西山清二 の変更点

Top > 西山清二

西山清二(にしやま せいじ)は、元駿台予備学校数学科講師。現河合塾講師。

*経歴 [#jddb6dba]
-熊本県人吉市出身。
-鹿児島大学工学部中退。
-立教大学理学部数学科卒業(編入学)。
-千葉大学大学院修士課程修了。
-東京都立大学大学院博士課程修了。
-元 駿台予備学校数学科講師(1984 - 1993年度途中)。

*授業 [#w1835fdd]
-わかりやすい講義に定評があった。
-授業形式は普通で解説もオーソドックス。
-板書が早く、講義中はとりあえず写して後から読み返して理解するという感じになってしまいがちである。
-解答とは別に重要なポイントや頻出テクニックをまとめて書いてくれるので、復習の際に役立つ。
-補助プリントを配布することもあった(人物参照)
-補助プリントを配布することもあった(人物参照)。
-必ずと言っていいほど延長したり早く始めたりする。
*担当授業 [#w71132d3]
**通期 [#u88235b2]
-数学X# セクション不明
--市谷校舎 午前部理3α(A組~D組) 1988年度
-数学XS(旧教材)§3 
--4号館 [[難関国公立大理系セレクト>スーパー国公立大理系総合]]コース(A組~D組) 1992年度
-数学BTⅡ
--市谷校舎 医系スーパーコース(A組~D組) 1993年度(5月まで)
**夏期講習 [#s8fd1158]
-代数幾何微積分上級
--後任は小島敏久師。
-代数幾何微積分中級
--後任は小島敏久師。

*人物 [#wc8157d9]
-往年の駿台を支えた人気講師。

-鹿児島大学には、当時の国立大学二期校入試で不本意入学し、後に立教大学に編入学している。

-1984年講師採用試験公募2期目の採用である同期は大島保彦師、小林隆章師、坂井孝好師など。
-小島敏久師とは盟友だったらしい。
-秋山仁師を師と仰いでいた。
-駿台在籍時代は、西岡康夫師、長岡恭史師、小林隆章師とともに若手のホープ的存在だった(''新進3N+K'')。
-駿台在籍時代は、例年、主に市谷校舎の午前部理3α〜医系スーパーコース、お茶の水校の難関国公立大理系セレクトコース(東工大コースの一つ下)を担当していた。
-講義では補助プリントを配布することがあり、他クラスの学生まで貰いにくることもあった。
--貰いにきた学生のクラスの該当セクションの担当が、たまたま、当時、数学科主任の一人であった野澤悍師だった。
--結果的に、自身の担当セクションの領域を侵された野澤師は激怒し、そのことが後の河合塾移籍の要因の一つではないかという説がある。
-1993年前期途中の5月に退職し、次年度から河合塾に移籍した(同時期に英語科の宮田裕三師、福崎伍郎師も退職)。
-雲孝夫師とは河合塾本郷校ハイパーコースで長年共にして人格者と崇める一方、雲幸一郎師のことは「自分が駿台を辞めたあと雲幸一郎が駿台でのさばってる」とか、「東大の解答速報は駿台は雲くんが作ってるけど、河合塾の先生が作った解答の方がはるかに鮮やかで分かりやすい」等々の発言をした。西山師の駿台時代の晩年と雲幸一郎師が駿台の初期は被っており、現在に至るのである

-河合塾では主に東大クラスや医学部クラスを担当している。
--医進関係のテキストをメインに作成しており、ズバ的と呼ばれるプリントを大量に配布している。
--近年では高齢のため担当コマ数が年を追うごとに減っている模様で、2019年度をもって麹町校(駿台で言うところの市谷校舎に相当)の医進現役最上位クラスの担当を降りられた。後任はこれまた元駿台講師の隣裕之師。
-河合出版から発売されている『医学部攻略の数学Ⅲ』は駿台生にも愛用者は多い。
--市谷校舎生では特にそれが顕著である。
--数学I・A・II・Bも西山先生に書いてほしいという声も大きい。