桑原岩雄 の変更点

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桑原岩雄(くわばら いわお 1907.8.21-2002.1.8)は、元駿台予備学校古文科講師。

*経歴 [#mc6c9b60]
-1907年8月21日、新潟県生まれ(本籍地は長岡市)。
-旧制新潟縣立小千谷中學校((現・新潟県立小千谷高等学校))卒業。
-旧制國學院大學文学部卒業。
-旧制日本中学校((現・日本学園高等学校))教諭(国文法)(1930年9月 - 1942年3月)。

-元 新宿予備校講師。
*授業 [#vb6761c7]
-「観の目、見の目」と文章を細かい部分に気を配りつつ、広い視野を持つという2つの視点で読むことを大事にしていた。
--「観の目」、「見の目」は、宮本武蔵の五輪書からくる言葉である。
--この考え方を英語に応用したのが今井宏師の『パラグラフリーディング読本』であるそうだ。(今井宏師談)
-講師生活における晩年は体調不良の雑談も多く授業進度も良くなかったが、それでもなお生徒が離れることはなかったという。
*担当授業 [#q74bacc2]
≪通期≫
-古文選I 1976年度
-教材不明 午前部文1 1978年度
--高橋正治師とペア。

≪講習≫
-古文実力向上演習
--前半と後半に分かれており前半を担当。後半は高橋正治師が担当。

≪特設単科≫
-「古文・桑原講座」
*人物 [#r8a28346]
-昔、東大の新入生に行った「尊敬する人物」のアンケートで一位をとるほど影響力のあった講師である。
//一位の要出典
--昭和46年2月11日の朝日新聞の社会面で写真入りで掲載された。
--2016年8月27日(土)の朝日新聞朝刊の「縮刷版から」というミニコラムでも再掲された。

-奥井潔師も「その中でも随一に心高潔で、清らかな名教師だったのが国語の桑原先生。この方は絵もおかきになる。弓も非常に高い境地に達しておられる。お書きになった論文も高雅なものでしてね。一本の竹のように、清々しい風懐の素晴らしい先生でしたね」と言わしめるほど。
-本校英語科講師の大島保彦師や古文科三輪純也師も駿台在籍時に習った。
--大島師によると、ある生徒が「古文ができない。どのようにやればできるようになりますか?」と質問すると、「それはですね、心が曲がっているからです」と応じる講師だった
--三輪師によると、「源氏物語馬鹿(マニア)で一緒に仕事する様になってからわかったんだよー」とのこと。
-本校物理科講師の森下寛之師も浪人時代にもぐりで受講していた。
--現役の時、国語の授業を全て数学の問題を解くことに充てていたため、駿台に入って受けた関谷浩師の授業が分からず、友人に勧められた桑原師の講義を受けてみたら面白かったとのこと。


-旧制日本中学での授業では国文の基本を万葉の『やまと言葉』に置いておられ、濁音・撥音のない日本語の美しさを強調し、その点留意して古文は注意深く読むことを推奨されていた。


-「原文を味読すること」が主張で、そのためにテキストも文字が大きく、注釈は極力少なく構成されていた。
-「ゆっくりと読むんです。日本語なんだからゆっくり読めばわかります。」とおっしゃり、難解な箇所で「ゆっくり」を何度も強調された。

-『源氏物語』をこよなく愛好しており、テキストで源氏が扱われた際、本文を朗読して「よいですなぁ」と言って授業をせずに帰ったという逸話がある。
-『源氏物語』を読んでいる時に、「源氏は一人で書いたんじゃないんですから」といかにも当然のことのようにおっしゃっていた。
-中宮定子のことを「チュウグウサダコ」と発音されていた。
--有名な御簾を掲げる場面で、二重尊敬の助動詞に着目すれば、チュウグウサダコが主語である箇所はすぐわかるといったお話だった。

-関谷浩師は桑原師のことを非常に尊敬しており、現在でも授業中に「僕が駿台に骨を埋めようと決意したのは桑原先生がいたからです。」といった旨を述べている。
-ややハスキーな声であった。それでも声は通っていた。

-授業後、生徒が古文の解らない所を質問しようとすると、師がエレベーターを待っている所だった。 師は「一緒に乗りなさい」と手招きして、講師用の小型エレベーターに特別に同乗させたそう。その後も講師室で質問に答え続けていたようだ。
-ベテランになってからも、若手講師が講師室から退室する際に、わざわざ立ち上がって見送っていたという。
-上野一孝師に「上野先生、試験にマークシート導入以降、生徒は(古文が)できなくなりましたねえ。」と残念そうに語ったという。

