東京科学大学
東京科学大学(とうきょうかがくだいがく、英: Institute of Science Tokyo)は、東京都目黒区に本部を置く日本の国立大学である。略称はScience Tokyo。
概要 
- 東京工業大学と東京医科歯科大学の統合により、2024年に設立された。
- 統合により、東大、京大に次ぐ三番目の大学とされることもある。
- 阪大はどうした?
特徴 
- 統合されてB級感(Fラン感)溢れる名前になった。
- 東京外国語大学、一橋大学と「三大学連合」を組んで東大に対抗している。
- 2026年度入学生から医工連携人材養成コースを新設する。
- 和田秀樹氏が、旧・東京医科歯科大学と一橋大学の合同授業で、毎年のように総合診療が医療費抑制にどう貢献できるのかを医者の立場から学生たちに教えている。
- こういうテーマは医学部の授業ではほとんど扱われないので、東京医科歯科大学からの申し出で一橋大学との合同授業を設けるようになった。
- ほかにも審議会で医療政策に関わっているような人など錚々たる面々が講師として集まっていて、とても充実した内容だと思います。(和田秀樹氏)
- ところがこの授業を聞きにくるのは看護学を専攻している学生や保健衛生学科の学生だけで、医者の卵である医学部医学科の学生はただの1人もいない年がほとんどです。
- 最初の頃の授業は一橋の都心部のキャンパスだったので、もしかすると医学部のほかの授業と時間が重なってしまったのではないかという話になり、会場を東京医科歯科大学にしたり、授業の開始時間を18時半にしたりという配慮をして改めて仕切り直したのですが、結果は同じでした。
リベラルアーツ研究教育院(ILA) 
2016.04.01 - リベラルアーツ研究教育院発足。
大岡山 
→東京工業大学参照。
国府台地区 
- 旧・東京医科歯科大学教養部(統合教育機構教養教育部門)
- 通称「ILA国府台」。
- 「教養部」の英語名はCollege of Liberal Arts and Sciences だったが、統合後は「リベラルアーツ研究教育院(国府台地区)」になるということでInstitute for Liberal Arts (Konodai)になった。
- 2024年10月の大学統合により組織としては旧東工大のリベラルアーツ研究教育院(ILA)に吸収されるような形になった。
- カリキュラムの完全統合はもう少し先なので、医歯系を担当するILA国府台の役割はほとんど変わっていない。
- 「大学は、市民社会を構成する一員としての教養を身につける場である」という大学教育の原点に立ち返り、医療人に求められる教養と人間としての力を身につけるための教育を行っている。
- 2年次以降も、湯島地区でILA国府台が担当する授業科目が開講される。
- 2028年に国府台キャンパスを廃止しようとしているが、行政上の理由で、計画通りに進むかどうかは不確定。
旧制東京医科歯科大学予科理科→新制千葉大学東京医科歯科大学予科→千葉大学文理学部→千葉大学文理学部(医歯学進学系)→千葉大学文理学部(東京医科歯科大学医学及び歯学進学課程)→東京医科歯科大学医学及び歯学進学課程(国府台分校)→東京医科歯科大学教養部(国府台キャンパス)→東京医科歯科大学統合教育機構教養教育部門→東京科学大学リベラルアーツ研究教育院(国府台地区)(ILA国府台)
沿革
- 1945年年末、旧制専門学校のままで予科の設置申請をおこない許可された。
- 1946年8月27日、旧制東京医科歯科大学予科を霞ヶ浦(茨城県稲敷郡安中村(あんじゅうむら)*3)に設置。
- 特攻隊養成もおこなった日本海軍の鹿島海軍航空隊基地*4の跡地。
