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奥井潔(おくい きよし、1924年 - 2000年)は、日本の英文学者、英語教師。東洋大学名誉教授。元駿台予備学校英語科講師。元東京大学学生文化指導会責任者。元千代田予備校講師。 //検索で来た人向けの注意書き //ここでは奥井師の英語教師としての側面を中心に記述する。 *経歴 [#m15fd47b] -1924年、台湾生まれ -1943年、学徒出陣。 -1952年、東京大学文学部英文科卒業。 --復員後、中野好夫の指導を受けた。 -千代田予備校講師。 -山手英学院非常勤講師。 -1954(1953?)年、駿台高等予備校講師。 //ご本人が昭和28年ともおっしゃっており定かではない。 大学教員の傍ら半世紀近くにわたり教鞭をとり続けた -1995年、東洋大学名誉教授。 この間、東京大学、法政大学、埼玉大学、東京女子大学、慶應義塾大学などの講師を歴任する。 東洋大学文学部長なども勤める。 -2000年、急性上部消化管出血により死去。享年76。 *授業 [#w545c97b] -通常授業では「CHOICE EXERCISES」、季節講習では「上級英解(奥井講座)」などを担当していた。 --どちらも、短い英文ながら、文学作品や哲学書の原典からの引用など非常に重くかつ示唆に富む内容で、文法や単語が分かっただけでは一筋縄で和訳できないような文章が選りすぐられていた。 -授業は英文の文法上の要点を軽く説明したあと、本文を一文一文丁寧に訳出し、最後に本文に関連した雑談を行う。この雑談は、本文の理解の助けになる内容にとどまらず、人生論・道徳論にまでおよぶものであった。 -師の授業の本質は師の深い見識から紡がれる豊かな内容の雑談であり、これにより難解な英文の内容を深く理解し、また多感な受験生に自分の人生について深く考えることを促すことにあったと思われる。もとより、受験レベルの些末な知識を増やすことは師の指導の眼目にはなかったのであろう。 -とはいえ、師の和訳は単語一つ一つの意味を損なうことなく、be動詞ひとつもおろそかにすることのない正確で流暢なものであり、その難解な英文をさらりと日本語に翻訳するプロセスを追体験することは、あたかも目の前の霧が一気に晴れるかのような知的快感を伴うもので、受験生としても大い勉強になるものであった。また、英語力のみならず現代文の記述力も同時に鍛えうるものであった。 --奥井師も自ら英文を深く理解する力を鍛えることは、自ずと現代語力を鍛えることにほかならない、と述べていた。 -板書はほとんどしなかった。 -「CHOICE EXERCISES」は前期・後期、すべての英文を説明した。 他の講師は半分から三分の二くらいであった。 --勝田師曰く「どうしたら奥井先生みたいに進められるんですかねえ?」 --筒井正明師よりも解説はゆっくりしていた。 --伝説のCHOICEに関しては、河合塾から駿台に移籍した斎藤雅久師(現・河合塾コスモ講師)が『かつて「チョイス」という名の英語教材があった』(游学社、2015年)を出している。((河合塾に籍を置いたままの兼任説もある。)) -駿台予備学校において毎年3月に開催されていたセミナー(現大学準備講座)で毎年行われた師の「駿台を巣立つ諸君へ」と題した講演は毎年受験を終えた駿台生が数多く聴講した。今まさに駿台を巣立とうとしている学生達への奥井師からのエールとも言える感動的な内容であった。 --この「駿台を巣立つ諸君へ」という演題は鈴木海太師の大学準備講座における講演の演題として今なお引き継がれている。 -クラスが下がるたびに若干やる気がなくなっていっていた模様。 --最上位クラスだと感極まって泣いたりすることがあったらしいが、下のクラスなるほどそれはなくなっていた。 *担当授業 [#hc7bb7ce] //<知っている担当講座がありましたら、追加してください。> //<記入例(通期以外は≪担当校舎名≫のみ記入) //-≪講座名≫ //〔≪担当校舎名≫-≪担当クラス名≫,≪担当クラス名≫〕> //〇〇〇〇には担当している西暦を入れてください。(ex:-2018-、-2018/19-) -駿台予備学校においては、一貫して最上位クラスの英文解釈の授業を指導。 -京都校や校長を務めた大宮校にも出講していた。 -池袋校では英作文も教えていたらしい。 -札幌校にも夏期講習と冬期講習で出講していた。 **通期 [#l9f04fef] 京都校や池袋校にも出講経験がある。 -CHOICE EXERCISES --お茶の水校(1号館)・[[午前部理3>スーパー国公立大医系α]] --お茶の水校(3号館)・[[午前部文1>スーパー東大文系]] --お茶の水校(3号館)・[[午前部文1α>スーパー東大文系]] --お茶の水校(3号館)・[[東大文系スーパー>スーパー東大文系]] --お茶の水校(3号館)・[[午前部理1>スーパー東大理系]] --お茶の水校(3号館)・[[午前部理1α>スーパー東大理系]] --お茶の水校(3号館)・[[東大理系スーパー>スーパー東大理系]] --お茶の水校(2号館)・[[午前部理1β>スーパー京大理系]] --お茶の水校(5号館)・コース不明 -SELECT EXERCISES --お茶の水校(5号館)・[[一橋大セレクト>スーパー一橋大]] 1993?年度 **講習 [#i14737e0] //-≪講座名≫ ***夏期講習 [#n950ff66] -上級英解演習(奥井講座) -長文読解 -英文読解演習A 奥井師・松山恒見師(?) -思考力と感受性を磨く英文読解演習(駿台サテネット21) 1997年度 ***冬期講習 [#a2fc11c0] -上級英解演習(奥井講座) -英解総括 -英語長文読解演習(サテネット21) -英語長文読解演習(駿台サテネット21) --お茶の水4号館(ライブ講座) ***直前講習 [#a082fc94] -長文読解 -直前・長文読解実戦完成ー長文要旨把握ー --お茶の水校、大宮校で開講。 **特設単科講座 [#yf5ae116] -英文読解演習 基礎から完成まで(駿台サテネット21) *人物 [#h77ed30f] -英文学者。 -長身でギョロッとした目つきの紳士であった。 --顔立ちは小林秀雄や川端康成に似ていた。 -受講生のみならず、多くの講師や職員からも人格的に尊敬されていた。 -駿台での人気は、全盛期の伊藤和夫師をも凌ぎ、特設単科から直前講習まですべての講座が締め切りになっていた。 --池袋の駿優予備学校にも季節講習で出講していたが、締め切りになったことはなかった。 -常に威厳をたたえ、受講生に対し穏やかに、また時に情熱的に語りかけるような授業をする師であった。 --また、しばしば授業中に教壇を降り教室内を巡回しながら授業した。 -従軍経験者で%%爆弾の製造にも精通しておられるとの噂が%%あった。 -海軍に入って、古参兵から「貴様大学はどこだ!」「東大です」で殴られ、「貴様学部はどこだ!」「文学部です」で殴られ、「貴様専攻は何だ!」「英文学です」で殴られた。 -''東京大学学生文化指導会''の責任者だった。 -東京英会話学院により、同会講師たちを中心に創設された''千代田予備校''((現・神田外語学院))に出講していた。 --しかし、加賀谷林之助師が、奥井師を手始めに、津野田修吉師、中田義元師、根岸世雄師などを千代田予備校から次々と駿台に引き抜いたため、千代田予備校は受験クラスを残しながら英会話クラスを設け、昭和39(1964)年、学校名を''神田外語学院''に改称する。 https://www.kandagaigo.ac.jp/memorial/interview/19/interview_19_3.html -当時、横浜の''山手英学院''の専任講師だった伊藤和夫師を駿台に仲介した。 --伊藤師の方から奥井師に相談を持ちかけた。 --山手英学院も東京大学学生文化指導会と関係があり、奥井師も非常勤講師として夏期と冬期の講習に出講していた。 -かつて、駿台で「奥井師は元東大文学部長で、大学紛争時に山本義隆師によって捕らえられた。」という伝説が流布されていたが、全くのデマ(ネタ)であった。 -冬期講習期間中に体調を崩されており、ご自宅で教務課との電話の最中に吐血され病院に搬送されるも、そのまま息を引き取った。 *著作 [#qb8f9ca3] //<著作がある場合、//を削除して追加してください。