-京都駿台予備校(現・京都校)にも季節講習で出講していた。
-特設単科「古文・桑原講座」が設置されていた。
*著作 [#zc5c7d0c]

**学習参考書 [#o4f8c577]
-『古文要説Ⅰ 日記文学編』(桑原岩雄 駿台文庫、1976年3月)
--秋本吉徳師の数少ない推薦書の一つ。
-『新・古文要説Ⅰ 歴史物語篇(駿台受験叢書)』(桑原岩雄 駿台文庫、1984年5月)
-『新・古文要説Ⅱ 日記文学篇(駿台受験叢書)』(桑原岩雄 駿台文庫、1984年11月)
-『新・古文要説Ⅲ 源氏物語篇(駿台受験叢書)』(桑原岩雄 駿台文庫、1987年6月)

-『大学受験必修 古文入門―探究・読解の着眼点(駿台受験叢書)』(桑原岩雄・関谷浩 共著 駿台文庫)
--関谷浩師との共著。
--秋本吉徳師の数少ない推薦書の一つ。
-『新・古文入門―探究・読解の着眼点』(桑原岩雄 駿台文庫)

-『大学受験必修 古典文法入門―歴史が語ることばの姿(駿台受験叢書)』(桑原岩雄・中島繁夫・関谷浩 共著 駿台文庫、1985年12月18日)
--共著の形をとっているが、実際は全て桑原師によるもので、師の教育観が一番強く表現されている著作。
-『古典文法入門―歴史が語ることばの姿―(駿台受験シリーズ)』(桑原岩雄・中島繁夫・関谷浩 共著 駿台文庫、2001年5月)
-『古典文法入門演習』(共著 駿台文庫)
-『古典文法入門演習<改訂版>』(桑原岩雄 駿台文庫)
*発言集 [#aa975038]
-「体を大事にして、将来とも物事を自分の目でしっかり見て、そして自分の意思で判断してもらいたいと思います。世間では自主性を重んじてというのがはやってますが、もっと、深い意味でいっています。どうか軽々しく人の真似をしないようにしてください」
-「一年浪人すれば一年長生きすればいいんです。二年浪人すれば二年長生きすればいいんです。えー三年浪人すれば三年長生きすればいいんです。受かるまで何年でも浪人すればいいんです。」
-「今浪人してることが、無駄な時間を過ごしていると思ってないですか?一年遅れて大学に入ることに、どんな損失があるというのでしょう。この世に無駄なことなぞ無いのです。浪人して必死に勉学に励むことが無駄というなら、無駄でないことなどこの世にあるのでしょうか?」
-受験生に対して、「理由なくして他人の真似はするな、自分だけの人生を切り開いて歩め」、(そして、道元の正法眼蔵随聞記を引用し、) 「たとえ困難な道でも、『そのこころ、あながちにせちなるもの、遂げずというふことなきなり』」
-「古文といいますが日本語なんです。言葉の意味や活用は現代の日本語とは少し違っていますが、日本語なんですから読めばわかるんです。最初は文法に頼るのもよいのですが、そのまま分かるようになるまで読んでください。そして味わってください。受験勉強だろうが何だろうが勉強には変わりありません。まずは実力をつけることです。実力があれば合格するんです。ですから安心して勉強に励んでください。」
-「ゆっくりと読むんです。日本語なんだからゆっくり読めばわかります。」
-「文法は覚えてはいけません。覚えれば忘れますから。『書かず、書きて、書く、書くとき、書けば』と言ってみれば自然に動詞の活用はわかります。」
-(弓をしていて、悟りの域に達した時)「それはそうですよね、頭の中身が変わったのですから、入れ物が変わるのは当たり前ですよね」
-(気力を失っている生徒に対して、背筋を伸ばさせて)「大丈夫だ、大丈夫。こうしてしばらくしてしばらくゆっくり呼吸をしなさい。そうしたらまた身体に元気が戻ってきますよ。」
-「源氏物語五十四帖が、紫式部という一女性の手によって作られたなどということは一片の伝説である。(中略)この複雑な作物が、一人の作家によって順を追うて書き上げられたなどということは、源氏物語そのものを読めば、空想に過ぎないことが、はっきりと感じられる。」

*外部リンク [#tf763ea5]
[[父、桑原岩雄トップページ>http://kuwabaraiwao.com/father/father.html]]:ご子息による伝記ページ