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[[関谷浩]](せきや ひろし)は、[[駿台予備学校]]古文科講師。駿河台学園理事、池袋校校長。 *経歴 [#mc3d8e91] -1947年2月生まれ。 -國學院大學文学部国文科卒業。((『新明解古語辞典(初版)』金田一春彦氏の「あとがき」より。)) -國學院大學大学院文学研究科修士課程(文学専攻)修了。 --修士論文「平安時代末期から鎌倉時代初期における副助詞の用法」 -1974年、駿台高等予備校模試採点アルバイト(大学院在学中)。 -1975年、駿台高等予備校古文科講師。 *授業 [#v19c0957] -単語や文法を無味乾燥した暗記に頼らせるではなく、なぜそう言った単語や文法になったのかと「理解を伴った暗記」を中心とした講義である。 -解釈する上で有効な文法等の知識の深い理解をさせる講義展開である。 -現代語で使われている言葉に関連付けて説明する事もある。しかしながら、それらはマニアックな説明をしているのではなく、かなり噛み砕いた内容である。それゆえ、文系はおろか理系の受験生からも判りやすい内容である。 -講義前後に教壇上で生徒に挨拶の礼をするのみでなく、講義前に教室に入る際にドアの手前で立ち止まって教壇に向かって一礼をする。 -板書はとてもきれい。 -授業中、穏やかな物腰で講義し、大事なことを説明する際には、メリハリを付けて印象を与えるために、少し震えた大声を出す。一部の生徒からは「関谷ビブラート」などとも称される。 --いきなり大声を出すので、一瞬怒鳴られたかと驚く生徒もいるが、怒っているわけではないので恐れる必要はない。 -授業中は洒落や冗談も良く言い、穏やかな語り口と相まって、笑うだけでなく、和む生徒も多い。 -質問対応も大変良い。 --記述問題に関しては、原文と生徒の作った解答を照らし合わせながら一つ一つ解釈して下さる。 --その場で修正するように、と指示を出してくださるので予め筆記用具を準備しておこう。 --質問の際は授業と変わらず笑顔。 -2次・私大演習の[[スーパー古文>2次・私大演習#japanese]]では通期の1.5倍のスピードで授業が進む。 *監修担当教材 [#texts] -古典文法演習α(旧版。現在の同名教材とは異なる。) -古文難関大対策 *担当講座 [#wa8e4fed] -かつては(1992年度まで?)、大阪校に週一で出講して大人気だった。 --その煽りを受けて、当時、京都校で大人気だった三村晃功先生が大阪校では不人気だった。 --旧教材の「古文選」や「古典文法演習α」を担当。 -[[高橋正治]]師を引き継ぎ、「東大古文」を担当していた(後任は[[上野一孝]]師)。 -2012年度より、東進ハイスクールに移籍した[[栗原隆]]師に代わって、[[オンデマンド]]の授業を引き受けた。 --ちなみに栗原師は東進で「東大古文」を担当している。 -普段は上位コースを担当しているが、夏期講習では「[[古文・読むための基本文法]]」といった初心者向けの基礎講座を担当したりもする。 **通期 [#w0543990] 大阪校 午前部文特、午前部文1、午前部理特 -古文選 大阪校 -古典文法演習α 大阪校・午前部理特 -東大古文(理系校内生用特別講座) 大阪校 1989年度 -古文難関大対策(駿台サテネット21) **講習 [#u356dce3] -古語文法総整理 ≪冬期講習≫ --1992年度まで大阪校で開設されていた。 *人物 [#i62cf5c5] -国文学者。 --大学時代は助詞を研究なさっていた。 -以前まで本職は大学助教授(准教授)であったが、当時の教授達と喧嘩をし、大学を辞めて駿台の講師一本に絞った。 //文教大学助教授説がある。 -今や秋本吉徳師と並び駿台古文科の重鎮的存在。 --%%通称良い方の駿台古文科の重鎮。%% -品格と礼儀を感じさせる人物像と、熱心かつ明快な講義を理由に、生徒からの人気が高い講師である。師の表情に人柄の良さがよくあらわれている。 --さらには生徒のみならず、講師たちからも尊敬される人物。 -授業前のお辞儀が驚くくらいとにかく深い(およそ70度以上)。 --[[坂井孝好]]師や、[[吉原修一郎]]師、[[吉田隆弘]]師などの講師が師の名前を授業中に出すことからもそのことが伺える。 --師も時折他の講師の名前を挙げる。「吉原は葦がたくさん生えた原だからなんです。そういえば次の授業は名前がそんな人ですね。」 --吉原師は関谷師の授業を聴講させてもらったことがあるらしい。「学生時代、こんな授業を受けたかった。」と絶賛しておられた。 -講師でありながら、駿河台学園の理事も務める。相当の影響力をお持ちなのは言うまでもない。 --なお講師で駿河台学園理事を務めているのは関谷師ただ一人である。 -駿台予備学校とは別法人扱いである「学校法人駿河台南学園・駿台予備学校池袋校」の学長でもある。 -駿台予備学校とは別法人扱いであった「学校法人駿河台南学園・駿台予備学校池袋校」の学長でもあった。 -著書にも教科書的な名著が多い。 --ちなみに師の著作である『[[古文解釈の方法]]』を持参してサインをお願いすると、裏表紙に『照顧脚下』と書いてくださることがある。 --特に、『[[古文解釈の方法]]』で''構造的に読解する一方法として接続助詞に注目する方法を述べたことは、その後の予備校講師に大きな影響を与えた''とされている。((岡田誠「国語教育における古典文の主語転換の指導法」, 『國學院大學教育開発推進機構紀要』第6号, p.54, , 國學院大學.)) --特に、『[[古文解釈の方法]]』で''構造的に読解する一方法として接続助詞に注目する方法を述べたことは、その後の予備校講師に大きな影響を与えた''とされている。((岡田誠(2015)「国語教育における古典文の主語転換の指導法」, 『國學院大學教育開発推進機構紀要』第6号, p.54, 2015-03, 國學院大學.)) -大学卒業時に、『''新明解古語辞典''(初版)』(三省堂、1972年)の編修に幹事として参加した。 --編者代表の''金田一春彦''氏に「この仕事のために天から降った神の使者」と大絶賛された。 --同辞典の改訂幹事でもあった。 -『枕草子』に登場する藤原定子をこよなく愛する。一方で、その著者である清少納言は苦手である。 -『源氏物語』では夕顔の娘である玉鬘がお気に入りのようである。 -一人称は 僕、私 -荘重体敬語という言葉がお気に入り。 -口癖は --「ば、ど、に、を、がでドン!」 --「ドーバー海峡」 --「お前さん完了の「り」だね」 --「『と』があれば『カギ』で閉めろ」 --「であります」 -声は声優の緒方賢一さんに似ている。 -呑みに行く時にする奥方への言い訳は「方違え」らしい。 -無類の言葉遊び好きである。 --授業中もよく(駄)洒落を言う。結構な割合で滑るが、時々非常に面白いものや思わず感嘆してしまうようなものも言う。 -予備校講師のことを自虐的に「毎年、同じことを繰り返して言っていて、詐欺のような職業だ。」とおっしゃっていた。 -某キャリアのCM「三太郎シリーズ」が好き。 --新しいCMが出ると奥様が教えてくださるのだとか。 -阪神ファンである。(巨人ファンの坂井師談。2018年度阪神が最下位だったことを煽ったのだとか) -池袋の駿友予備学校(のち、駿優予備校)にも開校当初は出講していた。 -実は高校時代、理系だった。 --師が学生の頃は原子量の基準がO=16だったとか。([[吉田隆弘]]師談) -秋本吉徳師とは仲がいい様である。 --「以前SNSにて、私と秋本は仲が悪いと言われていた様でありますが、本当は仲良いんです。一緒に面白い誤答集を作ろうとした事もあるくらいなんです。」 --秋本師曰く「関谷先生は%%関取%%人格者だから、あの先生が作るテキストの文章は登場人物が全員出家する」らしい。同時に「俺の作ったやつは登場人物がみんな死ぬんや」とも。 --秋本師は、実際関谷師より学年が1個下なのだが、お互いの名前を呼び捨てで呼び合っている。 --また、関谷師は秋本師のことを昔からワルイ奴だとも仰っている。%%実際ワルイ奴である。%% -本人の授業中などの発言を鑑みると未だ若手を自負しいる(2017年で70歳になった)。 -また、週末や講習の際には仙台・札幌など精力的に地方にも赴いている。 -受験業界広しと言えども、師の代わりになる人材は一人としていないので、身体に気をつけて末長く教壇に立っていただきたい限りである。 -糖尿病で入院されたとき、担当医が教え子だったらしく、退院日に、「これでまた教えられますね」と言われたそう。 -娘さんがいらっしゃる。