河合塾

Wed, 07 Feb 2024 01:40:21 JST (87d)
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河合塾(かわいじゅく)は、愛知県名古屋市を本拠とする日本の大手予備校、および同予備校(専修学校・各種学校)を運営する学校法人。

代々木ゼミナール、駿台予備学校と並ぶ三大予備校の一つである。また河合塾の模試は全国統一模試(全統模試)などが有名である。「机の河合」と呼ばれることがある。キャッチコピーは、「すべては一人ひとりの生徒のために」。塾訓は、「汝自らを求めよ」。

URL:https://www.kawai-juku.ac.jp

概要 Edit

  • 1933年11月5日、旧制五高・名古屋高商の教授を歴任した河合逸治(元・中京高等予備学校講師)が自宅を開放して私塾「河合英学塾」を創設。
  • 1937年、「河合英学塾」から「河合塾」と改称し、桜山校(名古屋市)開校。
  • 1942年4月1日に愛知県から設置認可を受けて各種学校「河合高等補習学校」(定員550名)と改称。
  • 1944年3月31日を以て廃校。
  • 1947年に私塾「河合塾」として再興。
  • 1948年、再び愛知県から認可を受けて各種学校「河合高等補習学校」と改称。
  • 1955年3月14日、愛知県から学校法人河合塾の設立認可(学校名は変更なし、理事長:河合逸治)。
    • 1955~74年にかけて、法人名は「河合塾」、学校名は「河合高等補習学校」という時期が続いた。
  • 1958年、大蔵省(当時)から非課税校として認可を受ける。
  • 1971年、夜間部補習科を「グリーンコース」と改称。

