灘高校 の変更点
Top > 灘高校
- 追加された行はこの色です。
- 削除された行はこの色です。
- 灘高校 へ行く。
- 灘高校 の差分を削除
&color(,#ffff66){灘};高等学校は兵庫県にある私立高等学校(中高一貫校)。男子校である。 *概要 [#te7528c7] -卒業生のほとんど(下位10名以外)が「東京大学、京都大学、国公立大学医学部医学科」に進学するという%%変な%%全国一賢い高校。((例年、東京大学合格者数は開成、卒業生数に対する東大合格者占有率は筑波大附属駒場、[[国公立大学医学部医学科>医学部]]合格者数は東海にそれぞれ負けるが、卒業生数に対する東京大学、京都大学、[[国公立大学医学部医学科>医学部]]合格者占有率はズバ抜けており、総合すると実質、全国一と言われている。)) --毎年、東京大学に100人(うち理科三類20人)、京都大学に40人(うち医学部医学科25人)、大阪大学医学部医学科に15人前後、神戸大学医学部医学科に5人前後進学している。 --大阪大学非医ですら落ちこぼれと言われる恐ろしい世界である。 --「東大理三の公用語は関西弁」と言われる所以。 *特徴 [#a1122313] -例年、浪人すると大阪校に行く者が多く、毎年SSクラスやMSクラスで鉄緑会出身者と2大派閥を形成している。 --MSクラスの雰囲気がまんま&color(,#ffff66){灘};高のノリであると言っても過言ではない。 --実際には鉄緑会出身の&color(,#ffff66){灘};卒がほとんど。 --授業をサボったり内職する人が多い。%%果たして彼らを駿台の合格者数に含めて良いのだろうか。%% ---もちろん成績に余裕がないから、というのではなく、そもそも現役時代にほぼ受験勉強を完成させており、授業に出る理由がないから、という場合が大抵である。 ---ゆえに成績上位陣を埋め尽くす。 -和田秀樹氏在学の頃は、通期で塾・予備校に通うような生徒はほとんどいなかったらしいが、現在は多くの生徒が塾通いしている。 --鉄緑会、駿台エクストラ講座、河合塾ハイパー講座、東進東大特進コース、研伸館特別選抜S、高等進学塾など。 ---鉄緑、駿台、研伸館以外は、特待生としてタダで%%籍だけ置いて%%通っている。 --河合塾の高校グリーンコースを飛び級で一学年上を受講しており、「エンリッチ講座」(現・ハイパー講座)は&color(,#ffff66){灘};の高3生のために設置されたとも言われている。 -小泉徹先生曰く、「『&color(,#ffff66){灘};とか塾がスゴイ』じゃなくて、『&color(,#ffff66){灘};に行ってるやつらがスゴイ』ですからね」とのこと。 --それ程生徒のレベルが高いのである。 -毎年、トップ3(3傑)は数学オリンピックに出場したり、高1で東大実戦でランクインしたりするなどして神扱いされている。 -毎年、成績下位の3名ほど(通称:ウラ3)は学校に反抗してか、最後の最後まで受験勉強を拒否して勉強しない。 --が、結局浪人して関関同立、(G)MARCH、地方国立大学あたりに進学する。 ---それでも難関校とされているところに進学するのだから流石ではある。 --中学までの貯金で、早慶の文系学部や地方国立大学(非医学部)に現役合格することもある。 --まれに浪人してから一念発起して東大に受かったりもする。 -関西にありながら、東大への進学者が多い。 --創立当初から嘉納治五郎の教え子である東京高等師範学校出身の教員を多く採用していたからではないかと考えられる。((おおたとしまさ『名門校とは何か?』(朝日新聞出版、2015年))) --関西の進学校では他に新興の西大和学園が東大志向が強い。 //-昭和初期生まれの灘は長らく、官立の神戸一中の補完校であり、かつ、近隣の甲陽や甲南の後塵を拝する立場にいた。 //--しかし戦後、学校制度が改変される際に生じた混乱を奇貨とした。 //--公立進学校が共学化するのを嫌う家庭が少なくなかった。さらに学区制導入により、神戸一中からの転校を余儀なくされる生徒も多数いた。そこで灘は、県下のナンバースクール(公立上位校)の生徒たちを無試験で迎え入れたのだ。これにより、正規の入試を経た入学生のほかに、優秀な生徒が約50人集まった。