旧制医学専門学校 のバックアップ(No.3)


旧制医専

  • 旧学制における医学専門学校。

概要 Edit

  • 弘前大学、群馬大学、東京医科歯科大学、信州大学、鳥取大学、徳島大学、札幌医科大学、福島県立医科大学、横浜市立大学、名古屋市立大学、三重大学、岐阜大学、大阪市立大学、奈良県立医科大学、和歌山県立医科大学、神戸大学、広島大学、山口大学、鹿児島大学、岩手医科大学、東邦大学、順天堂大学、昭和大学、東京医科大学、東京女子医科大学、大阪医科大学、関西医科大学、久留米大学(以上A級)、(秋田大学)、(山梨大学)、△高知県立大学、(高知大学)、△九州歯科大学(以上B級)がこれに当たる。(括弧付きは戦後廃校された医学専門学校の流れを間接的に汲む大学)
    • 秋田、山梨、高知の各大学医学部は、各県の医学専門学校が廃校になっており、医専の直接の後継校ではない。
    • △高知県立大と九州歯大は新制大学として存続したが、医専は廃止されたので医学部はない。
  • 特に、このうち終戦直後の昭和21年官立大学官制により医科大学となった東京医科歯科大学、弘前大学、群馬大学、信州大学、鳥取大学、徳島大学、広島大学、鹿児島大学を合わせて新八医科大学(広島、鹿児島は県立)という。
  • 医専33校と附属医専18校の計51校。
    • 52校とする文献もあるが、徳島医専を公立、官立の両方でカウントして重複している。
    • 外地にも、官立4校、公立4校、私立4校の計12校あった。

戦前の医専 Edit

8校(官立6→0校、公立4→0校、私立9→8校)

官立0校(5+1新潟-1仙台-5)、公立0校(3+1熊本-4)

 

 戦前に存在した官立・公立の各医学専門学校は、既に帝国大学医学部(官立仙台、大阪府立、愛知県立)や医科大学(仙台を除く官立五医専、京都府立、熊本県立)に昇格していたため、一般的には旧医専とは呼ばれない。

 一連の昇格によって医学専門学校は減少し、昭和の戦前期には官立・公立校は内地に1校もなく、私立の8校(内2校は女子医専)のみになった。この内6校は大正末期から昭和初期にかけて新設されたものであった。

 

私立8校(9-1日本) Edit

1.東京女子医学専門学校(旧制東京女子医科大学→東京女子医科大学)

2.東京医学専門学校(東京医科大学)

3.帝国女子医学薬学専門学校(旧制東邦医科大学→東邦大学医学部

4.日本大学専門部医学科(旧制日本大学医学部→新制日本大学医学部

5.大阪高等医学専門学校(大阪医科大学)
6.岩手医学専門学校(岩手医科大学)
7.昭和医学専門学校(昭和医科大学→昭和大学医学部
8.大阪女子高等医学専門学校(旧制大阪女子医科大学→新制大阪女子医科大学→関西医科大学)
9.九州医学専門学校→九州高等医学専門学校(旧制久留米医科大学→久留米大学医学部

  • これらは旧設医科大学とも呼ばれ、私大医の中では御三家(慶應・慈恵・日医)に次ぐ存在である。

戦時の医専 Edit

43校(官立19校、公立19校、私立5校)(附属医専18校、医専25校)

  • 旧医専といえば、一般的には「戦時の医専」を指す。
  • 戦時中の医専は、後述の手塚治虫氏や北杜夫氏のように、旧制高校(今の大学に相当)に落ちて仕方なく進学するという側面もあった(ただし、手塚氏も北氏も名門中学出身で、そこまで医専が低レベルだったわけではない)。

臨時附属医学専門部(附属医学専門部) Edit

18校(官立13校、公立1校、私立4校)

  • 戦時中の医師不足対策の一環として、軍医速成を目的に設立された。
  • 軍部は当初、千葉医科大学の接収を望んでいたが、文部省が認めず、代わりに臨時附属医専が設置された。
  • 学制上は医学専門学校と扱われた。
  • 戦後も、原爆被害の影響でB級医専判定された長崎医科大学附属医学専門部(旧制官立長崎高等学校を経て廃校)以外は存続したが、1946年、文部省令により、7帝大医学部、6官立医大附属医学部専門部、募集停止。在学生の卒業を以て廃校(文部省発学60号)。就業年限4年を1年延長。5年となる。

官立13校

  • 1940年5月、「七帝大六医大」に臨時附属医学専門部(略称:臨時医専,またのちに「臨時」が除かれた)が付設された。
    • 漫画家の手塚治虫氏は、旧制大阪府立北野中を4年で卒業し、旧制大阪府立浪速高校(現・大阪大学)に落ち、大阪帝国大学附属医学専門部に進学した(卒業時は、大阪大学附属医専)。
    • 小説家の北杜夫氏は、旧制麻布中を4年で修了し(4修)、旧制松本高校(現・信州大学)に落ち、東京帝国大学臨時附属医学専門部に進学したが、すぐに退学して麻布中5年に復学した(後に、旧制松本高校理科乙類→東北帝国大学医学部に進学)。
  • 東京帝国大学附属医学専門部は、教職員・施設・設置場所を継承して東京大学医学部衛生看護学科(略称:衛看,現・健康総合科学科)となった。*1