特徴 Edit

  • 元々は名古屋のローカル英語塾。
  • 「学者が大学受験の為の英語を生徒に教える」と言う点で見れば、駿台と河合塾のルーツは極めて似ている。
  • 駿台がライバル視する数少ない予備校。
    • 授業中に河合塾を批判する講師も少なくない(某代ゼミほどボロクソに言う講師はあまりいないが)。他校批判は生徒の笑いを取りやすいからだろうか。
    • 竹岡広信師「駿台予備学校!学校だよね!?河合塾!塾だよね!?代々木ゼミナール!もう訳がわからんね!!」
  • 駿台をライバル視している塾(予備校)。
    • 名古屋を本拠地に駿台と長年、仁義なき戦いを繰り広げている。
  • キャッチコピーは「すべては一人ひとりの生徒のために」。
    • 駿台のキャッチコピー「第一志望は、ゆずれない。」に対し、こちらはこれと言って決まったキャッチコピーはない。
    • 「ひとつ上が見えてくる 河合塾」が一時的に流行ったことがある。
    • センター試験翌日の新聞に載る、「自分の夢まで、自己採点しないでください」が最近だと有名か。
      • なかなかよい言葉である。実情は知らないが。
  • 本拠地は名古屋にある。
    • 記念すべき第1校は名古屋市昭和区桜山で始めた桜山校で、桜山には今でもオフィスがある。
    • 本部は名駅校ではなく千種校(千種キャンパスとも呼ばれ、河合塾の本部が置かれている)。
    • 名古屋駅前は本当に河合塾だらけであるだった(が、河合塾の名古屋全体の進学実績と、駿台名古屋校単体の進学実績がほぼ同じであるとかないとか・・・)。
      • 近鉄名古屋駅は駿台名古屋校に一番近い中央改札口とホームの間のコンコースにも河合塾のポスターが貼ってある。近鉄で名古屋校に通っている駿台生は毎日これを見て通わなければならない。少し嫌がらせに近い。
    • かつて、運動会の後に有名講師Mに煽動され、Yゼミ名古屋校を襲撃し、地方新聞沙汰になったことがある。
  • 2021年4月に新名駅校が開校した。
    • 名駅キャンパス名駅校*1(医進館/東大・京大館)と名駅キャンパス名古屋校*2が統合され、JR名古屋駅西側の結婚式場「ザ・グランドティアラ名古屋駅前」跡に、新たに「(仮称)河合塾新名駅キャンパス計画」名駅校”(東大京大医進館/名大難関進学館)として開校した。
    • 新名駅校の左(北隣)にあった旧名駅校は解体された(JR東海がリニア名古屋駅建設に伴う用地買収の移転用地として取得済み)。
    • 名古屋駅西口(太閤通口)の角にあった名古屋校(新・名古屋校)は、2012年に竣工したばかりだったが、リニア名古屋駅の建設用地にあたるため、わずか9年での解体となった。
  • 共通一次試験開始と、当時、名古屋のローカル予備校に過ぎなかった河合塾の東京進出(駒場校開校)が「予備校戦争」の発端といわれる。
    • 実際には京都駿台予備校の開校が、大手予備校の他地域への進出の嚆矢であったが、「これは京都地区には波紋を投げかけたが,全国的な話題とはならず,またこれに追随する予備校もなかった。」(三上,2014)*3
    • 1977年には駒場校を開設した。予備校関係者から「殴り込み」*4と称された他地域への進出である。(三上,2010)
    • 後の三大予備校の間に限って言えば、当初は(少なくとも表面的には)さほど厳しい空気が流れていたわけではなかった。(三上,2014)*5
    • 進出当初は一橋学院と提携しており、コースもすみ分けされていた。
  • 現在では全国に多数の校舎を展開している。
    • ローカル予備校に過ぎなかった河合塾が全国進出を果たせたのは、外資系商社や証券会社など、外部から教育の門外漢である若いビジネスマンを積極的にヘッドハントしたことによる。(三上,2013)*6
    • 提携予備校やグループ会社の河合塾マナビス、河合塾ライセンススクールなどを合わせると、それはそれはとんでもない数に…
    • 河合塾津田沼校は駿台津田沼校のすぐ近くにある。ケンカを売りに行ってるのであろう。実際は研数学館津田沼校の校舎を譲り受けただけである。
  • 1984年に大阪校が開校した。
    • 最近は緑地公園駅(江坂・なかもず方面のホームのエスカレーター)にも河合塾大阪校の広告がある。
      • 河合塾のテキストハンパないって!」
    • お返しと言わんばかりに、河合塾大阪校の最寄り駅である御堂筋線中津駅にはデカデカと駿台の広告が張り出されている。
    • 2018年度から神戸三宮校(これまでは現役専門だった)がリニューアル開校するため、阪急神戸三宮駅などは河合塾開校の広告で溢れている。
    • 2020年春、大阪市北区豊崎の大阪北キャンパスに大阪校がリニューアル開校、東大・京大・医進館が新規開校する。
  • 札幌では地元の老舗予備校・札幌予備学院を吸収、仙台では地元の老舗予備校・文理予備校と提携した。
    • 現在でも仙台校は別法人運営である(文理予備校は1991年に河合塾文理に、2006年には河合塾仙台校に改称し、現在に至る)。
  • 東進衛星予備校に対抗した河合塾マナビス」という映像授業にも力を入れている。
    • ちなみに河合塾河合塾マナビスは別々の会社で業務提携という形を取っている。
  • 河合塾KALS」という大学生・社会人向けの大学院入試・医学部学士編入・大学編入対策スクールも運営している。
  • 駿台のEXクラスと双璧をなすと言われるエクシードコースが設置されている。
    • 特別ゼミが行われるなど、生徒への対応が手厚いとされる河合塾の中でもさらに手厚い。
    • 駿台のEXコースに在籍したものの2浪した人でここに通うという人は多い。
  • 駿台講師の中には、授業中に河合塾を貶す先生も一定数いる。
    • 現役時に河合に通って浪人して駿台に通っている駿台生の中には、河合塾の内情を何も知らずに非難している駿台の講師をあまり快く思っていないことが多い。
  • 駿台の講師やクラス担任はよくここの予備校を「K塾」と呼ぶ
    • ただし、化学科の山本心也先生はpretty塾(←かわい(い)塾)と呼ぶ。
  • 某武田塾(笑)からは「良い高校」と評価されている。
  • 机が一人一人独立した学校机で、「机の河合」の異名を持つ。
    • 椅子も駿台のものよりは座り心地が良く疲れにくい。
  • テキスト編集や模擬試験製作の会議は、四大予備校の中で最も念入りに行われていると思われる。
    • 悪く言えば、テキストも模試も無難ではあるがあまり個性がない。
    • とはいえ、その分どんな人でも取り組みやすいものになっている。
      • そのため、平均して全体的な質はとても良く、駿台でも河合塾のテキストの丁寧さを賞賛される講師は少なくない。
  • 浪人生は土曜日にある特別講座などで解いた問題を担当講師本人が添削してくれ、普段でも添削を頼めば講師本人に添削して頂ける。勿論タダ。
  • 運動会があったりして、比較的学生同士の仲が良い。
    • サッカー部があるらしい。
  • ちなみに関東地区、近畿地区、その他の地域でそれぞれwikiが存在する。
    • 河合塾wikiは当wikiに対抗意識があるらしく、河合塾講師自らツイッターで河合塾wikiの編集を呼びかけている。
    • 関東地区のwikiは廃止された。
    • 中部地区のwikiは、関東地区のwikiが廃止されたことを契機に、非近畿地区wikiとなり、充実さが以前より増した(札幌や仙台、関東、広島、九州地区の情報を閲覧できるようになった)。
      http://kawaijuku.wiki.fc2.com/
    • 近畿地区のwikiは非常に充実している。
      http://kawaikinki.wiki.fc2.com/

