神戸大学
- 兵庫県に本部を置く日本の国立大学。
- 略称は「神大(しんだい)」。
概要
- 旧帝大ではないが、一橋大、東工大とともに、「旧帝一工神」として旧帝大並みの扱われ方をされることが多い(7帝1工2商)。
特徴
- 1949(昭和24)年5月31日、「国立学校設置法」公布により、神戸経済大学・ 神戸経済大学予科・神戸経済大学附属経営学專門部・姫路高等学校・神戸工業專 門学校・兵庫師範学校・兵庫青年師範学校を包摂して、神戸大学が設置された。
- 大学創立年・・・神戸大学の古のルーツは医学部のルーツである明治2年(1869年)に設立の神戸病院、旧教育学部のルーツである明治7年(1874年)創設の兵庫県師範伝習所などにたどり着くが、これらは必ずしも新制神戸大学の母体でないので、この母体となった神戸経済大学のルーツである旧制神戸高等商業学校の明治35年(1902年)設立をもって神戸大学の設立の起点とすることが、平成2年(1990年)9月に全学合意で決定された。
- 同じく旧制官立高等商業学校であった一橋大学とは兄弟校とも言える。
- 国立大学であるが、名古屋大学、横浜国立大学と同様に都市名が大学名となっている。
- 看板学部は、旧神戸商大の後身で、日本初設置の経営学部と旧制官立神戸工業高等専門学校の後身である工学部。
- 旧制官立神戸高等商船学校の流れを汲む神戸商船大学の後身の海洋政策科学部も看板学部である。
- 看板学部の経営以外に、経済、法学など社会科学系の学問にも力を入れており、研究・就職も非常に高いレベルにある。
- 現役時代しっかり部活に打ち込みつつ現役合格していく要領のいい人が多い。
- 逆に言えば、神大志望者は浪人したら京大や阪大を目指す人が多い。
- 要領よく勉強し遊ぶ、大学生らしい大学生が多い。
学部
- 各学部それぞれに旧制前身諸校があり、また、「大学設置基準の大綱化」による教養部廃止と「大学院重点化」で各「研究科・学部」がかなり独立している。
- 農学部は唯一旧制学校を前身としない(新制兵庫県立兵庫農科大学)。
- 医学部・農学部・海事科学部は元々、別の新制大学である。
- 教養部廃止は本校が嚆矢である(大学設置基準の大綱化)。
- 学部の統廃合を繰り返し、先進的である反面、歴史・伝統を蔑ろにしているとの批判もある。
教養部(廃止)
- 旧制姫路高等学校が戦後の学制改革で新制神戸大学に包括され、同大学教養部および文理学部(現在の神戸大学文学部・神戸大学理学部)の前身となった。
- 第二次世界大戦後の学制改革で、一時期「姫路大学」としての単独昇格、または京都大学との合併を志向するがいずれも果たせなかった。
- 新制神戸大学は神戸経済大学予科と姫路高等学校を包括したため、統合移転するまで教養課程の教育は神戸教養課程(後に御影分校)と姫路分校とに分かれて行われた。
- 1950(昭和25)年4月、神戸教養課程を御影分校と改める。
- 昭和39年に一般教育課程の担当部局として「教養部」が設置された。
- 1963(昭和38)年4月、学内措置により教養部を設置(1964〈昭和39〉年4月制度化)。
- 最初の学舎も竣工。同年御影分校の教養課程が移転。
国際文化学部(廃止)
- 1992年、教養部と教育学部を統合改組して国際文化学部と発達科学部を設置。
- 2017年、国際文化学部と発達科学部を再編統合した国際人間科学部を設置。
- 国際人間科学部の設置に先立ち大学院も総合人間科学研究科が設置されていたが、国際人間科学部の設置前に再び改組され、国際文化学研究科が設置された。
文理学部(廃止)