- 終戦後、鹿島海軍航空隊は米軍により建物と武器以外の備品のみを残し解体された。
- 全寮制。長尾優校長はそれもアメリカの伝統ある寄宿舎付きのcollegeみたいで良いことだと思ったようです。
- 特攻隊養成もおこなった日本海軍の鹿島海軍航空隊基地*4の跡地。
- 1950年4月、予科を新制千葉大学に移管。
- 予科3年生を伴ったため「千葉大学東京医科歯科大学予科」と呼ばれる。
- 1950年4月1日、「千葉大学学芸学部学芸部」に「東京医科歯科大学予科」を包摂して千葉大学文理学部設置。(千葉市小中台町〔旧陸軍防空学校施設〕)
- 東京医歯大の医学部40名、歯学部60名、千葉大学医学部の定員80名と併せて、医学専門課程を目指す人達が文理学部医進課程だけで120名もいた。
- 千葉大学は「1950年学芸学部が文理学部と教育学部に改組」とし、東京医科歯科大学は「千葉大学では東京医歯大予科を核として文理学部が開設され、東京医歯大の医学部40名、歯学部60名の教育(進学課程)をも受け持つことになった」としている。
- 1950年の入学定員が文理学部180名で、文理学部の入学定員が異常に多くなったが、当時、医学部は教養課程 2年間の必要単位を取得したものが、医学部の入学試験によって選抜される仕組みになっており、医学部受験を目的とした学生の教養課程も受け持たねばならず、文理学部の専門に進む学生は多くは予定されていなかった。事実学芸学部や文理学部に入学した学生の大半は、医学部受験が目的であり、受験に失敗して、仕方なく文理学部専門へ進むものもあったが、大抵の場合、合格出来ないものは退学して行った。
- 1951年3月末、新制東京医科歯科大学設置とともに予科廃止。
- 1952年度(昭和27年度)入学からは、文科系 (70名〉、理科系 (40名〉、医進系(120名〉、歯進系
(60名〉の 4系列が設けられた。
- 1953年度(昭和28年度)から文理学部プロパーは、人文系、社会系、理科系の 3系列となった。
- 1954年度(昭和29年度)には人文科学系、社会科学系、自然科学系、医学進学系、歯学進学系の履修課
程が設けられた。- 1954年(昭和29年)になって文理学部は人文科学課程、社会科学課程、自然科学課程の3つの課程に別れた。
- 各課程の中は一応形式上、 2つ以上の教室に渡った専攻が表示されており、自然科学課程では、数学・物理学課程、物理学・化学課程、生物学・地学課程と称されていたが、実際は、それぞれの 5教室に別れて履修していた。
- 自然科学課程40名の定員のうち、各教室で専門教育に受入れる学生定員は、申合せにより、数学10名、物理10名、化学 8名、生物 8名、地学 4名を大体の人数と決めていた。
- 1955年(昭和30年)4月、「東京医科歯科大学医学及び歯学進学課程」を千葉大学文理学部内に設置。(S33.3廃止)
- 1956年度(昭和31年度)入学から千葉大学が一期校となった。
- 1958年4月1日、「医学及び歯学進学課程」が国府台分校として独立。
- 医科歯科大学関係の入学定員も文理学部から東京医科歯科大学進学課程に移った。
- 千葉大学内設置課程の学生募集を停止。
- 2011(平成23)年4月入学生から医歯学融合教育を開始した。
- 平成23年度から医歯学融合教育を導入したことに伴い、現在では、医学部・歯学部全学科の学生が緑豊かな国府台キャンパスで1年間を過ごす。
理工学系(学院) 
旧・東京工業大学。
2016年4月、日本の大学で初めて、学部と大学院を統一し、「学院」を創設した。「学院」では、学士課程(学部相当)と修士課程、修士課程と博士後期課程の教育カリキュラムが継ぎ目なく学修しやすく設計された教育体系を提供している。