帝国大学

 1.北海道帝国大学臨時附属医学専門部

  • 1945年、在学生の卒業を俟って廃校を決定。

 2.東北帝国大学臨時附属医学専門部

 3.東京帝国大学臨時附属医学専門部

 4.名古屋帝国大学臨時附属医学専門部

 5.京都帝国大学臨時附属医学専門部

 6.大阪帝国大学臨時附属医学専門部(1951年廃止)

 7.九州帝国大学臨時附属医学専門部

旧六医科大学

 1.千葉医科大学臨時附属医学専門部

 2.新潟医科大学臨時附属医学専門部(1952年3月31日廃止)

 3.金沢医科大学臨時附属医学専門部

 4.岡山医科大学臨時附属医学専門部

 5.熊本医科大学臨時附属医学専門部

 6.長崎医科大学臨時附属医学専門部(→旧制官立長崎高等学校→廃止)

公立1校、私立4校

  • 1944年4月、京都府立医科大学、慶應義塾大学、東京慈恵医科大学、日本医科大学、日本大学にも附属医学専門部が付設された。
  • 京都府立医科大学附属女子専門部は、戦後、独自の大学昇格を見送られ廃止されたが、1947年設立の京都府立医科大学予科は男女共学となった。

 1.京都府立医科大学附属女子専門部(1946年の入学者を最後に生徒募集を停止)

 1.慶應義塾大学附属医学専門部(1951年6月解散記念式。1952年3月閉校)

 2.東京慈恵会医科大学附属医学専門部(1952年3月閉校)

 3.日本医科大学附属医学専門部

 4.日本大学専門部医学科(専門部医学科を附属医学専門部として継続?)(1948年3月廃止)

医学専門学校 Edit

戦時非常措置

25校(官立6校、公立18校、私立1校)

官立医専6校

1.青森医学専門学校→旧制弘前医科大学→新制弘前大学医学部2.前橋医学専門学校→旧制前橋医科大学→新制群馬大学医学部3.東京医学歯学専門学校医学科→旧制東京医科歯科大学医学部→新制東京医科歯科大学医学部4.松本医学専門学校→旧制松本医科大学→新制信州大学医学部5.徳島県立徳島医学専門学校→官立徳島医学専門学校→旧制徳島医科大学→新制徳島大学医学部6.米子医学専門学校→旧制米子医科大学→新制鳥取大学医学部

旅順医学専門学校樺太医学専門学校(庁立→官立)(1946年度より生徒募集を停止。学生は北海道帝国大学附属医学専門部に編入)

公立医専11校

1.山梨県立医学専門学校(旧制山梨県立高等学校→廃止)2.横浜市立医学専門学校(旧制(横浜市立)横浜医科大学→新制横浜市立大学医学部)3.三重県立医学専門学校(旧制三重県立医科大学→新制三重県立大学医学部→三重大学医学部)4.奈良県立医学専門学校(旧制奈良県立医科大学→新制奈良県立医科大学)5.和歌山県立医学専門学校(旧制和歌山県立医科大学→新制和歌山県立医科大学)6.大阪市立医学専門学校(旧制大阪市立医科大学→新制大阪市立大学医学部)7.広島県立医学専門学校(旧制広島県立医科大学→新制広島医科大学→広島大学医学部)8.兵庫県立医学専門学校(旧制兵庫県立医科大学→新制兵庫県立神戸医科大学→神戸大学医学部)9.山口県立医学専門学校(旧制山口県立医科大学→新制山口大学医学部)10.福岡県立医学歯学専門学校医学科(旧制福岡県立高等学校→廃止)

  • B級医専と認定され廃止。歯学科は現・九州歯科大学。

11.鹿児島県立医学専門学校(→旧制県立鹿児島医科大学→新制鹿児島県立大学医学部→鹿児島大学医学部

公立女子医専7校(+1京都)

1.名古屋市立女子高等医学専門学校(→旧制名古屋市立女子医科大学→旧制名古屋市立大学医学部(共学)→新制名古屋市立大学医学部)2.岐阜県立女子医学専門学校(→旧制岐阜県立医科大学(→新制岐阜県立岐阜医工科大学医学部)→岐阜県立大学医学部→岐阜県立医科大学→岐阜大学医学部)3.北海道庁立女子医学専門学校(→一旦廃校→新制札幌医科大学)4.福島県立女子医学専門学校(→旧制福島県立医科大学→新制福島県立医科大学)5.山梨県立女子医学専門学校(B級医専と認定され廃止)(→旧制山梨県立高等学校→廃校)(京都府立医科大学附属女子専門部)6.高知県立女子医学専門学校(B級医専と認定され廃止)(→旧制高知県立女子専門学校→新制高知女子大学→高知県立大学)7.秋田県立女子医学専門学校(B級医専と認定され廃止)(→旧制秋田県立高等学校→廃校)

8.大連女子医学専門学校(廃止)9.京城女子医学専門学校→(高麗大学校医科大学)

私立医専1校

 順天堂医学専門学校(→旧制順天堂医科大学→新制順天堂大学医学部





*1 東京大学医学部附属病院分院創立百周年記念誌編集委員会『東京大学医学部附属病院分院創立百周年記念誌』東京大学医学部附属病院分院創立百周年記念事業実行委員会、1996