- 旧制姫路高等学校が戦後の学制改革で新制神戸大学に包括され、同大学教養部および文理学部(現在の神戸大学文学部・神戸大学理学部)の前身となった。
- 第二次世界大戦後の学制改革で、一時期「姫路大学」としての単独昇格、または京都大学との合併を志向するがいずれも果たせなかった。
- 昭和26年に神戸市御影地区の旧制神戸経済大学予科・旧制兵庫師範学校男子部予科跡地(御影分校)に設置された。
- 1954(昭和29)年4月、文理学部を廃止し文学部と理学部を設置。
文科
- 文理学部文科(現在の文学部)の構想は神戸経済大学予科の教員によって立案されたため、神戸経済大学予科も前身校として位置づけられている。
理科
- 1953年まで数学科は教育学部の赤塚山校舎にあった。
文学部
- 旧文理学部文学科が独立
教育学部(廃止)
- 起源は明治7年(1874年)創設の兵庫県師範伝習所。
- 前身は旧制官立兵庫師範学校、旧制官立兵庫青年師範学校。
- 1992年、教養部と教育学部を統合改組して国際文化学部と発達科学部を設置。
発達科学部(廃止)
- 1992年、教養部と教育学部を統合改組して国際文化学部と発達科学部を設置。
- 2017年、発達科学部と国際文化学部を再編統合した国際人間科学部を設置。
- 国際人間科学部の設置に先立ち大学院も総合人間科学研究科が設置されていたが、国際人間科学部の設置前に再び改組され、人間発達環境学研究科が設置された。
- 作曲家の田中秀和氏の出身学部(人間表現学科卒業)。
国際人間科学部
- 2017年、国際文化学部と発達科学部を再編統合した国際人間科学部を設置。
- 国際人間科学部の設置に先立ち、1997年に大学院総合人間科学研究科が設置されていたが、2007年に改組されて大学院国際文化学研究科・人間発達環境学研究科が設置されている。
- 総合型選抜、学校推薦型選抜、社会人特別選抜及び編入学試験などの特別選抜による入学者を除き、第2年次以降の学期から転学科することが可能である。
- 学科によって取得可能な資格・免許が異なるので要注意。
- 公認心理師受験資格は、主として発達コミュニティ学科の「心の探究プログラム」を選択した学生を対象にしているため、他学科・他プログラムからの取得は難しい。
法学部
- 看板学部ではないが、大阪市立大学と並び旧司法試験時代から司法試験には地味に強い。
経済学部
経営学部
- 昭和19年(1944)、神戸商業大学が神戸経済大学に改称され、経営学科が創設された。
- 日本初の経営学科となり、経営学士を授与できる教育機関となった。
- 1949年、神戸商業大学の商学を受け継ぐ日本初の経営学部として発足。
- 爾来、商学、経営学、会計学における日本トップの研究・教育機関として君臨する。
- 2002年には大学院経営学研究科に専門大学院の現代経営学専攻を開設。
- 経営学部の誕生は、戦後、神戸経済大学が国立大学再編の基本方針のもと、新制神戸大学へ生まれ変わった昭和24年(1949)のことです。
- 全国初の経営学部として発足し、経営学3講座・会計学4講座からなる経営学科と、商学5講座からなる商学科の2つの学科でスタートした。
- 神戸とともに三商大と呼ばれた一橋大学と大阪市立大学では商学部の名称がつけられたが、神戸大学では、商学系の教員がいたにもかかわらず、戦前から経営学に取り組んできたこともあって、経営学部でいくことのコンセンサスが得られていた(のだろう)。