彼らが目覚ましい大学進学実績を残し、県下トップ校の座に躍り出たのだ。 -昭和初期生まれの灘は長らく、県立の旧制神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)の補完校であり、かつ、近隣の甲陽や甲南の後塵を拝する立場にいた。 --しかし戦後、公立進学校が共学化するのを嫌う家庭が少なくなく、さらに学区制導入により、神戸一中からの転校を余儀なくされる生徒も多数いた。 --そこで灘は、県下のナンバースクール(公立上位校)の生徒たちを無試験で迎え入れ、これにより、正規の入試を経た入学生のほかに、優秀な生徒が約50人集まった。彼らが目覚ましい大学進学実績を残し、県下トップ校の座に躍り出た。 //--戦前の旧制&color(,#ffff66){灘};中時代は、旧制神戸一中(現・神戸高校)の滑り止め的地位の学校であったが、戦後の学制改革の際に、学区の関係で旧制神戸一中から新制神戸高校に移れなかった優秀な生徒を受け入れ、立場が逆転していった。 -東京の麻布中高とは兄弟校で、稀に転入して来る者もいた。 --有名な例では小説家の高橋源一郎氏が該当する。%%なお大学受験には失敗し横浜国大中退。%% --逆に&color(,#ffff66){灘};から麻布へ転校した例では地震学者の都司嘉宣氏など。 -一応、高校からも入学可能だがかなり難しい(新高生)。 --東大(理三除く)よりも確実に難しい。合格するには才能が必要とまで言われている。 --薄大助先生曰く、「&color(,#ffff66){灘};高校入試の英作は大阪大学のやや易レベル」。 --首尾良く合格しても高校一年時は授業についていくのが尋常じゃないくらい大変なことは覚悟しておこう。←うるせーよ --高入勢は入学直後から中入勢とは別室で猛スピードで数学を詰め込まれる。 --やはりこれらの試練を乗り越えるだけのことはあり、高校二年以降の学力は全体としては%%中学の三年間で堕落しきった%%在来生に比べて一段高い。 --ちなみに、和田秀樹氏は、灘中に落ちた「才能のない」はずの新高が灘高でよい成績を残せるのだから「受験に才能は関係ない」という謎理論を展開している。 -1987年のいわゆるダブル受験の年には、「理三蹴り阪大医」進学の現役合格者がいて、%%東大理三病の%%同級生の顰蹙を買ったらしい。((月刊『ヴューズ』1996年10月号?(講談社))) -1988年には、「文一・京医ダブル合格」者(現役)がいたが、東大文一に進学した。((『天才たちのメッセージ 東大理Ⅲ 1988』(データハウス、1988年))) -たま~に野球部やラグビー部が兵庫県ベスト16に行ったりする。 -2019年、筑波大学医学群在学中の卒業生がラグビーの全国大学選手権に出場した。 --AO(アホでもオッケー)ではなく本当の文武両道である。 --地元の神戸大医への進学を考えていたが、ラグビーの強豪である筑波大学にあえて進学したらしい。 -京都の洛南中高が共学となり、関西女子御三家(神戸女学院、四天王寺、京都女子)を抑えて、関西圏の女子の優秀層が殺到したことから、洛南が「女子の&color(,#ffff66){灘};」という%%ちょっと意味不明な%%異名で呼ばれることがある。 -兵庫県内の新興私立進学校は&color(,#ffff66){灘};高校を目標としてる所が多いが・・・%%達成は夢のまた夢だろう%%。 -%%最近は、%%塾の宣伝や力試し、記念受験で受験だけして、合格しても進学しない、いわゆる「&color(,#ffff66){灘};蹴り」も少数ながら見られる。 --進学先は、古くは、ラ・サール中、栄光学園中、仙台二高、最近では、聖光学院中(河野玄斗)、広島学院中、西南学院中など。 --進学先は、古くは、ラ・サール中、栄光学園中、仙台二高、最近では、修猷館高、聖光学院中(河野玄斗)、広島学院中、西南学院中など。 -かつて、小学校の出席不足の受験生を見せしめ的に不合格にしたことがある。 --その受験生はラ・サール中に進学した。 -2023年10月26日、灘校にもセブン自販機が設置された。 *卒業生 [#ma796cb7] -化学科北山一先生、 -数学科米村明芳先生、麻野英三先生、福井良太先生 他、複数の講師がここの出身。