度も東大より低い。
  • 平成23年には受験生が携帯電話を使って問題をインターネットの質問サイトに投稿し、偽計業務妨害容疑で逮捕された。

現代文 Edit

現代文 Edit

京大現代文
1 傍線部自体の確認
 構文、主語の有無、指示語、比喩、助詞、副詞など
2 傍線部を含む一文の確認
3 傍線部を、全体の展開の中で位置づける 
4 部分要旨、同義関係、対比関係などの把握

本文、傍線部、設問文から、上記4点を意識して、解答を作成する
松本孝子先生Twitterより)

日本史 Edit

  • 京大日本史は、記述対策を先にやろうとする受験生がいると思うが、まずは論述対策を優先させたい。それによって大きな枠と筋をつかみたい。
    語句を詰め込むのはその後でよい。詰め込む時は、たとえば、『時代と流れで覚える日本史B用語』(文英堂)の空所と赤字をともに仕上げていきたい。
  • 京大日本史を考えたら、東進一問一答じゃなくて『時代と流れで覚える日本史B用語』だよ
  • 共テの「歴史総合・日本史探究」試作問題に即せば、歴史総合分野は清水書院の教科書でも対応できる。トップレベルの進学校でも東大・京大など国公立大志望なら清水書院のもので十分(東大・京大は2次で歴史総合を入れていないし)。
    (以上、塚原哲也先生Twitterより)

出身者 Edit

  • 講師も本学出身の人が多い。
  • 関西駿台の各教科のトップクラスの講師の殆どはここ出身といっても過言ではない。

英語科:桜井博之先生・竹岡広信先生・塚田潤先生など

数学科:米村明芳先生(理学部)、杉山義明先生(理学部)、池谷哲先生、日下大輔先生など

現代文科:川戸昌先生・小泉徹先生、中野芳樹先生・など

古文科:前田春彦先生など

物理科:新田克己先生、高井隼人先生・三幣剛史先生・行政貴裕先生(工学部など

化学科:石川正明先生・北山一先生・星本悦司先生・岡哲大先生など

  • 関東でも、京大コースや京大対策講座を担当する秋本吉徳先生(工学部中退)・久山道彦先生・永島豪先生・高野辺康介先生は本学出身である。
  • 大学院の修士課程以上を出ている先生も多い。また、久山先生や石川先生は京大で博士号を取得しておられる。
    • そのため、検索すると論文がヒットしやすいが、中野先生の修士論文はなぜかヒットしない。




*1 高梨光司著『佐多愛彦先生伝』(昭和15年5月)
*2 『京都帝国大学史』pp.17-18、『京都府立医科大学百年史』1974年、p.67
*3 時の京大医学部長・岡本道雄教授に手紙を書いて「50歳を越えている者でございますが、もし試験ができましたら入学をご許可して頂けるでしょうか」と尋ねた。これに対し、岡本学部長からは「京大はそのような差別は一切いたしません。安心して試験を受けてください」との返事があった。
*4 現・工業化学科
*5 現・工業化学科