旧制医学専門学校 のバックアップ(No.74)


 旧制医学専門学校(きゅうせいいがくせんもんがっこう)は、太平洋戦争前・中の旧学制における医師養成学校のひとつ。専門学校令により設置された高等教育機関である旧医専)。

概要 Edit

 旧制医学専門学校は、入学するために中等学校を卒業し高等予備教育(旧制高等学校もしくは大学予科)を修了する必要があった旧制大学医学部旧制医科大学とは異なり、5年制の旧制中学校・高等女学校卒業により入学し、高等予備教育を経ずに4年若しくは5年の学修年限による臨床医の即時養成を主な目的とした。

 明治時代から大正時代前期まで、政府は帝国大学以外に大学としての高等教育を認めておらず、医師の養成は大学レベルの帝国大学と専門学校レベルの医学専門学校の2系統で行われていた。

 

 一般的には旧医専といえば、戦前からの私立8医専+日大医と「戦時の医専」を指す(国立12大学・公立7大学・私立10大学)。

  • 弘前大学、群馬大学、東京医科歯科大学、信州大学、鳥取大学、徳島大学、三重大学、岐阜大学、神戸大学、広島大学、山口大学、鹿児島大学、
  • 札幌医科大学、福島県立医科大学、横浜市立大学、名古屋市立大学、大阪市立大学、奈良県立医科大学、和歌山県立医科大学、
  • 日本大学、岩手医科大学、東邦大学、順天堂大学、昭和大学、東京医科大学、東京女子医科大学、大阪医科大学、関西医科大学、久留米大学

 (以上A級)、
(日本大学は専門部医学科から1942年に旧制大学医学部に昇格している。)

  • (秋田大学)、(山梨大学)、△高知県立大学、(高知大学)、△九州歯科大学(以上B級)
    • 括弧付きは戦後廃止された医学専門学校の流れを間接的に汲む大学。秋田、山梨、高知の各大学医学部は、各県の医学専門学校が廃校になっており、医専の直接の後継校ではない。
    • △高知女子大(現・高知県立大)と九州歯大は新制大学として存続したが、医専は廃止されたので医学部はない。

戦前の医専 Edit

19校→8校(官立5→6→0校、公立3→4→0校、私立5→9→8校)

官立0校(5+1新潟-1仙台-5)、公立0校(3+1熊本-4)、私立5→9→8校

 

 戦前に存在した官立・公立の各医学専門学校は、既に帝国大学医学部(官立仙台、大阪府立、愛知県立)や医科大学(仙台を除く官立五医専、京都府立、熊本県立)に昇格していたため、一般的には旧医専とは呼ばれないが、「戦前の医専」19校を旧制医専と呼ぶ例もある。

 

 1903(明治36年)3月,それまで準拠する法令のなかった専門学校について,「専門学校令」が公布された.これと公立私立専門学校規程の公布により、専門学校と認められるのは同令に準拠し,文部省の設置認可を受けた学校に限られることになった.

 1901年(明治34年)に高等学校医学部から独立した5校の官立医学校,それに愛知・京都・大阪の3公立医学校は,いずれも専門学校令の施行と同時に医学専門学校になった.

 明治末年、医学の高等教育機関は東京・京都・九州の3帝国大学医科大学以外には、官立6校・公立3校・私立4校の医学専門学校があった。

 

 1918[大正 7]年の時点での専門学校は,官立の医学専門学校が 5 校(千葉,岡山,金沢,長崎,新潟),公立の医学専門学校が 2 校(京都,愛知[名古屋]),私立の医学専門学校が 5 校(慶応,東京慈恵会,熊本,日本,東京女子)の計12校であった.

 大正7年、帝国大学以外にも大学の設置が認められる「大学令」が公布されると、翌8年に第一号の認可を受けたのは、府立大阪医科大学でした。その後も医学専門学校から医科大学への昇格が続き、大正13年末には、5帝国大学と慶応大学の医学部を含む医科大学16校に対して、医学専門学校は私立の3校のみとなっていました。

 1919年(大正8年)の大学令施行以後の一連の昇格によって医学専門学校は減少し、昭和の戦前期には官立・公立校は内地に1校もなく、私立の9校(内2校は女子医専)のみになった。この内7校は大正末期から昭和初期にかけて新設されたものであった。

 そうした中、時代に逆行する形で大正14年(1925)3月に設立されたのが、日本大学専門部医学科(現・医学部)と帝国女子医学専門学校(現・東邦大学医学部)でした。

 1939[昭和 14]年の時点での医学専門学校は,私立が 9 校(東京女子,東京,帝国女子,日本大学,昭和,岩手,大阪女子,大阪,九州[久留米])であった.