授業 Edit

  • 授業時間が90分であることが駿台との最大の違い。
    • 実際の入試や大学の講義は80分~180分が殆どなので、日頃から長時間集中に慣れておきたい人は河合塾にすれば良いし、学校のように50分が良かったり、90分は集中力がもたないと思ったら駿台で良いだろう。
      • もっとも駿台が50分を1コマにしているのは脳科学的に1時間以上集中力は持たないことが示されているためである。
    • ただ大学の講義では(特に教養課程)1コマを90分以上に取っている所が多く、駿台に行く人も大学入学後のことも見据えて90分以上耐えられる集中力を持ち合わせておく方が良い。
  • 90分授業ゆえ、途中で雑談を挟む講師が多い。
  • 駿台と授業時間が違うので、駿台兼任の講師の中には駿台とはやや授業スタイルを変える講師もいる。
  • 前期・後期をそれぞれ基礎シリーズ・完成シリーズと呼ぶ。
  • 授業プリントの配布は駿台より自由である(代々木ゼミナールは原則禁止)。
    • ただ、経費削減のため、わら半紙が使われていたりする。
  • 教科にもよるが、駿台とは基本的に異なる方針を取ることがある。
    • 例えば、英語科(タケオ科を除く)では、駿台英語科は『英語構文S』や『英文読解S』のように全訳を勧めるが、河合塾では「構文を取って、全訳することを勧めるなんて、英語を学んだ人間の思考とは思えない」などと評されることがある。[要出典]

テキスト Edit

  • 癖のないオーソドックスなテキストが多い。
    • 駿台は意外と編集担当講師の癖が出ていて、他講師が批判したり全くテキストを使わなかったりする。
  • 解説編のテキストやサブテキストはよくまとまっている。
  • 塾生はテキストを塾生にしか通じない略称で呼ぶので、塾外生が聞くと少しイラッとする
  • 表紙がテカテカしていて傷みやすい。

講座 Edit

  • 講習会でオリジナル講座はほとんどない。
    • テキスト編者と担当講師が一致する場合、実質、オリジナル講座となることもある。
    • 代々木ゼミナールから移籍された数学科の諸橋実先生*7は別格扱いで、講習会でもオリジナル講座を持っていた。
  • 1987年度に代々木ゼミナールから移籍した古藤晃先生、芦川進一先生の提唱で「公開単科ゼミ」が設置された。
    • それに対抗して駿台も「特設単科講座」を設置したとされる。
      • されていたが、それ以前から駿台にも単科講座は存在しており、俗説である。
    • 大阪校では、かつてレギュラー(大学受験科)の選択授業の一部が公開単科ゼミとして塾外生でも受講できた。
  • 伝統的に高校生対象の「高校グリーンコース」に力を入れている。
    • 駿台の「エクストラ講座」は、当時の数学科の人気講師・奥田猛氏が開講した「エンリッチ講座」(現・ハイパー講座)に対抗して設置されたとも言われている。
  • かつて、駿台の現代文・地理が弱点と言われていた時代は、関西駿台生も河合塾講習東大現代文』(大川邦夫先生)、『東大地理』(岡本耕平先生)などを受講して自主的に弱点を補っていた。
    • 同様に生物も弱点と言われていたが、関西地区は河合も代ゼミも生物はイマイチであった。