> **学習参考書 [#hddf8549] //-『≪タイトル≫』(≪出版社≫、≪発売日≫) -『奥井の英文読解 3つの物語―分析と鑑賞(駿台レクチャー叢書~駿台レクチャーシリーズ)』(駿台文庫、1995年) -『大学入試 英文読解のナビゲーター(研究社ナビゲーター・シリーズ(3))』(研究社出版、1997年) -『〈新装版〉英文読解のナビゲーター』(研究社、2021年5月24日) -「思考力と感受性を磨く英文読解」 --『高校英語研究』(研究社)1994年度連載。 **一般書 [#gd708a8d] //-『≪タイトル≫』(≪出版社≫、≪発売日≫) -『奥井潔教授古希記念エッセー集』(藤野文雄・埋橋勇三 編 学術図書出版社、1995年3月) //**翻訳 **論文 [#tb1e5538] //-「≪論文タイトル≫」, 『≪掲載誌≫』, 掲載頁, 発表年月日, ≪出版社≫. -「イギリスのモラリスト達」, 駿台教育研究所編『駿台フォーラム』創刊号, pp.-, 1982, 駿河台学園駿台予備学校. -「無垢の歌(一)「クリスマス・キャロル」について -スクル-ジの降伏-」, 駿台教育研究所編『駿台フォーラム』第8号, pp.-, 1990, 駿河台学園駿台予備学校. -「伊藤和夫君に捧げる頌辞」, 駿台教育研究所編『駿台フォーラム』第15号, pp.73-75, 1997, 駿河台学園駿台予備学校. **映像教材 [#bd0ec227] -『高橋善昭・奥井潔の駿台の英語パワーアップゼミ(駿台ビデオ講座)』(NHKエデュケーショナル/駿台予備学校通信教育部) --NHK講座のビデオ化。 *名言 [#h77ed20f] -今ぐらい君たちが両親から金を奪い取ることができるときはないんです。この千載一遇の機会を利用しないということはありません。今頼めば、たいがい聞いてくれるでありましょう。 そして親から金を取ることは、ある意味で大切なことです。ある意味では親孝行の道かもしれませんよ。親父はまだまだこれで呆けてはいかんと思って頑張るでしょうね。君たちが両親の期待に沿い得るような日常生活をしているならば、君たちが必要のお金を出すことに、親は決して抵抗を感じないものなのであります。僕は親だからそう思う。([[親と金>http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/2713/meigen-kane.html]]) -大学で期待してはいけないことの一つは、教授に期待するなということであります。これはなかなか難しい。大きな期待を大学教授に持って入った人は、まず大半が失望落胆するのが普通なのであります。あまり大学の教授に期待してはいけません。彼らは、ある程度のオリエンテーションをすることはできますけれども、大切な問題は全部自分が孤独な部屋で発見しなければならないものなんです。特に文科系に進んでいく人は、このことだけは肝に銘じて覚えていておいてもらいたいですね。大切なことは孤独な部屋で自分で考えて発見しなければいけないのであります。教授に期待しないで講義を聴いているうちに、ひょっとしたら、すばらしい教授と巡り会う機縁になるかもしれませんねえ。私はそういう教授に巡り会う機縁に何度もあったからであります。だいいち、あまり期待しないということが、失望を免れるたった一つの方法かもしれないのであります。([[大学で期待してはいけないもの>http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/2713/meigen-kodoku.html]]) -この情報的知識のうちで、皆さんの関心が捉えたものだけが、諸君の心の中に蓄積される。そしてこれが整理される。分類される。そしてまとまった形で諸君の心の中に入り込んできたときに、これをknowledgeと言うのであります。これが知識というもので、情報的知識は必ずknowledgeに変化せしめられなければならないのである。そして、このknowledgeを実にたくさん持っている人を、博学多識の人と呼ぶのである。こういう人はたくさんいる。 そして大切なのは、この知識を実生活の中に活用し、活かす力を、これをwisdomと言うのであります。これを知恵と言う。この知恵という言葉には実践的な意味が非常に深く入っている言葉であることを忘れてはいけません。そして実践的ということは、倫理的という言葉と同じ意味なのであります。