 

旧制医科大学

官立6校 Edit

旧制高等学校医学部(5校) Edit

 明治初期に全国あまねく設立された公立医学校のほとんどは、一斉に忽然と消滅してしまう。生き残ったのは官立に移管された5校と、公立のままで存続する3校(愛知、京都、大阪)だけであった。
 高等中学校は1894[明治 27]年に高等学校となり,その医学部は、明治34(1901)年4月勅令第二十四号により、官立の医学専門学校として、分離独立することになった。

 

1.第一高等学校医学部千葉医学専門学校→千葉医科大学

2.第二高等学校医学部仙台医学専門学校→東北帝国大学医学専門部→東北帝国大学医学部

  • (明倫養賢堂(宝暦10年[1760年])→仙台藩医学校(文化14年[1817年]*1)→施薬所(1869(明治2)年→)
  • 宮城県立医学所(1872(明治5)年5月~8月)→共立病院附属学舎(共立学舎)(1872(明治5)年9月)→共立義塾(1873(明治6)年3月)→共立病院附属塾舎(1873(明治6)年8月)→宮城病院附属医学校(1879(明治12)年7月)→(県立)宮城医学校(1880(明治13)年)→
    宮城病院附属医学校(1881(明治14)年)→宮城医学校(1882(明治15)年7月)→(官立)第二高等中学校医学部(明治20年[1887年]8月)→第二高等学校医学部(明治27年[1894年]6月)→仙台医学専門学校(明治34年[1901年]4月1日*2)→東北帝国大学医学専門部(明治45年[1912年]4月1日*3)→東北帝国大学医科大学(大正4年[1915年]7月14日)→東北帝国大学医学部(大正8年[1919年]4月1日)→(新制)東北大学医学部(昭和26年[1951年])

3.第三高等学校医学部岡山医学専門学校→岡山医科大学

4.第四高等学校医学部金沢医学専門学校→金沢医科大学

5.第五高等学校医学部長崎医学専門学校→長崎医科大学

 

医学専門学校(1校) Edit

 1901年、旧制高等学校医学部 5校が独立し、医学専門学校 (医専) となり (千葉・仙台・岡山・金沢・長崎)、新潟県内でも官立医専設置の要望が高まった。

6. 新潟医学専門学校

  • (施蘭薬院、新潟県施薬院(1869)→新潟仮病院(共立病院)(1870)→新潟病院(1873)→県立新潟病院附属医学所(1876)→県立新潟医学校(乙種医学校)(1879)→県立甲種新潟医学校(1883)→廃止(1888)→)
    官立新潟医学専門学校(1910)(→旧制新潟医科大学附属医学専門部、旧制新潟医科大学→旧制新潟大学新潟医科大学→新制新潟大学医学部
     

※なお、熊本県立医学専門学校が、官立に移管されたのは「医科大学」になってからで、官立医専だった時期はない(私立→県立)。

 

京城医学専門学校

台北帝国大学附属医学専門部

 

公立(4校) Edit

医学専門学校(4校) Edit

 

1. 愛知県立医学専門学校(1903)

  • 仮医学校(1871, 明治4年)→仮病院(愛知県病院)附属医学講習場→公立医学所→公立医学校(明治11年)→愛知医学校→愛知県立医学校→愛知県立医学専門学校(→旧制愛知県立愛知医科大学→官立名古屋医科大学→名古屋帝国大学医学部→新制名古屋大学医学部
     

2. 京都府立医学専門学校(1903)

  • 京都療病院→療病院・医学校(明治12年4月16日)→京都府医学校→京都府立医学専門学校(→旧制京都府立医科大学→新制京都府立医科大学)
     