- 将来的には女子枠100%にして「大岡山男子工業大学」から「東京女子科学大学」にしたいらしい。(嘘)
理学院 
工学院 
旧・工学部・大学院理工学研究科工学系。
物質理工学院 
情報理工学院 
旧・大学院情報理工学研究科。
- 1994年(平成6年) - 大学院情報理工学研究科を設置、数理・計算科学専攻、計算工学専攻、情報環境学専攻の三専攻。
- 2016年(平成28年) - 大学院情報理工学研究科を情報理工学院に改組。
- 偏差値75.0(国立+5、理系+5)
・定員92名
・2016年設置
・男97%(今年の入学者は男89名、女3名)
・入試で生物選択不可(物化縛り)
・受験倍率えぐい(9倍とか)
・ITブームの影響で難易度は学内で頭ひとつ抜けている(東大京大と比較されることも)
生命理工学院 
旧・生命理工学部・大学院生命理工学研究科。
環境・社会理工学院 
旧・大学院社会理工学研究科。
医歯学系(学士課程) 
旧・東京医科歯科大学
幅広い教養と豊かな人間性、高い倫理観、自ら考え 解決する創造性を持ち新しい時代のリーダーとなる人材を育成します。
創基は、1907(明治40)年に東京医術開業試験付属病院(永楽病院)に歯科が設置されたことに始まる。
1902(明治35年)年開設の東京帝国大学医科大学歯科学教室も間接的には関係がある。
- 「東医歯大」と略記されることもあった。
- 口語では「東医歯大(トウイシダイ)」とは呼ばれず主に「医科歯科(イカシカ)」と呼ばれていた。
- 医学部としては比較的歴史が浅いのに偏差値を鼻にかける医学科生を揶揄する意味で、烏賊鹿と書かれたり、タコウマと呼ばれることもあった。
沿革
- 1897年7月 - 内務省医術開業試験場設立(東京市麹町区永楽町一丁目2番地、現在の千代田区丸の内)。
- 1899年(明治32年)、医術開業試験場が医術開業試験に供用する患者の収容を主目的とした東京医術開業試験付属病院(永楽病院)を附設。
- 1902年(明治35年)3月、東京帝国大学医科大学歯科学教室(のちの歯科学講座)開設(主任:石原久 助教授)。
- 1903年3月、医術開業試験の移管に伴い永楽病院が文部省へ移管。
- 1907(明治40)年、永楽病院に歯科が設置される。
- 1908(明治41)年6月、小石川区雑司ヶ谷町(小石川区雑司が谷120番地、現 文京区目白台3-28-6)に移転。
- 1915年(大正4年)5月、島峯徹先生(後の、東京高等歯科医学校校長及び東京医学歯学専門学校初代校長)が永楽病院の歯科医長に就任。
- 1915年(大正4年)1月、石原久助教授が教授に昇任し、歯科学講座が東京帝国大学医科大学内で独立した。
- 1917年(大正6年)8月1日、文部省歯科医術開業試験病院(文部省歯科病院)設立。
- 永楽病院が医術開業試験の廃止に伴い東京帝国大学医科大学附属医院分院(小石川分院)に移管する際、歯科が分離・独立した。
- 1918(大正7)年、歯科医術開業試験(附属)病院が神田区錦町(現在の千代田区神田錦町)に移転。
- 1922年(大正11年)、文部省歯科医術開業試験病院が、歯科医師開業試験規則の実施に伴い歯科医師試験附属病院(通称文部省歯科病院)に改称。
- 1922年、官立の歯科学校の設立許可が下りるが、1923年の関東大震災で一旦凍結される。
- 1928年(昭和3年)10月12日、官立東京高等歯科医学校設置。
- 文部省歯科病院を母体として神田区錦町(一ツ橋地区)に創立された。
- 1944年4月1日、東京医学歯学専門学校となり、医学科を設置。
- 1946年(昭和21年)8月27日、大学令により旧制東京医科歯科大学設置。
- 1951年4月、国立学校設置法により新制東京医科歯科大学設置。