- ただ経営学部の誕生をめぐっては、経営学はあまりに職業的な教育であるとか、学問として独立するだけの基礎をもっていないとか他学部から懸念の声もあった。旧帝大系の経済学部のように、神戸大学でも経済学部の下に経営学科を設けることも考えられたが、平井泰太郎先生や古林喜楽先生を中心に独立を強く主張した。経済学が経営学の基礎の1つであることは間違いないが、平井先生たちはそれに縛られず、社会学や心理学など多様性をもって経営学の研究と教育を進めようと考えられた。
- 元Jリーガーで超難関の旧司法試験に合格した弁護士の八十祐治氏*1の出身学部である。
システム情報学部(仮称)
神戸大学は2025年4月からシステム情報学部(仮称)を新設する方針です。優秀な学生は3年生で卒業できる早期卒業制度を導入。AIやデータサイエンスなどの専門的知識に精通した高度専門人材を育成します。
理学部
伝統的な学問体系を土台にした数学科、物理学科、化学科、生物学科、惑星学科の5学科で構成されており、自然科学のもっとも基礎的な分野の教育と研究を行っています。全学科合わせて178名(うち25名は第3年次編入学)の学生定員に対して教員数110名以上で、2学期・クォーター制のもと徹底した少人数教育を実践しています。
- 1954(昭和29)年4月、文理学部を廃止し文学部と理学部を設置。
- 1953年まで数学科は教育学部の赤塚山校舎にあった。
昭和24年05月 文理学部理科として発足(統計数学科・物理学科・化学科・生物学科)
昭和29年04月 文学部・理学部に分離独立(数学科・物理学科・化学科・生物学科)
数学科
物理学科
化学科
生物学科
惑星学科
昭和48年04月 地球科学科設置
平成05年04月 地球科学科を地球惑星科学科と改称
平成27年04月 地球惑星科学科を惑星学科と改称
医学部(医学科)
医学部の前身は、兵庫県立神戸医科大学であり、その母体は兵庫置県と共に建設された神戸病院です。
(神戸大学大学院医学研究科・医学部ウェブサイトより)
- 起源は明治2年(1869年)4月設立の神戸病院および、同院内の医師養成場(医学伝習所)であるとされている。
- これをもって神戸大学の旧制前身諸校のうち最古のものとする見解もある。
- 直接の前身校は、戦時中の旧制兵庫県立医学専門学校としている。
- 1946(昭和21)年 4月 旧制兵庫県立医科大学の設置認可(初代学長は正路倫之助)。
- 1951(昭和26)年 3月 旧制兵庫県立医学専門学校、旧制兵庫県立医科大学予科を廃止。
- 1952(昭和27)年 2月 新制兵庫県立神戸医科大学の設置認可。
- 旧制兵庫県立医科大学を新制に移行し新制兵庫県立神戸医科大学設立。
- 1955年 - 4月 兵庫県立兵庫農科大学および姫路工業大学に医学進学課程設置。
- 1961(昭和36)年 3月 兵庫県立医科大学を廃止。
- 1964年 - 3月 医学進学課程廃止(教養学部に移管)。
- 1964(昭和39)年 4月 兵庫県立神戸医科大学を国立移管し神戸大学に医学部を設置。
- 1968(昭和43)年 3月 兵庫県立神戸医科大学を廃止。
- 国立移管の上、神戸大学に包括されることにより1968年に廃止された。
- 2007年、附属病院に国立大学で初めて独立診療科として「美容外科」を設立。
- 大学病院に形成外科と美容外科が独立して存在している。
- 美容外科は形成外科専門医になってから入ってもらうルール。
- 保険診療で行うべきと判断した際には、美容外科から形成外科に紹介される。
- 逆に形成外科から美容外科に紹介されることもあり、両科がうまく機能している。
医学部(保健学科)
- 1949年、兵庫県立医科大学附属高等看護学院が創設される。
- 1952年 神戸医科大学附属高等看護学院に校名変更。