3. 大阪府立高等医学校(1903)明治36年10月

  • (適塾→)大坂府仮病院(明治元年12月)→浪華仮病院及び仮医学校(明治2年2月[1869年2月])→大坂府病院(明治2年7月19日)、大坂府医学校病院(明治2年11月)→(官立)大阪医学校(明治3年2月)→(官立)第四大学区医学校(明治5年8月)→廃止(明治5年10月2日)→
  • 大阪府病院教授局→大阪公立病院教授局→府立大阪医学校(明治13年3月)→大阪医学校(明治21年1月)→大阪府立医学校(明治34年6月)→大阪府立高等医学校((1903)明治36年10月)(→府立大阪医科大学→旧制大阪医科大学→大阪帝国大学医学部→新制大阪大学医学部
     

4. 熊本県立医学専門学校(1921年(大正10年)4月)

  • (医学寮再春館医学校(1756年(宝暦6年)12月)→藩立医学所1871年(明治4年)7月)→官立医学所兼病院(通称:古城医学校)→通町病院(1875年(明治8年)3月)→北岡仮病院教場(1877年(明治10年)2月)→県立医学校(1878年(明治11年)4月)→熊本医学校→県立熊本医学校*4
  • (春雨社→春雨社伝習会→)私立熊本病院(春雨黌)→(私立)九州学院医学部1891年((明治24年)10月)→私立熊本医学校(1896年(明治29年)9月)→私立熊本医学専門学校(1904年(明治37年)2月)→熊本医学専門学校(1919)→熊本県立医学専門学校(→旧制熊本県立熊本医科大学→熊本県立医科大学→官立熊本医科大学→旧制熊本大学熊本医科大学→新制熊本大学医学部
     

私立9校 Edit

 私立医学校で専門学校に移行したのは、いずれも半官半民的な性格をもつ東京慈恵会医学専門学校と私立熊本医学専門学校の2校だけだった。
 1905[明治 38]の時点での私立医学専門学校は 2 校(東京慈恵会,熊本)であった.

 医術開業試験制度の廃止の決定を契機に,日本(明治45年),東京女子(同),東京(大正7年)の3校が,各種学校から正規の医学専門学校に移行した.

 1920年(大正9年)の大学令公布の時点で私立医専は,東京慈恵会・熊本・日本・東京女子・東京の5校であった。

 大学令公布当時の官公私立医学専門学校は,東京医専と東京女子医専の2校を残してすべて大学昇格を果たした。

 

・私立東京慈恵医院医学専門学校(明治36年(1903)6月認可。)

  • (慶應義塾医学所(1873年(明治6年) - 1880年(明治13年)→)成医会講習所(明治14年(1881)5月1日)→成医学校→東京慈恵医院医学校→私立東京慈恵医院医学専門学校→私立東京慈恵会医院医学専門学校(→旧制東京慈恵会医科大学→新制東京慈恵会医科大学)

・熊本医学専門学校(1904年(明治37年)2月)

  • 医学寮再春館医学校(1756)→藩立医学所(1871)→官立医学所兼病院(通称:古城医学校)(1871)→通町病院(1875)→北岡仮病院教場(1877)
  • 県立医学校(1876)→熊本医学校(1878)→県立熊本医学校(1883)
  • (春雨社(1882)→春雨社伝習会(1886)→)私立熊本病院(春雨黌)(1888)→(私立)九州学院医学部(1891)→私立熊本医学校(1896)→私立熊本医学専門学校(1904年(明治37年)2月)→熊本医学専門学校(1919)(→熊本県立医学専門学校(1921年(大正10年)4月)→(旧制)熊本県立熊本医科大学(1922年(大正11年)5月)→熊本県立医科大学(1929年(昭和4年)4月(→(旧制官立)熊本医科大学(1929年(昭和4年)5月)→(旧制)熊本大学熊本医科大学(1949年(昭和24年)5月31日)→(新制)熊本大学医学部(1949年(昭和24年)5月31日))

・日本医学専門学校(明治45年)

  • (博愛舎→濟衆舎→濟生學舎(1876年(明治9)4月7日)→東京医学専門学校済生学舎(1884年3月)→)濟生學舎同窓医学講習会→私立日本医学校→日本医学専門学校(→旧制日本医科大学→新制日本医科大学)
     