wisdomは、知識を具体的に実生活の中で活かす、倫理的、実践的な力を、これをwisdomと名付け、このwisdomがcultureとしっかりと結びつく言葉なのであります。 情報的知識は見事に整理された知識に転じ、この知識は具体的に実生活の中で活きなければならないのであって、この活かす能力のことを知恵、wisdomと名付ける。そういう倫理的な、そして実践的な力を知恵というのであり、cultureはこの知恵という言葉と合体するのであります。([[information→knowledge→wisdom>http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/2713/meigen-wisdom.html]]) -「いくら情報がたくさん増えてもね、人間はね、興味のあるものしか受け入れないのです。例えば僕の今日のこの話も情報の一つだ。君たちが興味持たなかったら明日はさわやかに忘れてるよ心配ない(笑)。そんな心配ないんです。君たちね、どんなにたくさんの人間の顔があったって君、心配しなくていいんです。諸君はその顔の中で、ある自分の気に入った異性の顔しか覚えないからであります。あとはさわやかに忘れるよ。僕はそう思っている。だから情報の海に悶絶する、なんてのは嘘だと僕は思っている。僕等は自分の好きな知識を、その中から選び取るがよろしいのであります。」 -[[奥井名言集>http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/2713/okui.html]] -The first great lesson a young man should learn is that he knows nothing , and that he is of but very little value.,,,,,, 「この内容にについてちょっと考えてもらいたいと思います。若い皆さんが本当はわからないでいる、気づかないでいる事実の指摘であるからです。(中略)頭ではわかっているつもりでも、実は本当は体ではわかっていないのが青年なのです。それは皆さんが両親と言う実に奇妙な人々に育てられ、保護されてきたからです。一体どこが奇妙なのか?皆さんが、可愛くて、大切でたまらぬということが、皆さんの幸、不幸を我がことのように心にかけているということが奇妙なのです。(教室の皆を笑顔で見渡して)こんな子達が可愛くてたまらないて、、、。この英文の筆者は、世間の大人は冷酷無情なもの、そしてたのむことができるのは、究極においては自分一人のみだと覚悟せよ、自分の言行に責任をとることができて、はじめて一人前の大人なのだと言っているのです。」 -「I wish I were a Bird that out of sight dash soar or・・・・・ or lilies that pondered ora 自分はあの一瞬の鳥や、ユリを又見たいのではなく、なりたいのだ、 時の流れはどうすることも出来ない、Out of sight , out of mind どんなに楽しいことも、悲しいことも過ぎ去ります。親が死ねば誰だって泣く、寝不足になる、でも、3日目にはちゃんとよく寝て体力を取り戻します。そんな無情な時の流れにあっても、賃金奴隷たるLaborerではなくて、 創造的な自分にしか出来ない仕事のできるWorkerを目指すことこそが、 幸福のカギなのです。」 -『教養』とは、『態度』であるということを忘れないで下さい。ともすれば、世の中では「どこどこに行ったことがある」「なんとかの本を読んだことがある」という単なる経験を「教養」と捉えてしまいがちですが、そうではありません。「行ったことがある」ことが教養ではなく、そこに行って何を思ったか、何がわかったか、何がよかったか、今どう思うか、人に勧めたいか、それを自分の言葉でしっかりと整理しようとすることが教養なのです。本にしても同じです。行っただけで満足してはいけません。読んだだけで満足してはいけません。その先へ、もう一歩踏み出さなくてはならないのです。一歩踏み出したら、さらにもう一歩。頂の見えない山をのぼるのに似ています。もし、諸君たちが「あぁ、ここが山頂だ」と思ったときが来たら、君たちの成長は必ずそこで止まってしまいます。それは、知識ばかりに凝り固まった自惚れでしかありません。