- 1957年、兵庫県立高等看護学院が設置される。
- 1959年、神戸医科大学附属高等看護学院閉校。
- 1959年4月、兵庫県立高等看護学院・兵庫県立保健婦専門学院を統合、兵庫県立厚生女子専門学院設立。
- 1967年4月、兵庫県立厚生女子専門学院保健学科が兵庫県立厚生専門学院に移管。
- 1967年6月、兵庫県立厚生女子専門学院が神戸大学医学部附属看護学校となる。
- 1969年、神戸大学医学部附属衛生検査技師学校を設置。
- 1972年、同学校を神戸大学医学部附属臨床検査技師学校に改名。
- 1982年、神戸大学医療技術短期大学部開学。
看護学科
理学療法学科
作業療法学科 - 1983年、衛生技術学科を開設。
- 1998年3月、廃止。
- 1994年、 神戸大学医療技術短期大学部を改組して医学部保健学科を設置。
- 看護学専攻
- 講座:基礎看護学、臨床看護学、母性看護学、地域看護学
- 検査技術科学専攻
- 講座:基礎検査技術科学、病態解析学
- 理学療法学専攻
- 講座:基礎理学療法学、運動・代謝障害理学療法学
- 作業療法学専攻
- 講座:基礎作業療法学、身体・精神障害作業療法学
- 医療基礎学講座 - 各専攻の学生に統合的な基礎教育を行う
工学部
- 前身は旧制官立神戸高等工業学校~神戸工業専門学校。
情報知能工学科
- 令和7年(2025年)4月、システム情報学部(工学部情報知能工学科(改組))が新設される予定。
農学部
- 前身は新制兵庫県立兵庫農科大学。
- 1949(昭和24)年、旧制兵庫県立医科大学の予科学舎として利用されていた篠山の歩兵第70連隊兵舎跡に、兵庫県立農科大学が設置された。
- 新制公立(県立)農科大学6大学(兵庫の他には松山・茨城・静岡・香川・島根)のなかで、唯一旧制学校を前身としない大学であった(他の5大学は旧制大学だった茨城を除き、すべて農専を前身としている)。
- 農学部は唯一旧制学校を前身としない学部である。
- 1946年発足の旧制兵庫県立医科大学予科の校地を引き継ぎ、後に新制兵庫県立神戸医科大学への進学課程設置が設置されたことから、旧制兵庫県立医科大学予科が前身と言えなくもない。
- 1949年 - 4月 新制兵庫県立農科大学設立。
- 1952年 - 4月 兵庫県立兵庫農科大学と改称。
- 1955年 - 4月 新制兵庫県立神戸医科大学(神戸大学医学部の前身)への進学課程設置。
- 1964年 - 3月 神戸医大への進学課程廃止。
- 1966年 - 4月 国立に移管され神戸大学農学部設置の母体となる。
- 1969年 - 3月 兵庫県立兵庫農科大学廃止。
- 俳優の佐々木蔵之介さんの出身学部として有名である。
海洋政策科学部
- 前身は神戸商船大学。
- 神戸商船大学は旧制官立神戸高等商船学校~高等商船学校神戸分校の流れを汲む(法的には後身校ではない)。
- 起源は1920年(大正9年)創設の官立神戸高等商船学校(航海科・機関科)に由来する。
- 東京高等商船学校(現・東京海洋大学)とともに高級船員ならびに海事の専門家養成の双璧として重きをなしてきた学校であった。
- 戦時中、東京と神戸、および清水の高等商船学校が統合され、官立高等商船学校(清水本校・東京分校・神戸分校)となった。
- 神戸分校は1946年(昭和21年)に廃止され、海技専門学院(現・海技大学校)に全施設及び教職員が継承された後、1957年(昭和32年)5月に新制神戸商船大学が再設置された(海技専門学院は同大学と同一施設を共用する形をとっていたが、1955年(昭和30年)7月、本部を芦屋市に移転し、神戸商船大学との施設共有状態を解消)。
