全統模試 の変更点

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河合塾が実施している模擬試験。

*概要 [#gd3a8266]


-正式名称は「''大学入試全国統一模擬試験''」(沿革参照)。
-1972年に開始され、業界最大規模を誇る。

//-共通テスト試験対策用の''全統共通テスト模試''
//-センター試験対策用の全統マーク模試(センター試験プレテストを含む)、2次&私大対策用の全統記述模試などがある。


-共通テスト試験対策用の''全統共通テスト模試''(共通テストプレを含む)、2次&私大対策用の''全統記述模試''などがある。

-''全統マーク模試''(2020年2月以降は「''全統共通テスト模試''」)と''全統記述模試''は、全統模試の二枚看板であり、毎年多くの受験生を集めている。

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*特徴 [#y8a68c43]


-よく練られた癖の少ない出題が多い。



-世間一般では、進研模試と駿台全国模試の中間程度の難易度という位置付けである。
--物理など駿台の模試より難しい科目もある。
-母集団は駿台模試より大きい。
-誠に残念ながら、マーク模試の質は明らかに駿台より良いと言われる。また更に残念なことに、記述式問題の採点の質や丁寧さは駿台模試よりも総じて丁寧だとされている。
--母集団や採点を含めて考えると全統模試の方が良いとされることも。
-受験する場合はなるべく早目に申し込む事。辺鄙な場所にある会場しか空きが無くなる。
-全国統一とか言いながらも、実施日程は全国統一ではないことが多く、むしろ駿台の模試の方が全国統一的である。
--このご時世ネットで情報が行き交うので全国統一日程にしてくれないと公平性が保てないとの意見も多くある。
---例えば、2019年度夏の京大入試オープンは地域によって2週間も実施日が異なった%%のでネタバレ必至であった%%。
-長年、Z会と提携(一部の模試は共催)していた(1994 - 2018年度)。
--しかしZ会は2019年度に河合塾%%を裏切り%%との提携を切り、駿台と提携するようになった(東大・京大実戦と高12アドバンスドは共催)。

-採点は比較的丁寧である。

-判定は一応、信頼できる。
--駿台に比べて、超上位層の受験者は少ないので、医学部志望者には信頼されていない。

-小泉徹先生曰く、「みんなが倒れるから全倒模試!」
-2020年度は新型コロナの影響で公開会場での実施が全て中止された。代わりとして特別受験サービスと称したWeb受験が可能となった。

**全統共通テスト模試 [#bdde801a]



-1977年 - 「''全国共通一次模試''(翌78年度から''全統一次模試''と改称)」「''全統記述模試''」をスタートさせた。
1984年、共通一次国語の現代国語の題材の文章が、河合塾の全統一次試験に出題されたものと同じだったため、河合塾での問題作成者だった牧野剛が問題を的中させた、と話題になった。
-1984年、共通一次国語の現代国語の題材の文章が、全統一次模試に出題されたものと同じだったため、河問題作成者だった牧野剛先生が問題を的中させた、と話題になった。

-1989年 - 大学共通第1次学力試験の廃止と大学入試センター試験の開始にあわせ、全統一次模試を廃止し、''全統マーク模試''を開始。
**全統記述模試 [#a902a930]
-1977年 - 「''全統記述模試''」をスタート。

-かつては(1989年頃まで)、進学研究社(現・河合出版)から「全統記述模試」の過去問を編集した『''記述総合問題集''』も出版されていた。
**オープン [#z6e771cd]
-1974年 - 駒場校の開校を前にして、日本初の特定大模試とされる「''東大入試オープン''」を実施。
-大学別入試オープンが存在する。
-駿台と同じラインナップに加えて、早慶や医進模試も実施される。
-2020年度はコロナ禍でWeb受験すらない惨状である。


-「1974年:河合出版設立。大学別入試オープン(当時は東大即応のみ、後の東大op)の実施。」という河合塾wikiの記述は誤りである。
**プライムステージ(記述・論述式) [#ne172aee]
-難関大入試対策。


*沿革 [#c3ea22b3]

-1965年 - 1965年度は、通常は塾生のみを対象に実施しており、「''河合塾公開模擬試験''」(河合塾模試)と称し、年に2回だけ公開していた。
--年7回の必須模試のうち、第5回は旺文社全国模試で、第3回、第6回が公開模試。第6回は代々木ゼミナール他、3高校と共催。
-1966年 - 1966年度に、全ての回を公開模試としたうえ、東京の有力予備校3校(一橋学院、[[駿台高等予備校>駿台予備学校]](当時)、代々木ゼミナール)との共催模試を各1回で計3回、全国学生文化厚生団体連合(学文連)の「名大学力コンクール」を3回採用して組み込んだ。
--[[駿台高等予備校>駿台予備学校]]の駿台模試とは、1966年度から1969年度まで提携していた。
-1967年 - 1967年度からは、「東大学力コンクール」「京大学力コンクール」も採用。
また、一橋学院との共催模試を発展的に解消し、全国9予備校で共催する「''全国私大模試''」(別名「早慶模試」)を創設した。
-1969年 - 1969年度からは、河合塾模試を「''大学入試中部統一模擬試験''」(中部模試)と改称した。
-1970年 - 河合塾は、元々、駿台高等予備校(当時)の駿台模試と提携していたが、1970年に、従来の「''大学入試中部模擬試験''」(中部模試)を実質的に全国展開させる形で「''大学入試連合模擬試験''」(連合模試)を創設した。
--1970年度に、全国私大模試を共催してきた予備校のうち一橋学院・関西文理学院・コロンビア予備校を選び、中部模試を実質的に全国展開させる形で、「''大学入試連合模擬試験''」(連合模試)を創設した。
-1972年 - さらに1972年に「''全国進学情報センター''」を組織して、「''大学入試全国統一模擬試験''」(全統模試)を実施した。
--1972年3月、全国7予備校と図って「''全国進学情報センター''」(全進)を設置し、連合模試を改称した「''大学入試全国統一模擬試験''」(全統模試)を実施(河合塾単独としては初めてとなる全国統一模擬試験)。
-1974年 - 駒場校の開校を前にして、日本初の特定大模試とされる「''東大入試オープン''」を実施。
-1977年 - 「''全国共通一次模試''(翌78年度から''全統一次模試''と改称)」「''全統記述模試''」をスタートさせ,静岡・金沢・長野・高松に事務所を開設した。
-1989年 - 大学共通第1次学力試験の廃止と大学入試センター試験の開始にあわせ、全統一次模試を廃止し、''全統マーク模試''を開始。
-1994年 - 河合塾とZ会との提携を開始。
-2019年4月 - 河合塾とZ会との提携が解消されたため、「即応オープン」と「プレステージ」をそれぞれ河合塾独自の「入試オープン」と「プライムステージ」に変更。ブラウザ上で復習,成績確認が可能なソフトウェアである模試ナビ(河合塾 全統模試学習ナビゲーター)の運用を開始。
-2019年6月9日 - 2021年から大学入試共通テストを開始することを踏まえ、高1生と高2生を対象に本校傘下の株式会社河合塾マナビスと共同で「大学入学共通テストトライアル」を初めて実施。

*参考文献 [#a449d2b2]

-三上敦史(2010).「受験情報誌『栄冠をめざして』の研究―1966〜83年の河合塾が高等学校に伝えた受験情報―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (59), pp.113-122, 2010-03, 愛知教育大学.
-三上敦史(2013).「河合塾による『全統模試』の創設―模試を通した新しい情報戦略の展開―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (62), pp.131-137, 2013-03-01, 愛知教育大学.