講師 Edit

  • 1973年の秋、全共闘の元活動家を講師として意識的に採用し始め*8代々木ゼミナールとともに、いわゆる「名物講師」による「予備校文化」の礎を築いた。
  • 基本的に講師の質、知名度は(一部を除き)駿台に比べるとやや劣る。
    • しかし、どの教科にも満遍なく実力のある講師が揃っており、駿台よりも講師のアタリハズレの差が少ない印象。「スタンダードに良い≒クセが少ない」というのもなかなか重要な要素である。
    • 左翼的風潮も似ている。
  • 性同一性障害をカミングアウトしたしぎょういつみ氏をはじめとして、髪型、服装など講師の外見は最も自由である。駿台もかなり自由な部類ではあるが。
  • 地味な講師が多く、現在では有名講師は比較的少ない。
  • 全国的な有名講師には、東進兼任の物理の苑田尚之先生(慶応医学部や医科歯科、横市の物理と担当しているので直前はお勧め)、元・東進兼任で「はじめからていねいに」で有名な化学の岡野雅司先生(元・研数学館)、「実況中継」で有名になった日本史の石川晶康先生、世界史の青木裕司先生(元水城学園)などがいらっしゃる。他にも、センター化学実況中継で有名だった東大教授に直に文句も言える化学の小川裕司先生、医進専門の毒舌魔髙木賀正先生(慶応医学部や横市の化学を担当しており河合の医進関係の化学に責任者なのでおすすめ)など、駿台に負けない分野の先生もいらっしゃる。
  • 『実況中継シリーズ』を菅野祐孝先生(元武蔵予備校、元代々木ゼミナール)から引き継いで有名になった日本史科の大御所、石川晶康先生がいらっしゃる。
    • 本が有名なだけで中身は話が眠いおじさんであることは内緒。(元河合塾生徒より)
  • 近畿地区からは、奥田猛氏(河合塾→東進→ena)を除いて、全国区になった講師はいない。
    • 中部地区からであれば、予備校界でもレアな地学と地理の二刀流ができる中井隆顕先生がいる(高校数学と高校理科の教員免許をお持ちである)。
    • また、東進移籍後全国区になった志田晶先生は駿台→河合塾中部地区からの引き抜きである。
    • 実況中継で有名になった世界史の青木裕司先生(元・水城学園)は福岡校である。
  • 「ネプリーグ」でお馴染みの、地理のパクリ疑惑のある東進の村瀬哲史先生は、河合塾大阪校→東進→学研グループ→東進で、全国区ではある。
  • 全国区ではないものの、近畿地区化学科には、関西で石川正明師と人気を二分する重鎮大西正浩先生がいる。
    • 竹岡広信先生は河合塾のことをボロカスに言うが、大西氏のことはなぜか褒める。
    • 東進兼任で鎌田真彰師の後任として『東大特進化学』を担当していた大西哲男先生(現在は鎌田先生が復帰したため『東大化学』を担当)、元・代々木ゼミナールの人気講師・大西憲昇先生、超プレミアム本『最短コース 化学』(高木書店)で有名な大西一郎先生(元・近畿予備校)とは別人である。

元駿台 Edit

兼任講師(駿台) Edit

  • 沖暢夫師、太庸吉師、相川雅昭師、國兼欣士郎師、平野剛士師、樹葉瑛士師、東康介師、村中和之師
    など。
  • 西村明先生、松本紀美子先生、山岸泰道先生、新井茂樹先生、池谷哲先生、津田勇一先生、中井照美先生など。

講師 Edit

現・駿台 Edit

  • 雲孝夫(元兼任)、渡辺幹雄、宇野仙
  • 西敬三(元兼任)