- 2019年7月、神戸大学は船員養成や海洋技術者育成を主眼としていた海事科学部を、2021年4月を目処に新分野の海洋産業(洋上風力発電や海底資源探査)や海洋政策創出に貢献する人材も視野に入れた学部に改組することを発表し、学部名を仮称として「海洋政策科学部」とした。
- 2021年4月に予定通り「海洋政策科学部」が発足した。
大学院
経営学研究科
現代経営学専攻
- 2002年開設の専門大学院(MBAプログラム)。
キャンパス
六甲台地区
- 六甲山の麓にある。
- ので通学路は激坂である。
- 同じようなレベルで、なおかつ、街並み、立地が似ている横浜国立大学とよく比べられるが、横国よりは立地は良い。
- 阪急六甲駅から普通に歩いていける距離である。また神戸の中心地三宮にも電車で5分、大阪にも特急に乗れば30分ほどで着くので、遊びに行くのにも就活にも問題なし。
- 神戸高商の神戸商大への昇格にあたり校地の移転が計画され、1935年10月に神戸市灘区高羽嘉太夫新田(現・同区六甲台町・六甲台校地)への移転が完了、新校舎竣工式が挙行された。
- 戦災を免れた六甲台校地は、戦後1946年7月になってGHQにより一部の学舎が接収されるなどしたが、新制神戸大学への移行にあたり本部が設置、法・経・経営3学部の校地として継承され、現在に至っている。
- 旧制神戸商大時代の建造物としては、本館(現在の神戸大学六甲台本館)・附属図書館・兼松記念館(2代目)・講堂が現存し、現役で使用されると共に国の登録有形文化財に登録されている。
御影校地
- 新制神戸大学の文理学部と教養課程が置かれていた。神戸教養課程(後に御影分校)
- 1899年7月:兵庫県師範学校(→兵庫縣第一師範学校→兵庫縣御影師範学校)が武庫郡御影町の新校舎に移転。
- 1936年4月:兵庫縣御影師範学校と兵庫縣姫路師範学校を統合して、兵庫縣師範学校設立。
- 1938年6月:兵庫縣師範学校が武庫郡住吉村赤塚山の新校舎に移転。
- 旧御影師範学校校舎は、1938年から1939年にかけて、旧制灘中学校が仮校舎として使用し、1940年からは神戸商業大学予科の校舎となった。
- 1943年4月:兵庫縣師範学校と兵庫縣明石女子師範学校を統合して、官立兵庫師範学校設立。兵庫師範学校男子部予科は、武庫郡御影町(現・神戸市東灘区御影中町3丁目)の旧兵庫県御影師範学校校舎で発足した。校舎は神戸商業大学予科と同居であった。
- 1945年6月の空襲で予科校舎は焼失し、篠山の旧陸軍兵舎に移転した。
赤塚山校地
- 教育学部と文理学部数学科(1953年まで)があった。
- 1936年4月に、御影師範学校と姫路師範学校とを統合して設立された兵庫県縣師範学校が、1938年6月に武庫郡住吉村赤塚山の新校舎に移転。
- 1943年4月:兵庫縣師範学校と兵庫縣明石女子師範学校を統合して、官立兵庫師範学校設立。官立兵庫師範学校男子部が、前身の兵庫縣師範学校から引き継いだ武庫郡住吉村赤塚山(現・神戸市東灘区住吉山手)の校地を使用した。
- 赤塚山校地は後身の新制神戸大学教育学部に引き継がれ、1968年12月に現在の六甲台に移転するまで使用された。
- 1940年からは神戸商業大学予科の校舎となった。
1947年4月:兵庫師範学校男子部附属中学校を開校。
1949年5月:新制神戸大学発足、神戸大学兵庫師範学校として包括される。
兵庫師範は兵庫青師とともに教育学部の母体となった。
赤塚山校地には教育学部が置かれた。
明石校地
- 1902年2月:兵庫縣明石女子師範学校設立(兵庫県明石郡明石町)。
