東京大学学生文化指導会 のバックアップ(No.9)
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- 東京大学学生文化指導会 へ行く。
- 1 (2021-05-07 (金) 06:56:34)
- 2 (2021-05-07 (金) 07:56:56)
- 3 (2021-05-07 (金) 23:23:53)
- 4 (2021-05-26 (水) 03:43:36)
- 5 (2021-05-29 (土) 09:58:58)
- 6 (2021-06-28 (月) 23:12:50)
- 7 (2021-07-01 (木) 04:58:44)
- 8 (2021-10-12 (火) 18:43:36)
- 9 (2022-01-21 (金) 00:18:29)
- 10 (2022-01-26 (水) 14:07:18)
- 11 (2022-01-26 (水) 15:16:32)
概要
- 東京帝国大学で、1946年7月に学部会連合会による講習会「東大夏期学校」、10月に有志学生による通信添削と模擬試験を実施するための組織「東京帝国大学通信指導会」が発足した 。
- この二者が1947年に合併し、「東京大学学生文化指導会」(文指)となった。
特徴
- サンデースクール、サマースクールという講習会を開設したり、受験雑誌を発行したりしていた。
- 東京英会話学院により、東京大学学生文化指導会講師たちを中心に東京・神田に千代田予備校*1が創設された。
- しかし、加賀谷林之助師が、同会責任者だった奥井潔師を手始めに、津野田修吉師、中田義元師、根岸世雄師などを千代田予備校から次々と駿台に引き抜いたため、千代田予備校は受験クラスを残しながら英会話クラスを設け、昭和39(1964)年、学校名を神田外語学院に改称する。
https://www.kandagaigo.ac.jp/memorial/interview/19/interview_19_3.html
- しかし、加賀谷林之助師が、同会責任者だった奥井潔師を手始めに、津野田修吉師、中田義元師、根岸世雄師などを千代田予備校から次々と駿台に引き抜いたため、千代田予備校は受験クラスを残しながら英会話クラスを設け、昭和39(1964)年、学校名を神田外語学院に改称する。
東京大学学生文化指導会は、戦後間もない1946年4月に東京大学本郷キャンパス(第二工学部)において、中学生を対象に発足しました。
その当時は東大生による良心的な通信添削がメインでして、時には、中学生を本郷キャンパスに集めて、家庭教師の集団指導的なものを行なっていたようです。
その当時は入学試験が熾烈でなかったため、少しのんびりしていたようですが、社会情勢が戦前のような状態に戻ると(戦後間もない頃の混乱期を脱したと言う意味)、入学試験も苛烈を加え大学受験生の間に学力コンクールを開いて欲しいと言う要望が高まりました。
1948年10月に文部省の認可の元に財団法人となり、組織的な大きな団体となります。
財団法人東京大学学生文化指導会は三大事業を掲げていて、すなわち、一つ目が通信事業部(東大受験雑誌「アルファ・ベータ―(αβ)」(当初は毎月20日に発行されておりましたが、後に毎月1日に発行)・東大突破通信添削指導(英数国理社の5科目・4月~1月までの10か月間・東大生による懇切な指導、東大入試傾向に準拠した出題・熱意にあふれた丁寧な添削指導)、二つ目がスクール部(サンデースクール(毎週日曜日開講、高1・高2・高3及び一般教養クラス開設)・サマースクール(夏期講習)・ウインタースクール(冬期講習))、三つ目がコンクール部(高校受験アチーブメントコンテスト・大学受験学力コンクール、これらはいわゆる模擬試験で難問を出題することで有名だったようです)から成り立っておりました。
1951年~52年頃は予備校の全盛期であると言われ、予備校が乱立したわけですが、東京大学学生文化指導会は通信添削を基本とし、決して商業政策的な態度を取らず、あくまで学生の本分は勉学であるとし、その余暇を受験生に対して少しの助力をさしのべてこようとしてきたわけです。
東京大学学生文化指導会には、言うまでもなく東大生・東大院生が所属していて、かつては東大生が作った参考書として知られる『大学への英文解釈』の著者である、松山恒見先生(編集当時は東大院生、後に獨協大学名誉教授)・小田島雄志先生(編集当時は東大生、言わずと知れたシェイクスピアの戯曲を全訳した著名な英文学者・演劇評論家、東京大学名誉教授)・金子嗣郎先生(編集当時は東大生、著名な精神科医、後に都立松沢病院院長を務める)・鴨沢康夫先生(編集当時は東大生、建設大学(後の国土交通大学校)校長などを歴任)や、さらに東洋大学名誉教授および駿台予備学校講師として名講義を繰り広げてきた奥井潔先生も東京大学学生文化指導会に所属しておりました。
本商品とは少し時代が違いますが(本商品は1951年)、 1959年当時、東京大学学生文化指導会の通信添削は6万人の会員を擁し、独創的な問題の作成に大いに気を配り、決して模倣をしないという方針を貫き通していた為からか、問題の質が大変良いと言う点において各方面から多大な賞賛を受けておりました。
ある予備校などは東京大学学生文化指導会の通信添削の問題をそのまま教材に使っていたそうです。
「αβ」(東大受験★THE ALPHA-BETA)の前身である「時計台だより」は1950年8月に通信添削部の機関紙として発足し、その後通信添削会員の増加と東京大学学生文化指導会に発展に伴い、従来の形態から脱し、1951年5月より、その名も「αβ」と改めたわけです(1951年5月発行が第1号)。
東大入試のための受験雑誌であることを念頭に置き、入試に直結する有益な記事を東大生・一流高校の教官が執筆、東大受験に必要な知識、資料を提供したり、東大生活の実態を紹介したり、さらには東大教授陣による教養講話などを盛り込むなど、受験生の座右の雑誌であったわけです。
出身者
- 神田直人(独恊学園教諭)
- 宮坂和江
- 『国文法要説(教養受験シリーズ)』(修学社、1958年5月1日)の編者。
- 河北騰 元立正大学大学院教授。獨協大学名誉教授。
- 友野一郎
- 八木達彦
- 井上厳
- 木村孝一
- 小田川匡雄(弘前高等学校教諭)
出版物
- 「時計臺だより」(東大学生文化指導会、1950-)
- 「東大受験αβ」(東京大学学生文化指導会)
- 『文芸用語辞典』(東京大学学生文化指導会 編 東京大学学生文化指導会、1950)
- 『現代文学人名辞典』(東大学生文化指導会 編 東大学生文化指導会、1950)
- 『法学研究の栞〈上,下〉』(東京大學学學文化指導會 編 財團法人東京大學學生文化指導會、1950年2月1日)
- 『経済学読本』(東京大学学生文化指導会 編 東京大学学生文化指導会、1950)
- 『現代文学人名辞典』(東京大学学生文化指導会、1951 3刷)
- 『世界史辭典』(東京大學文學部内世界史辭典編簒委員會 編 財團法人東京大學學生文化指導會、1950年9月15日)
- 『東大の解析』(東大学生文化指導会編 東京大学学生文化指導会/研文社、1952.11-)
- 『大学への解析』(東大学生文化指導会 編 東京大学学生文化指導会/研文社、1953.10)
- 『大学への幾何 東大の幾何改題』(東京大学学生文化指導会 監修 研文社、1953年10月30日)
- 『大学への英文解釈-東大の英文解釈改題-』(東大学生文化指導会 編/朱牟田夏雄 監修、小田島雄志・松山恒見 他 共著 研文社、1953年8月25日)
- 『大学への生物』(井上巌・木村孝一 共著 研文社、1961年)