1. 東京女醫學校→東京女子医学専門学校(明治45年)(→旧制東京女子医科大学→新制東京女子医科大学)

2. 東京医学講習所→東京医学専門学校(大正7年)(→旧制東京医科大学→新制東京医科大学)

 

3. 帝国女子医学専門学校→帝国女子医学薬学専門学校→東邦女子医学薬学専門学校(→旧制東邦医科大学→新制東邦大学医学部

4. 日本大学専門部医学科(→旧制日本大学医学部→新制日本大学医学部

  • 1925年(大正14年)3月 開設。
  • 1942年3月 日本大学医学部として旧制大学医学部に昇格。
  • 1948年(昭和23年)3月 専門部医学科を廃止。

5. 大阪高等医学専門学校(→旧制大阪医科大学→新制大阪医科大学)

6. 岩手医学専門学校(→旧制岩手医科大学→新制岩手医科大学)

7. 昭和医学専門学校(→旧制昭和医科大学→新制昭和大学医学部

8. 大阪女子高等医学専門学校(→旧制大阪女子医科大学→新制大阪女子医科大学→関西医科大学)

9. 九州医学専門学校→九州高等医学専門学校(→旧制久留米医科大学→久留米大学医学部

 
  • これらは後に旧設(私立)医科大学とも呼ばれ、私大医の中では御三家(慶應・慈恵・日医)に次ぐ存在である。

戦時の医専 Edit

  • 医専33校と附属医専18校の計51校
    • うち、私立医専8校は戦前から。
    • 52校とする文献もあるが、徳島医専を公立、官立の両方でカウントして重複しているか、日本大学も含めているかである。
    • 外地にも、官立4校、公立4校、私立4校の計12校あった。

附属医専18校(官立13校、公立1校、私立4校)
医専25校(官立6校、公立18校、私立1校)
計43校(官立19校、公立19校、私立5校)

  • 旧医専といえば、一般的には戦前からの私立8医専+日大医と「戦時の医専」を指す(官立12大学・公立7大学・私立10大学)。
  • 戦時中の医専は、後述の北杜夫氏や手塚治虫氏のように、旧制高校(今の大学に相当)に落ちて仕方なく進学するという側面もあった(ただし、手塚氏も北氏も名門中学出身で、そこまで医専が低レベルだったわけではない)。

臨時附属医学専門部(附属医学専門部) Edit

18校(官立13校、公立1校、私立4校)

  • 戦時中の医師不足対策の一環として、軍医速成を目的に設立された。
  • 軍部は当初、千葉医科大学の接収を望んでいたが、文部省が認めず、代わりに臨時附属医専が設置された。
  • 学制上は医学専門学校と扱われた。
  • 昭和19年3月には「臨時」の二文字省かれて附属医学専門部となり,昭和27年3月の卒業生を最後に廃止された.
  • 戦後も、原爆被害の影響でB級医専判定された長崎医科大学附属医学専門部(旧制官立長崎高等学校を経て廃校)以外は存続したが、1946年、文部省令により、7帝大医学部、6官立医大附属医学部専門部、募集停止。在学生の卒業を以て廃校(文部省発学60号)。就業年限4年を1年延長。5年となる。
  • 臨時医専以外にも歯科医師資格を持つ者に,1 年間の臨床系統講義を行い,医師国家試験受験資格を与える「特設部(臨時部)」を慶應義塾大学医学部と東京慈恵会医科大学の 2 校に設置した.
 

官立13校

  • 1939年(昭和14年)5月、「七帝大六医大」に臨時附属医学専門部(略称:臨時医専,またのちに「臨時」が除かれた)が付設された。
    • 小説家の北杜夫氏は、旧制麻布中学を4年で修了し(4修)、旧制松本高校(現・信州大学)に落ち、東京帝国大学臨時附属医学専門部に進学したが、すぐに退学して麻布中5年に復学した(後に、旧制松本高校理科乙類→旧制東北大学医学部に進学)。
    • 漫画家の手塚治虫氏は、旧制大阪府立北野中学(現・大阪府立北野高等学校)を4年でくりあげ卒業し、旧制大阪府立浪速高校高等科(現・大阪大学)に落ち、大阪帝国大学附属医学専門部に進学した(卒業時は、大阪大学附属医学専門部)。
 