- 医学部医学科、歯学部歯学科を設置。
- 2004年4月、国立大学法人 東京医科歯科大学設置
医学部 
医学部は1951年に設立され、現在は医学科(定員100人)と保健衛生学科(看護学専攻55人・検査技術学専攻35人)で構成され、最先端の医学研究と医療の場から、世界の舞台へと飛躍する人材を育成しています。
医学科 
旧制(官立)東京医学歯学専門学校医学科→旧制東京医科歯科大学医学部→新制東京医科歯科大学医学部
- 1944年4月1日、官立東京高等歯科医学校に医学科が設置され、東京医学歯学専門学校となった。
- 第二次世界大戦後、官立の旧制東京医学歯学専門学校を元に旧制(官立)東京医科歯科大学となった
- 「新八医科大学」(略称:新八、新八医大、八医大)と呼ばれている。
- 国立学校設置法施行前に官立大学官制(昭和21年勅令第206号)を改正することにより設置されたため、官立大学に分類することもあるが、設置の時期や経緯が戦前に設立された官立大学と異なるため、これらの大学の後身校は大学群としての旧官立大学には通例含めない。
- 偏差値的には京大医すら凌ぐこともあり、日本で二番目の医学部を自称する学生もいる。
- 理三コンプレックスの裏返しである。
- いくら入試難易度が上がろうが、所詮「戦時の医専」である。
- マッスル北村を輩出した。(東京大学理科二類中退。再受験。1989年中退)
- 2026年度に理工学系へ入学する学士課程学生を対象に、「医工連携人材養成コース」を設置する。
- 本コースでは、本学の理工学系のいずれかの学院を3年間で早期卒業し、選抜された学生が医学科の2年次に編入する。
- 「理学または工学」と「医学」の2つの学位を合計8年間の学士課程で取得し、医工連携のリーダーを目指す。
保健衛生学科 
(看護学専攻55人・検査技術学専攻35人)
- あのiPS森口を輩出。
- 1950年(昭和25年)4月、旧制東京医科歯科大学医学部附属厚生女子部(看護)設置.
- 1962年4月、医学部附属衛生検査技師学校を設置(S48.3廃止)
- 1972年4月、医学部附属臨床検査技師学校を設置(H3.3廃止)
- 1989年4月、医学部保健衛生学科を設置(看護学専攻・検査技術学専攻)
歯学部 
歯学部は1928年に創設され、現在は 6 年制の歯学科(53人)と4年制の口腔保健学科(口腔保健衛生学専攻22人、口腔保健工学専攻10人)で構成され、わが国を代表する歯学教育研究機関として将来指導的役割を果たす人材を養成しています。
- 1928年(昭和3年)10月12日、官立東京高等歯科医学校(旧制専門学校)設置。(沿革参照)
- 東京高等歯科医学校は旧制専門学校で、旧制高校に相当し旧制大学受験資格があるため、卒業生の相当数が旧制大学の医学部に進み、歯科医と医師の両方の資格を取った。
歯学科 
- 6年制。
- 地方から来てる学生が多く、自由にやりたいことを求める空気感がある。
- 医科歯科大歯学部を卒業して歯科医になってから医学部に入り直し、医師資格も取るいわゆるダブルドクターは以前そこそこいた。再受験進学先としては千葉大学医学部が多かった。
口腔保健学科 
(口腔保健衛生学専攻22人、口腔保健工学専攻10人)
- 4年制。
- 2004年4月、歯学部口腔保健学科を設置
- 2011年4月、歯学部口腔保健学科(2 専攻)を設置(口腔保健衛生学専攻・口腔保健工学専攻)
口腔保健衛生学専攻
最難関の歯科衛生士養成コース。
お茶の水さつき会について
お茶の水さつき会は、昭和26年に開校した東京医科歯科大学歯学部附属歯科衛生士学校卒業生と、平成16年、同校を継承発展させる形で新設された東京医科歯科大学(現:東京科学大学)歯学部口腔保健学科口腔保健衛生学専攻の卒業生と在校生で組織する同窓会です。
