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-東京にある日本の国立大学。 -略称は「東工大(とうこうだい)」。 *概要 [#o813e4c6] -直接の前身校は、(旧制官立)東京工業大学。 --''旧三工大''(旅順工科大学、東京工業大学、[[大阪工業大学>大阪大学]])の一つ。 -旧帝大ではないが、一橋大学、神戸大学とともに、「''旧帝一工神''」として旧帝大並みの扱われ方をされることが多い(7帝1工2商)。 -東大、京大、一橋大と合わせて「''東京一工''」とまとめられることもある。 -明治から大正時代にかけて、法科の帝大や政治の早稲田、理財の慶應、商業の高商などと並んで、「''工業の蔵前''」と言われ、日本の高等教育機関の代表格とされてきた。 -2024年10月1日に''東京医科歯科大学''と統合し、''東京科学大学''(''Science Tokyo'')となった。 *特徴 [#v1657149] -日本の''MIT''(マサチューセッツ工科大学)を自認している。 --MITと実際に提携しているのは東京工科大学、 連携しているのは金沢工業大学である。 -一般的な知名度は悲しいくらいに低い。 --''東京工科大学''と混同されると東工大生はガチギレする。 -東京医科歯科大学、東京外国語大学、一橋大学と「''四大学連合''」を組んで東大に対抗している。 --四大学連合(''複合領域コース'')により、東京医科歯科大学医学部保健衛生学科に編入学できた。 --が、同大学医学部医学科および歯学部歯学科には編入学できなかった。 ---統合により学内転部扱いになるがどうなるのであろう? --2024年10月1日に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し東京科学大学となったことに伴い「''三大学連合''」となった。 -理工系の単科大学だが、生命理工学部や大学院社会理工学研究科も売りである。 -大学院社会理工学研究科は文系でも進学できた。 -2002年まで略称が定められておらず、数多くの略称があったが(?)、大学側が「東工大」と公式に決定した。 -別名「大岡山男子大学」。 -別名「大岡山男子工業大学」。 --女子枠を作り、無理矢理共学化を果たした。 *学院 [#b7ea0121] 2016年入学生以降 #br 2016年4月、日本の大学で初めて、学部と大学院を統一し、「''学院''」を創設した。「学院」では、学士課程(学部相当)と修士課程、修士課程と博士後期課程の教育カリキュラムが継ぎ目なく学修しやすく設計された教育体系を提供している。 最終的に、従来の3学部23学科、大学院6研究科45専攻が、学部大学院をつなげて6学院19系にまとめられた。 **リベラルアーツ研究教育院 [#yf318c38] 2016.04.01 - リベラルアーツ研究教育院発足。 #br -2011年、「人間としての教養」を追い求め、実現していく場として「''リベラルアーツセンター''」が設立された。 -2016.04.01、リベラルアーツセンターを改組し、東工大の教養、語学、健康教育などを司る「''リベラルアーツ研究教育院''」が発足。 -ジャーナリストの池上彰氏が、2012年4月から、リベラルアーツセンターの教授として、現代史などの「教養」を教え始めた。 --池上彰さんが「現代史」を教えている。 --2012年にリベラルアーツセンターの教授として着任し、2016年にリベラルアーツ研究教育院が設立され、その年から特命教授として、一貫して現代史を学ぶ大切さを学生たちに教え続けている。 **理学院 [#k4f3ca0a] **工学院 [#w558eeba] **物質理工学院 [#b8a74257] **情報理工学院 [#g9a0c0b2] 旧・大学院情報理工学研究科 -2016年(平成28年) - 大学院情報理工学研究科を''情報理工学院''に改組。 --学士課程(学部相当)設置。 -偏差値75.0(国立+5、理系+5) ・定員92名 ・2016年設置 ・男97%(今年の入学者は男89名、女3名) ・入試で生物選択不可(物化縛り) ・受験倍率えぐい(9倍とか) ・ITブームの影響で難易度は学内で頭ひとつ抜けている(東大京大と比較されることも) **生命理工学院 [#h49602dd] 旧・生命理工学部・大学院生命理工学研究科 -2016年4月 生命理工学部と大学院生命理工学研究科を統合し、生命理工学院発足。 **環境・社会理工学院 [#q2333b66] 旧・大学院社会理工学研究科。 -2016年(平成28年)4月 - 大学院社会理工学研究科を''環境・社会理工学院''に改組。 --学士課程(学部相当)設置。 *旧・類 [#h4083cee] 2015年入学生まで **教養教育 [#bf1f16b8] 旧制東工大は大学予科を持たず、主に高等工業学校卒業者が入学していた。 戦後、新制東工大にも「教養部」は存在しなかった。 #br -1946年3月、学内の教員に人文科学系設置。 --教養講座担当講師が採用された。 --人文・社会科学系の講義は大部分が非常勤講師によるものだった。 -1949年(昭和24年)5月、新制大学に移行。初めて人文科学系担当の教授が着任。 --彼らが一般教育担当の教員にあたるのだが、他の多くの大学とは異なり彼らの教養科目の講義は低学年二年に限定されることはなく、一年次から四年次まで学ばれるようにされていた(いわゆる「くさび型」カリキュラム)。 -1955年7月、''理工学部人文系'' --工学部が理工学部と改称された1955年7月から学科という名称が学内の措置で復活し、1960年から正式に学科制が全面復活した。ただ、戦前の古い学科制度への復帰にならないように学科(当時14学科)は、より大きく6つの「系」(理学系、材料工学系、化学工学系、機械工学系、電気工学系、建築系)と呼ばれるグループに分けられた。この専門の「系」の他に、「''人文系''」と呼ばれる教養教育のためのグループが作られた。 --人文系はさらに「''人文科学・社会科学群''」(以下「''人社群''」)、「外国語群」、「体育群」、「教育学群」の4群に分けられた。この「人社群」が東工大では文系教養科目の担い手になった。 -1967年6月、''工学部人文科学・社会科学群・外国語群・体育群・教育学群'' --1967年6月に理学部と工学部に分かれたとき、人文系は公的には廃止され、そこに属していた 4 群すべてがより大所帯の''工学部''に所属することになった。 --人文系はなくなったが、''人社群''は工学部に所属して残ったので、東工大での文系の教養科目は、工学部に属する人社群が引きつづき担うことになった。 -''外国語研究教育センター・大学院社会理工学研究科'' --大学院重点化の改革の中で、工学部に所属していたもと人文系の4群の教員は、1996年までに外国語群が''外国語研究教育センター''(現・リベラルアーツ研究教育院外国語セクション)に、残りの人社群、体育群、教育学群が''社会理工学研究科''に所属することになった。 --このように、大学院重点化によって、文系教養科目を担う人社群の教員は、社会理工学研究科に所属することになったが、所属する専攻は複数に分かれた。 --社会理工学研究科人間行動システム専攻 ---教育群を中心に、保健体育群、外国語群の一部と教育工学開発センター及び、外部機関の協力を得て 設立された。 ---全学共通の教職科目、健康、スポーツ科目、国際コミュニケーション科目を担当する。 --社会理工学研究科価値システム専攻 ---人文社会群のメンバーを中心に、外部の研究機関の支援を得て設立された。 ---経営工学専攻の一部の教員と共同で、全学共通の文系基礎科目と総合科目を担当する。 --社会理工学研究科経営工学専攻 ---経営システム工学科と人文社会群の科学史・技術史のグループが協力して設立された。 #br 【参考文系】 梶雅範(2014).「大学の組織論から見た教養教育の位置づけ:東京工業大学の歴史から考える(特集 科学史技術史の現在・過去・未来(III))」, 『科学史研究』, 第53巻 No.271(2014年10月号), pp.275-280, 日本科学史学会編集, コスモピア, 2014-10-28. https://doi.org/10.34336/jhsj.53.271_275 *旧・学部 [#c2c11071] 2015年入学生まで #br -情報理工学と社会理工学は、学部化されないまま学部と大学院を統一した「''学院''」が創設された。 **理工学部 [#u3513e36] -昭和24年5月31日、''工学部''設置 -1955(昭和30)年7月1日、工学部を''理工学部''に改称(数学、物理学、化学、化学工学、機械工学、電気工学、金属工学、繊維工学、建築学及び経営工学の10学科) --学科という名称が学内の措置で復活した。 -1960年から正式に学科制が全面復活した。 --ただ、戦前の古い学科制度への復帰にならないように学科(当時14学科)は、より大きく6つの「系」(理学系、材料工学系、化学工学系、機械工学系、電気工学系、建築系)と呼ばれるグループに分けられた。 -当初、一学部のみ単科大学であったが、1965年12月22日の教授会で、「理学部、工学部、社会工学部の3学部を設けることを将来の構想として認める」という複数学部を目指す決議がなされた。 -1967年6月に理工学部が理学部と工学部に分かれた。 **理学部 [#lec0c43b] -1967年6月:理工学部を理学部と工学部に分割 **工学部 [#e46b635c] -1955年、工学部が''理工学部''と改称された。 -1967年6月に理学部と工学部に分かれた。 ***工学部経営システム工学科 [#s86a05c8] -国立大学では本学のみに設置されているユニークな学科です。 -本学科は昭和21年に経営工学コースとしてスタートしています。 -本学科は平成5年4月に経営工学科から経営システム工学科に名称を変更しています(大学院 は「経営工学専攻」のままです)。 -平成8年度に,大学院重点化として本学科の大学院は大学院社会理工学研究科経営工学専攻に 改組しました。 ***工学部社会工学科 [#l8f7c4b8] -通称「社工」。 -1967年4月、工学部''社会工学科''設立。 --当時、「東工大に理工学と社会科学が融合した学際的な学科が誕生」と、新聞記事になるような注目を集めた。 --社会工学1期生は、1970年の卒業に当たる。 --「半世紀」の節目となる2019年3月に、最後の第50期学部生が卒業し、文字通り「社会工学」の看板が大学から消える。 -社会工学科は長く建築学科,土木・環境工学科とともに 6 類(建設系)を構成する 1 学科として,所属学生も原則として 6 類からのみとしていたが,2008年度から 1 類(理学部)を除く工学部の全類からの進学を可能となるよう変更した。その結果,現在では定員の 6 割程度が建設系の学生で,その他は,機械系,生命系,化学系など,学生のもともとの指向は多様な構成となっている。 --こういった学生は必ずしも空間計画に関心があるわけではなく,東工大学生の特長である得意な数理を活かして社会を解明したいという気持ちが強い。 **生命理工学部 [#v1fc8809] 1990年(平成2年)6月:生命理工学部を設置 理学部生命理学科 (1986 - )、生体機構学科 (1988 - )、工学部生物工学科 (1986 - )、生体分子工学科 (1988 - ) を振替 -学部卒業生の90%以上は大学院に進学していた。 #br -1986年 理学部に生命理学科を、工学部に生物工学科を設置。 -1988年 理学部に生体機構学科を、工学部に生体分子工学科を設置。 -1990年6月 ''生命理工学部''設置。 --生命理学科、生体機構学科、生物工学科、生体分子工学科の4学科。 -1992年4月 ''大学院生命理工学研究科''発足。 -1999年 ''大学院重点化''による全面的改組を行い、生命科学科、生命工学科の2学科体制に再編。 -2016年4月 学部と研究科を統合した''生命理工学院''が発足。 ''生命科学科'' ''生命工学科'' *旧・大学院 [#ib795d62] 2015年入学生まで **理工学研究科 [#z3553614] -昭和28年4月1日、''大学院工学研究科''設置(応用物理学、化学及び化学工学、機械工学、電気工学、金属工学、繊維工学及び建築学の7専攻) -昭和31年4月1日、大学院工学研究科を''大学院理工学研究科''に改称 -昭和32年4月1日、原子核工学専攻設置。 -昭和38年3月31日、大学院の名称及び課程を理工学研究科—5年課程と規定。 **総合理工学研究科 [#ha898a91] 学部を持たない独立専攻大学院。 -1975年4月:大学院総合理工学研究科を設置、9月長津田キャンパス(現在のすずかけ台キャンパス)開設。 -理工系学部とは別のキャンパスに設置されている。 -地方大学の大学院が充実していない(特に博士課程)昭和50年代に設置された。 -大学院重点化の先駆け、大学院進学時の流動性の確保するためのモデルケースとされている。 -学部のあるキャンパスとは異なるため、「長津田」もしくは「すずかけ台」と呼称して区別することが多い。 **生命理工学研究科 [#jfbb6e5d] 1992年4月:''大学院生命理工学研究科''を設置 -1999年 ''大学院重点化''による全面的改組を行い、大学院生命理工学研究科に分子生命科学専攻、生命情報専攻、生体分子機能工学専攻が発足。 -2016年4月 学部と研究科を統合し、''生命理工学院''発足。 **情報理工学研究科 [#y6138814] -1970年(昭和45年) - 理学部に''情報科学科''を設置 -1974年(昭和49年) - 工学部の電気工学科、電子工学科、電子物理工学科を改組し、電気・電子工学科、電子物理工学科、''情報工学科''を設置 -1978年(昭和53年) - ''大学院理工学研究科''の電気工学専攻、電子工学専攻、電子物理工学専攻を改組し、電気・電子工学専攻、電子物理工学専攻、''情報工学専攻''設置 -1994年(平成6年)4月 - ''大学院情報理工学研究科''を設置。 --数理・計算科学専攻、計算工学専攻、情報環境学専攻の三専攻。 -2016年(平成28年) - 大学院情報理工学研究科を''情報理工学院''に改組。 --学士課程(学部相当)設置。 **社会理工学研究科 [#h2746c6a] 本学の大学設置基準の大綱化と大学院重点化を同時に実現したもので、平成8年度に大岡山キャンパスに設立された。 社会工学は,それよりもやや歴史が長い東京大学の都市工学とは異なり,%%%対象は社会,方法論は理工学だけでなく,人文・社会科学も含む%%%という点が特徴である。 #br 「社工会」という東京工業大学社会工学科・専攻同窓会がある。 タレントのマリ・クリスティーヌ氏が在籍していた(前身の理工学研究科社会工学専攻修士課程修了)。 #br -1966年(昭和41年)4月1日、''理工学部社会工学科''設置。 --授業開始は1967年。 --東工大は、当初、一学部(理工学部)のみ単科大学であったが、1965年12月22日の教授会で、「理学部、工学部、社会工学部の3学部を設けることを将来の構想として認める」という複数学部を目指す決議がなされた。 --ここに出てきた「社会工学部」への第一歩として、1967年4月に理工学部社会工学科が設置された。 --発足時には,社会工学(基礎),開発計画,計画数理,産業計画,地域計画,資源計画の 6 講座 が設けられ,スタッフは 8 名で出発した。 --第 1 回の学科所属は,定員40名に対して志望者73名と,建築学科や土木工学科よりも倍率は高かったと記録されている。 --しかし、社会工学部をつくる構想は実現せず、結局、同年6月に理学部と工学部に分かれただけであった。 -1967年(昭和42年)6月1日、理工学部を理学部、工学部に分離。''工学部社会工学科''。 -1970年(昭和45年)4月1日、''大学院理工学研究科社会工学専攻''設置。 -1996年4月:''大学院社会理工学研究科''を設置。 --学部(学士課程)はないが、''経営工学専攻''が工学部''経営システム工学科''、''社会工学専攻''が工学部''社会工学科''の学部教育をそれぞれ担当している。 -2016年(平成28年) - 大学院社会理工学研究科を''環境・社会理工学院''に改組。 --学士課程(学部相当)設置。 **イノベーションマネジメント研究科 [#b15cb085] -2005年(平成17年)4月1日、''大学院イノベーションマネジメント研究科''設置(技術経営及びイノベーションの2専攻) ***技術経営専攻(専門職学位課程:修士) [#h68c430a] ***イノベーション専攻(博士後期課程) [#xd38aea3] *キャンパス [#i487e4ef] **大岡山キャンパス [#ne56f772] (東京都目黒区大岡山2丁目) ただし、キャンパスのうちで本館を含む南半分は大田区石川町1丁目地内に位置する。 **すずかけ台キャンパス [#qc1bf1cc] (神奈川県横浜市緑区長津田町) **田町キャンパス [#c2247ece] (東京都港区芝浦3丁目) *入試 [#p5c09d47] -関西からの志望者は、地元に東工大と同じ旧三工大だった阪大工があるためかあまり多くない。 -駿台西日本地区ではマイナーだが、東海地区%%、および福岡校%%には専門のコースが設置されている(スーパー東工大)。 --福岡校は2020年度までの設置。 --関西地区での該当コースは「スーパー国公立大理系」であるが、実際には「スーパー東大理系」あたりでないと合格は難しい。 --が、合同クラスなので、結局、本人次第である。 -高専からの編入試験も実施している **概要 [#l05116b5] *出身者 [#kebfd944] -[[坂間勇]] -三國均 -[[石井光雄]] -小原英樹 -鎌田真彰 -[[鍋田朋哉]](工学部無機材料工学科卒業) -[[三好正倫]] -吉田隆弘 -瀬古雄介 理学院化学系卒業 -白井丙午郎(環境・社会理工学院技術経営専門職学位課程(修士課程)中退?)