「常にその先がないかを考え、自らの足で一歩踏み出す勇気を持つこと」それが大事なのです。世の中には、非常にいろんな人がいます。ある程度の地位に満足してしまって、それ以上の探究をやめてしまう人もいますが実にもったいないことです。人は、人より一歩先に出ると、周囲の人からちょこちょこともてはやされるようになります。君たちが目指している東京大学に入れば、周りの人たちは君たちを神童のようにもてはやすでしょう。しかし、そこでその「もてはやされること」に安住してしまってはいけません。もてはやされると、人はすぐに人を見下すようになります。人間とはそういう生き物なのです。見なさい、世の中を。国会議員になった途端、急に態度が変わるやつ。社長になった途端、好き放題やりだすやつ。ちょっとテレビに映りだすと、すぐに売れっ子芸能人を気取るやつ。君たちには、そんなやからにはなってほしくない。君たちには、例えどんなに社会的地位を得ようと、周りからもてはやされようと、どんな時でも、常に一歩前に出ようとする謙虚さ、図々しさではないぞ、「謙虚さ」を持って欲しいのです。それは決して楽な道のりではありません。しかし、その道のりを自然に楽しむことが出来たとき、それは君たちが「教養」という「態度」を着実に身に着けつつあることの証となるのです。探究をやめてはいけません。人を見下してはいけません。まずは、自分の小ささをしっかりと見据え、常にその先へ自分から一歩踏み出す勇気を持つこと、どんなに小さな一歩でも構いません。着実に前に進もうとする意志を持つこと、それが、諸君らの「真の教養」につながってくるのです。 -「オスカー・ワイルド曰く「芸術が自然を模倣する」というがそれは間違いです。自然が芸術を模倣するのです。ロンドンの風景、近頃ターナーに似てきたじゃないですか。ターナーがロンドンの風景を描く前、ロンドンの人達はロンドンの風景が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。そこでターナーが、あのどんよりとしたロンドンの天候の中にも鮮やかに煌く独特の光線を描いたのです。それを見たロンドンの人達がロンドンの風景のロンドンのあおどんよりとした天候に素晴らしさを見出せるようになっていったのです。」 -「君たちはアンナ・カレーニンという女を知らないだろうね。読んだ者はいるかね?あのねえ、大学へ行くのもいいが、アンナ・カレーニンと出会えるかどうか、そのほうがずっと君たちの人生には大きなことなんだよ。わかるかな、この感覚。歓喜がいっさいの後悔を消し去ると思えたとき、アンナ・カレーニンは決断をするんだね。アンナはすべての社会と人間の辛辣を感じて、死ぬんだよ。爆走する列車にみずからの身を投じて、死ぬんだね。女が愛や恋で死ぬなんて、尋常じゃない。それにくらべたら男なんて弱いもんだよ。好きな女に振られたくらいで、すぐに苦しい、辛い、死ぬ死ぬと言い出すが、女はそういう心の深みを体で飲み込むもんだ。知ってるかな、そういう女の深さを。いや深さというより、これは女のね、美しくも苦い味というもんだ。そのアンナ・カレーニンが死を選ぶんだね。アンナは人妻なんだな。北方の大都ペテルブルクの社交界の美貌のスターだよ。夫のカレーニンは政府高官でね、社会の形骸を体じゅう身につけて面子を気にする男だね。君たちもこうなったらおしまいという男だよ。そういう身にありながらアンナはヴロンスキーという貴公子のような青年将校に恋をするんだな。女は青年将校にこそ惚れる、その凛然というものにね。まあ、君たちには女はわからんだろうね。青年将校こそが男の中の青い果実なんだよ。2・26事件の青年将校なんて、日本人の男の究極だよ。そうだろ。美しい女はそれを見逃さない。しかも人妻はね。しかしねえ、君たちにはキチイがせいぜい理想の娘というところだろうな。キチイは青年将校に惚れるんだが、アンナとヴロンスキーが昵懇になったので諦める。まあ、読んでみなさい。キチイの娘心よりもアンナの女心がわかるようになったら、たいしたもんだ。」 -「イエスキリストという男は、妙なことを言う男ですよ、全く。なんですか、『右の頬を殴られたら、左の頬を差し出せ』だなんて。バカを言っちゃあいかん。僕だったらねぇ、右の頬を殴られたら、左の拳でボンッ。 (と、ここでボディブローをしてみせると、教室中が爆笑した) しかし、イエスのこのような言葉に心を動かされ、キリスト教に入信する人たちが、今なお後を絶たないんですよ。我々人間がイエスの言葉に心を動かされる、そのような心を持っている限り、人間というものはまだまだ捨てたものではない、と僕は思います。」 -「よく私は他人を愛しますなんてことをいう人がいますが、人間は結局利己的なものです。一例を挙げようか。『ただいま』『お帰りなさい。あなた大変よ。お隣のお子さん、山で遭難したんですって』『そりゃ気の毒だな。それより、めし、めし』」 -「若いうちは右から左まで幅広く読書すべきだね。一方に凝り固まるべきではない。一例を挙げると、吉本隆明も読むし、岡潔も読むということだ。」 -「このhard bookは内容の堅い本のことだ。一例を挙げようか。マルクスの「資本論」、カントの「純粋理性批判」、トルストイの「戦争と平和」、幸田露伴の「芭蕉七部集評釈」などなどだ」 -「人間は、困難を愛する動物なんであります。諸君もトランプをおやりになったことはあるだろう。ババ抜きば一番面白いと思う人はおるかね?長年私はトランプをやっているが、七並べが一番面白いですな、なんて人はおるまい。やっぱり、ナポレオンの方が面白いのであります。コントラクトブリッジの方が面白いのであります。ブリッジまでいけば、もう麻雀まであと一歩であります。むずかしいから面白い。人生もそうであります。」 -「人生には如意と不如意とがある。人間の生死これは不如意であります。それと好いた惚れた、これも不如意なのであります。それ以外は、如意なんであります。諸君が今置かれている境遇、大学受験、こんなものは如意も如意、じぇんじぇん如意なんであります。」 -「親を愛すること、生まれ育った土地を愛すること、これが国を愛することといささかも変わりはないのです」 -「社会に出るまでの間に自己発見をし、それを基に社会に出て自己実現をしていきなさい。その手段として学問はあるのです」 -「大学に入ったら万巻の書を読め、バイトはするな、親の脛をどの程度かじって良いのか判断しながら、しっかりかじれ」 -「Ce qui donne du courage, ce sont les Idees」 -「久しぶりにテニスをやったんであります。ご覧の通り私ももう老人であります。でも意外とうまいんであります。こうね、こう、バシッと強い球を打つ。ネットをギリギリに超える。そしてラインぎりぎりに落ちる。それはそれはもうみなさんにお見せしたいような美しい球なのであります。(何度か右手でフォアハンドの格好を繰り返す。カッコ悪いうえに美しくないフォームなので笑いが起こる)ただ、相手が卑怯にも背中側に打つんですな。 私の左に。卑怯ではありませんか。なぜ正面に打ってこない!私は日本男児でありますから、相手の背中側になど打たないんであります。それでもきゃつらは打ってくる。卑怯です。 ですから、私は(ラケットを左に持ち替える動作をして)こう打つんであります。左手に持ち替えて打てば良いのであります。左手で打った方が遠い球でも拾えるし、なにより敵に背中を見せなくてすむのであります。(右手で打って、すぐ持ち替えて左で打つ動作をカッコ悪く繰り返す。)アナタたち。そうやって笑うでしょ。そんなのおかしいって。恥ずかしいって。でも、であります。誰も見てないんであります。誰もアナタなんか見てないんであります。ヒトは、アナタが思うほどアナタなんか見ちゃいないんです。だから、他人に笑われないか、とか、このやり方はおかしいんじゃないか、とかばかり気にして生きるのはつまらないんであります。あなたの好きなようにやればいいんであります。球なんか左手で打てばいいんであります。そりゃ笑う人も少しはいるでしょう。でも、結局、それほど他人は見ちゃいないんです。他人なんか気にせず思うようにやったらいいんであります。」[[出典>https://note.com/satonao310/n/n96d20f623cb7]] //ここに奥井師の雑談を書き起こしてくださってる方ありがとうございます。奥井師の教えが脳裏に蘇り、懐かしく、嬉しい気持ちになりました。 -「回天に乗るのは一種のスポーツだった」 -「回天で敵艦に突入したが気が付いたら海面に浮かんでいた」 -「復員後は戦死した多数の同期の分も生きると誓って東大に8年在籍して学べる限りのことを学んだ」