- 1943年4月:兵庫縣師範学校と兵庫縣明石女子師範学校を統合して、官立兵庫師範学校設立。官立兵庫師範学校女子部が、前身の兵庫県明石女子師範学校から引き継いだ明石市山下町の校地を使用した。
- 明石校地は後身の新制神戸大学教育学部に引き継がれて明石分校となり、1957年の分校廃止まで使用された。
- 附属校(神戸大学附属幼稚園・明石小学校・明石中学校~神戸大学附属幼稚園・小学校)は現在も明石に立地している。
- 1947年4月:女子部附属中学校を開校。
- 1949年5月:新制神戸大学発足、神戸大学兵庫師範学校として包括される。
- 兵庫師範は兵庫青師とともに教育学部の母体となった。
- 女子部校地は明石分校(明石市山下町1丁目)となった。
- 1957(昭和32)年5月、教育学部明石分校を廃止。
楠地区
楠キャンパス
- 使用学部:医学部医学科
- 使用研究科:医学研究科
- 使用附属施設:医学部附属病院、医学部附属動物実験施設、医学医療国際交流センター、附属図書館医学分館
- 最寄り駅は神戸市営地下鉄大倉山駅
- 所在地は中央区楠町7-5-1
医学部医学科を指して「楠」ということがある。
旧制兵庫県立医学専門学校は、附属医院(旧・兵庫県立神戸病院)の南隣にあった神戸市立第二高女・女子商業学校の校舎で発足した(現在の神戸市中央区楠町6丁目)。後身の旧制兵庫県立医科大学、新制神戸医科大学、神戸大学医学部は楠校地を引き継ぎ、現在に至っている。
西代・松野
神戸高等工業学校開校時の校地は神戸市水笠通(西代校舎・現長田区水笠通)に所在しており、新制大学移行まで継承された。1945年3月17日未明の空襲により校舎は土木科棟など一部を除いて全焼した。
戦後の復興にあたって、当時の文部省から舞鶴の海軍施設(舞鶴海軍工廠)への移転も検討されたが、神戸市が猛反対して、昭和21年(1946年)5月10日に神戸市から市立第一機械工業学校(旧制市立松野実業学校。新制市立神戸工業高校機械科→現在の市立科学技術高校の前身)の校舎を提供され、1946年12月に本部を移転する(松野校舎)などして長田区内に留まった。
昭和24年(1949年)5月31日発令の国立大学設置法の施行により、工専(以下、旧制を省略)は神戸大学に包括されて工学部となり、西代学舎の焼け跡にバラック的な木造校舎建設を着工した。まず、昭和25年(1950年)2月17日に機械工学科教室と機械実験棟が、次いで電気工学科、工業化学科教室及びそれらの実験棟が竣工した。
しかし、これ以上西代学舎が受け入れる土地は余りにも狭く、建築学科、土木工学科は六甲台に移転する迄ずっと松野学舎で学ぶことになった。
神戸大学への包括後、2つの校地はしばらく同大学の工学部に継承されたが、ほどなくして各学部キャンパスの六甲台への統合移転が本格化、昭和36年(1961年)8月31日に機械工学科の移転を皮切りに昭和37年(1962年)8月31日をもって工学部の全学部が移転完了した。
なお、焼け残っていた土木科棟は工学部の移転後も雑居ビルとして使用されていたが、阪神・淡路大震災後の区画整理事業のため1999年に解体された。現在、元西代校舎跡地の一角、新長田駅北地区5号緑地に「神戸高等工業学校発祥之地」碑が設置されている。
松野校舎跡地は、前記の市立神戸工高や大和田工業高等学校(のち市立長田工業高校と改称)の校地に使用された。同校移転により、現在はマンション(新長田駅前アーバンコンフォートほか)となっている。
篠山校地
1946年発足の旧制兵庫県立医科大学予科は、篠山の旧陸軍歩兵第七十連隊兵舎跡で発足し、1948年3月まで同校地を使用した。