他予備校 Edit

  • 齋藤慶介(化学、中部地区)
    • 千種校で浜島清利先生とともに公開単科ゼミも持っていた。
    • 代々木ゼミナールを経て、進学塾ビッグバン~うめだ理数研セミナー(旧・理数研セミナー梅田校)。
  • 長井敏弘(数学、広島校
  • 田部眞哉(生物、元・研数学館、現・東進ハイスクール
    • 公開単科ゼミ「パワフル生物」も持っていた。
    • 1997年度に東進に引き抜かれた。
  • 志田晶(数学科、中部地区。元・駿台名古屋校兼任、現・東進ハイスクール

引退 Edit

  • かつては、元ENAの奥田猛先生、1984年に大学共通第1次学力試験(共通一次,現在の大学入試センター試験の前身)の国語(現代国語)の問題文を的中させて、時代の寵児となった牧野剛先生(75年河合塾入り)、東大現代文を的中させた大川邦夫先生、東大地理の第一人者、権田雅幸先生などがいた。
  • 土師政雄師(代々木ゼミナール、駿台兼任)、斎藤雅久(駿台兼任)

模擬試験 Edit

  • 「大学入試全国統一模擬試験(全統模試)」と呼ばれる模擬試験
    を実施している。
  • 1972年に「全国進学情報センター」設立して、全国統一模試(全統模試)開始。
  • 元々、駿台高等予備校(当時)の駿台模試と提携していたが、1970年に、従来の「大学入試中部模擬試験」(中部模試)を実質的に全国展開させる形で「大学入試連合模擬試験」(連合模試)を創設した。
  • さらに1972年に「全国進学情報センター」を組織して、「大学入試全国統一模擬試験」(全統模試)を実施した。

出版部門 Edit

 河合出版(元・進学研究社)という出版部門がある。

  • 1974年 - 出版事業開始。
  • 1983年 - 「株式会社河合塾進学研究社」設立。
  • 1989年9月13日 - 「株式会社河合出版」設立。
  • 学習参考書出版部として「河合出版」(旧・進学研究社)を運営している。
  • 総じて書籍のクオリティは高く、解説の丁寧さに定評がある。
    • とりわけ数学、現代文、物理の問題集、センター試験過去問集(センター試験過去問レビュー)*1は高品質で、駿台講師の中でも評価されている書籍もあるほど。
    • いわゆる紫本もここが出版している。
  • 反面、参考書系の書籍の評価は他社のものに一歩譲るか(要出典)。
  • 駿台文庫のような高度なアカデミック性や玄学趣味はあまりない。
    • かつては、駿台文庫から出る参考書のような学術書に近い書籍(「理系 化学精説」,「日本史精説」「世界史要説」など)も多く出版されていたが、2010年代ではその様な内容の本は「理論物理への道標」や「医学部進学のための特別講座 医学・医療概説」程度に留まっている。
  • 大学入試センター試験(大学入学共通テスト)の過去問集である過去問レビューと全統マーク模試の過去問等が掲載されたマーク式総合問題集(通称「黒本」)と特定大入試オープン過去問集である入試攻略問題集(通称「紫本」)は、教学社の「赤本」、駿台文庫の「青本」、代々木ライブラリー(日本入試センター)の「白本」、Z会またはナガセ(東進ブックス)の「緑本」と並びよく知られている。
    • センターの過去問集(黒本)に関しても駿台より評判が良い。
    • 過去問」の項に『入試攻略問題集』についても詳しい記述があったが、何者か(荒らしか無能編集者?)によって削除されている。
  • かつては、『新英語構文282』や、『理系の化学』に対抗して出版された『理系 化学精説』など、駿台講師も推薦する参考書があり、駿台生にも人気があった。
    • 今でも『物理教室』や『名問の森』を勧める駿台講師もいる。