帝国大学

 1. 北海道帝国大学臨時附属医学専門部

  • 1945年、在学生の卒業を俟って廃校を決定。

 2. 東北帝国大学臨時附属医学専門部

  • 1939(昭和14)年5月15日臨時附属医学専門部設置。
  • 1944(昭和19)年4月1日臨時附属医学専門部を附属医学専門部に改称。
  • 1952(昭和27)年4月1日附属医学専門部廃止。

 3. 東京帝国大学臨時附属医学専門部

  • 教職員・施設・設置場所を継承して東京大学医学部衛生看護学科(略称:衛看,現・健康総合科学科)となった。*5

 4. 名古屋帝国大学臨時附属医学専門部(1949年廃止)

  • 1947年(昭和22年) 10月、名古屋大学附属医学専門部と改称(1950年廃止)

 5. 京都帝国大学臨時附属医学専門部(1952年3月廃止)

 6. 大阪帝国大学臨時附属医学専門部(1951年3月廃止)*6

 7. 九州帝国大学臨時附属医学専門部(昭和27年3月 廃止)

 

旧六医科大学

 1. 千葉医科大学臨時附属医学専門部

 2. 新潟医科大学臨時附属医学専門部

  • 1952年3月31日廃止。

 3. 金沢医科大学臨時附属医学専門部

 4. 岡山医科大学臨時附属医学専門部

 5. 熊本医科大学臨時附属医学専門部

  • 1950年(昭和25年)3月廃止。

 6. 長崎医科大学臨時附属医学専門部(→旧制官立長崎高等学校→新制長崎大学)

 

公立1校

 1944年4月、京都府立医科大学、慶應義塾大学、東京慈恵医科大学、日本医科大学、日本大学(?)にも附属医学専門部が付設された。

 

 1. 京都府立医科大学附属女子専門部

  • 昭和19年4月専門学校令による女子専門部を大学に付置。
  • 1946年の入学者を最後に生徒募集を停止。
  • 戦後、独自の大学昇格を見送られ廃止されたが、1947年設立の京都府立医科大学予科は男女共学となった。
 

私立4校

 1. 慶應義塾大学附属医学専門部

  • 1951年6月解散記念式。1952年3月閉校。*7

 2. 東京慈恵会医科大学附属医学専門部

  • 廃校となった他の医学専門学校の学生を受け入れ、1952年3月閉校。

 3. 日本医科大学附属医学専門部

  • 昭和19年(1944)3月、併設(昭和25年閉校)。

 4. 日本大学附属医学専門部?

 

医学専門学校 Edit

25校(官立6校、公立18校、私立1校)

  • 太平洋戦争の開戦以降、下級軍医の不足は極めて深刻な状態となった。1943年(昭和18年)10月、東條内閣の閣議決定により「戦時非常措置」が公布され、各地に医学専門学校が新設される。この措置によって、国立男子6校、公立男子13校、公立女子7校と数多くの医専が設置された。
    更に1944年(昭和19年)4月には東京高等歯科医学校に医学教育課程が設置、同時に東京医学歯学専門学校と改称し歯科医師養成に加え医師養成の役割を負うことになった。これに伴い、中学四年次修了を入学要件とする「歯学科」に「医学科」(各定員100名)が増設された。
 

官立医専6校

1. 青森医学専門学校→旧制弘前医科大学→新制弘前大学医学部

2. 前橋医学専門学校→旧制前橋医科大学→新制群馬大学医学部

3. 東京医学歯学専門学校医学科→旧制東京医科歯科大学医学部→新制東京医科歯科大学医学部

4. 松本医学専門学校→旧制松本医科大学→新制信州大学医学部

5. 徳島県立徳島医学専門学校→官立徳島医学専門学校→旧制徳島医科大学, 旧制徳島高等学校(徳島大学医学部に吸収され廃止)→新制徳島大学医学部

6. 米子医学専門学校→旧制米子医科大学→新制鳥取大学医学部

 
  • 旅順医学専門学校
  • 樺太医学専門学校(庁立→官立)(1946年度より生徒募集を停止。学生は北海道帝国大学附属医学専門部に編入)
 