篠山校地は1949年発足の新制兵庫県立兵庫農科大学に引き継がれた。農科大学が神戸大学に統合されたのち篠山校地は廃止され、現在は工場用地になっている。
神戸大学への統合後、農学部キャンパスは1967年10月までに六甲台への移転を完了し現在に至っている。
農大跡地には現在三井ミーハナイト・メタル篠山工場が立てられ、近くの兵庫県総合庁舎側の道路脇に「兵庫農科大学発祥之地」の記念碑が立てられている。
名谷地区
- 名谷キャンパス
- 使用学部:医学部保健学科
- 使用研究科:保健学研究科
- 使用付属施設:保健科学図書室など
- 最寄り駅は神戸市営地下鉄名谷駅
- 最寄のバス停は、神戸市営バス76系統「友が丘中学校前」
- 所在地は須磨区友が丘7-10-2
医学部保健学科を指して「名谷」ということがある(読み方はみょうだにである)。 - 校舎の地下に学生にすら知られていない謎の巨大地下施設(“須磨ベルトコンベヤ”)が通っている。
深江地区
- 深江キャンパス
- 使用学部:海事科学部
- 使用研究科:海事科学研究科
- 使用付属施設:海事博物館、国際海事教育研究センター、練習船深江丸、附属図書館海事科学分館など
- 所在地は東灘区深江南町5-1-1
- 最寄り駅は阪神電鉄深江駅およびJR甲南山手駅
姫路地区(閉鎖)
- 姫路市新在家に在る兵庫県立大学環境人間学部は、1949年(昭和24年)~1965年(昭和40年)まで神戸大学教養部姫路学舎(分校)でした。
- 旧制姫路高等学校が新制神戸大学教養部に変わり、1949年~1965年まで神戸大学教養部姫路学舎(分校)でした。
- 1964(昭和39)年8月、姫路分校を廃止。附属図書館姫路分校分館を廃止。
- 1964年(昭和39年)7月29日閉校式が執り行われ、 1964年(昭和39年)9月には最後の分校生が神戸地区の各専門課程に進んだ。
- 跡地には昭和40年に兵庫県立姫路短期大学が移転してきた。同校は平成10年に姫路工業大学、平成16年に兵庫県立大学に順次改組されて現在に至る。
- 現在は兵庫県立大学環境人間学部キャンパスになっている。
- 兵庫県立大学環境人間学部では、旧制姫路高等学校時代、神戸大学姫路分校と使われた本館の一部と講堂が保存されており、本館・講堂・正門周りが昔のまま残っている。
入試
- 駿台では難関国立大学に指定されている。
- 2021年度、駿台では旧・ハイレベルコース廃しに伴い、スーパー神戸大コースが新設された。
概要
- 京大や阪大とは違い癖の少ない標準的な良問が出題され、予備校では神大の過去問を演習に薦めることもある。
- 現代文が極めて鬼畜。
- あの小泉徹先生に「神戸大の現代文はどうにもならない」とまで言わしめ、師がある種、匙を投げてしまっている程。
- 国語全体で80分だが、量の多さはさることながら問題文の難易度(≒抽象度)が極めて高く、さらに字数制限も非常にきつい。小泉徹先生曰く「普通に書こうと思ったらもうちょっと字数が欲しい」。
- が、何が書いてあるか分かれば案外大したことは言ってなかったりする。地味に腹が立つ。
- 要するに外見が厳ついだけの場合があるということである。無論、そこから内容を汲み取るのが難しいのだが。
- 京大が「何を書けば良いのかが分からない」なら神戸大は「何を言ってるのか分からない」であろう。
- 人によっては神戸大の現代文こそ日本で一番難しい、と評することも(上述のように何が言いたいのかすらさっぱりわからず、解答範囲も絞れないため)。
- ある程度解答する箇所が分かれば、今度はキツイ字数制限というもう一つの難関が待ち受けている。