河合塾が嫌いな駿台講師陣の発言集 Edit

  • 竹岡広信先生:「関係『代名詞』!代名詞だよね?駿台予備『学校』!学校だよね?河合『塾』!所詮塾だよね?東進ハイスクール?株式会社だよね?代々木『ゼミナール』!もう意味分からんね?」「(授業中廊下で騒いでいる生徒に)授業中は静かにしましょうここは河合塾ではありません」「『(冬のセンター英語』で)なんで40%も間違ってる人がいるの?竹岡の授業を妨害しにきた河合塾の回し者か!」
  • 箕輪浩嗣先生:「みんなが駿台を選んでくれたのは河合に幻滅してるからですよねー!?」
  • 瀬古啓希先生:(最前列の生徒がペンケースを落とし中身を散乱させてしまう。その生徒は河合塾が配布してるミニ消しを持っていた。それを見て・・・)「ペンケースが落ちたのってこのミニ消しのせいじゃないですかね?配ってくれるのは有難いけども(笑)」
  • 田中暢夫先生:(名古屋校でのコメント。名古屋駅前の河合塾は名古屋駅を隔てて駿台の反対側に建っている)「河合は駿台側のホームにも広告出さないと塾生来ませんからね。駿台はそんなみみっちいとこじゃないですけども。」
  • 植葉大先生:(福岡校でのコメント)「河合塾福岡校は、窓ガラスしか特徴がありませんからね」
  • 小泉徹先生「俺はかつて河合の講習にウチ(駿台)所属のインフル患者を送り込もうとした事がある!!」
  • 二宮加美先生:(敬語の並び順で)「K(謙譲語)S(尊敬語)T(丁寧語)で河合(K)最(S)低(T)です。」
    • みえトリオの先生方は河合→駿台→東進であることと比較すると師の河合嫌いが際立つ。
  • 三森司先生:「場合分けをしない誤魔化しの解答をして、1つ間違えたら0点になる。そんな答案は是非とも河合塾がやれば良いんだよ。」
    • なお、師は河合塾の元同僚が書いた河合出版から出ている本を、数学の参考書でほぼ唯一勧めることもある。嫌いというほどではないのかもしれない。

参考文献 Edit

  • 河合塾五十年史編纂委員会(1985)『河合塾五十年史』学校法人河合塾.
  • 吉野剛弘(1998).「近代日本における予備校の歴史」, 慶應義塾大学大学院社会学研究科編『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第48号, pp.23-32, 1998, 慶應義塾大学大学院社会学研究科.
  • 三上敦史(2010).「受験情報誌『栄冠をめざして』の研究―1966〜83年の河合塾が高等学校に伝えた受験情報―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (59), pp.113-122, 2010-03, 愛知教育大学.
  • 三上敦史(2012).「「学力コンクール」の時代(1946−70)一大学入試の模擬試験を実施した学生団体の歴史一」, 『日本の教育史学』, 55 (0), pp.58-71, 2012, 教育史学会.
  • 三上敦史(2013).「河合塾による「全統模試」の創設―模試を通した新しい情報戦略の展開―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (62), pp.131-137, 2013-03-01, 愛知教育大学.
  • 三上敦史(2014).「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), 2014-02, 北海道教育大学.




*1 1956年開校。1984年リニューアル。18号館名駅校と呼ばれていた。2021年2月8日閉鎖。
*2 旧納屋橋校の機能を引き継ぐ形で1974年に開校。16号館名古屋校と呼ばれ、名古屋・名駅地区の主力校舎だったが、2012年、名古屋駅前に新築移転した(新・名古屋校)。9年後の2021年2月に名駅キャンパス名駅校との移転統合に伴い閉鎖。跡地はリニア中央新幹線名古屋駅の建設予定地になっている。
*3 三上敦史(2014).「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), 2014-02, 北海道教育大学.
*4 「朝日新聞」1989年4月25日付。なお,駒場校と同時に豊橋校も開設したが,こちらは話題とならず。
*5 三上敦史(2014)「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), p.257, 2014-02, 北海道教育大学.
*6 三上敦史(2013)「河合塾による『全統模試』の創設―模試を通した新しい情報戦略の展開―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (62), p.132, 2013-03-01, 愛知教育大学.
*7 代々木ゼミナール講師河合塾には1987-2016年度在職。2018年逝去。
*8 三上敦史(2014)「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), p.252, 2014-02.