公立医専11校

 昭和18年からの3年間で19校が設置された(徳島県立医専を含む)。すでに官立で設置することが財政的に困難となったため、政府が府県に設立を慫慂した。

 県立から官立に移管された徳島医学専門学校も含めて公立12医専とする場合もある。

 

1. 山梨県立医学専門学校(→旧制山梨県立高等学校。1951年閉校、設備は山梨大学へ)

2. 横浜市立医学専門学校(→旧制(横浜市立)横浜医科大学→新制横浜市立大学医学部

3. 三重県立医学専門学校(→旧制三重県立医科大学→新制三重県立大学医学部→三重大学医学部

4. 奈良県立医学専門学校(→旧制奈良県立医科大学→新制奈良県立医科大学 )

5. 和歌山県立医学専門学校(→旧制和歌山県立医科大学→新制和歌山県立医科大学)

6. 大阪市立医学専門学校(→旧制大阪市立医科大学→新制大阪市立大学医学部

7. 広島県立医学専門学校(→旧制広島県立医科大学→新制広島医科大学→広島大学医学部

8. 兵庫県立医学専門学校(→旧制兵庫県立医科大学→新制兵庫県立神戸医科大学→神戸大学医学部

9. 山口県立医学専門学校(→旧制山口県立医科大学→新制山口大学医学部

10. 福岡県立医学歯学専門学校医学科(→旧制福岡県立高等学校。1951年廃校、設備は九州歯科大学へ)

  • B級医専と認定され医学科を廃止し、福岡県立歯科医学専門学校に改称。新制九州歯科大学に昇格。

11. 鹿児島県立医学専門学校(→旧制県立鹿児島医科大学→新制鹿児島県立大学医学部→鹿児島大学医学部

 

公立女子医専7校(+1京都府立)

1. 名古屋市立女子高等医学専門学校(→旧制名古屋市立女子医科大学→旧制名古屋市立大学医学部(共学)→新制名古屋市立大学医学部

2. 岐阜県立女子医学専門学校(→旧制岐阜県立医科大学(→新制岐阜県立岐阜医工科大学医学部)→岐阜県立大学医学部→岐阜県立医科大学→岐阜大学医学部

3. 北海道庁立女子医学専門学校→北海道立女子高等医学専門学校(→一旦廃校→新制札幌医科大学)

4. 福島県立女子医学専門学校(→旧制福島県立医科大学→新制福島県立医科大学)

5. 山梨県立女子医学専門学校(B級医専と認定され廃止)(→旧制山梨県立高等学校。1951年閉校、設備は山梨大学へ)

 (京都府立医科大学附属女子専門部)

6. 高知県立女子医学専門学校(B級医専と認定され廃止)(→旧制高知県立女子専門学校→新制高知女子大学→高知県立大学)

7. 秋田県立女子医学専門学校(B級医専と認定され廃止)(→旧制秋田県立高等学校。1950年閉校、設備は秋田大学へ)

8. 大連女子医学専門学校(廃止)

9. 京城女子医学専門学校(→高麗大学校医科大学)

 

私立医専1校

 順天堂医学専門学校(→旧制順天堂医科大学→新制順天堂大学医学部

 

参考文献 Edit

参考文献

  • 菅谷章「日本医療制度史」.1976:原書房.
  • 天野郁夫「大学令と大正昭和期の医師養成」,坂井建雄編「日本医学教育史」第 5 章 2012:東北大学出版会.




*1 文化14年[1817年]廃止
*2 明治36年[1903年]専門学校令認可
*3 大正7年[1918年]4月26日廃止
*4 1888年(明治21年)3月、勅令第148号により廃止。
*5 東京大学医学部附属病院分院創立百周年記念誌編集委員会『東京大学医学部附属病院分院創立百周年記念誌』東京大学医学部附属病院分院創立百周年記念事業実行委員会、1996
*6 大阪府教育委員会編『大阪府教育百年史』第一巻、1973
*7 『慶応義塾大学附属医学専門部史 : 1944-1952』, 慶応義塾大学, 1953.11.