- 1951年(昭和26年)4月、東京医科歯科大学歯学部附属歯科衛生士学校を設置(H17.3廃止)
- 2004年4月、歯学部口腔保健学科を設置
- 2011年(平成16年)4月、歯学部口腔保健学科口腔保健衛生学専攻を設置。
口腔保健工学専攻
最難関の歯科技工士養成コース。
- 1919(大正8)年、歯科医術開業試験病院において、見習い期間4年の技工見習生が採用された。
- 1929(昭和4)年、文部大臣の認可を受けた4年制の東京高等歯科医学校技工手養成科設置。
- 1952年4月、新制中学卒3年制の専門学校として東京医科歯科大学歯学部附属歯科技工士学校(本科)が設立される。
- 2011年に東京医科歯科大学歯学部に口腔保健学科口腔保健工学専攻が設置された事により新規募集を停止、2014年3月に閉校した。
- 1957(昭和32)年、歯科技工士学校実習科が設置された。
- 2011年4月、歯学部口腔保健学科口腔保健工学専攻を設置。
- 歯科技工士学校本科課程が4年制の学士課程に移行。
医歯学系(大学院課程) 
旧・東京医科歯科大学大学院
- 1955年4月、大学院(医学研究科・歯学研究科)を設置。
大学院医歯学総合研究科 
医学・歯学あるいは生命理工医療科学分野に精通し、他分野との緊密な連携により世界をリードする研究者、教育戦略を打ち立て実行できる心豊かな教育者、高い倫理観と実践的問題解決能力を有する研究心旺盛な高度専門医療人、そして新しい時代を開拓するオピニオンリーダーといった人材を、修士課程及び博士課程に設置された多彩なコースにおいて養成しています。
大学院保健衛生学研究科 
学部との一貫教育研究体制を整え、5年間の継続的な学修による学位(修士号と博士号)の取得を可能とする5年一貫課程を設置することで、保健・医療分野における広い視野と高い倫理観を持つ、国際的・学際的に活躍しうる高度実践者や研究者、教育者を養成しています。
附属校 
東京科学大学附属科学技術高等学校 
キャンパス 
大岡山キャンパス 
(東京都目黒区大岡山2丁目)
ただし、キャンパスのうちで本館を含む南半分は大田区石川町1丁目地内に位置する。
- 別名「大岡山(男子)工業大学」。
すずかけ台キャンパス 
(神奈川県横浜市緑区長津田町)
田町キャンパス 
(東京都港区芝浦3丁目)
湯島キャンパス 
(東京都文京区湯島1丁目)
駿河台キャンパス 
(東京都千代田区神田駿河台2丁目)
- 21号館【生体材料工学研究所】、22号館【難治疾患研究所駿河台棟】、23号館【看護師宿舎】(レジデンス茗芳)がある。
霞ヶ浦 
- 旧制東京医科歯科大学予科と東京醫科歯科大學附屬病院霞ヶ浦分院があった。
- 霞ヶ浦分院には宿泊施設があったので、予科移転後もヨット部が春から秋まで毎週合宿していた。
- 1946年8月27日、旧制東京医科歯科大学予科を霞ヶ浦(茨城県稲敷郡安中村(あんじゅうむら)*1)に設置。
- 特攻隊養成もおこなった日本海軍の鹿島海軍航空隊基地*2の跡地。
- 終戦後、鹿島海軍航空隊は米軍により建物と武器以外の備品のみを残し解体されていた。
- 特攻隊養成もおこなった日本海軍の鹿島海軍航空隊基地*2の跡地。
- 1946年(昭和21年)12月2日、霞ヶ浦診療所(結核療養施設)開設。
- 鹿島海軍航空隊司令部庁舎(旧本部庁舎)を本館(診察・手術・検査室)として診療を開始した。
- 結核病床20床。
- 1947年5月29日、霞ヶ浦診療所が東京醫科歯科大學附屬病院霞ヶ浦分院として正式に開設。
- 1950年4月、予科を新制千葉大学に移管。
- 1971年(昭和46年)には霞ヶ浦分院の敷地の一部が国立公害研究所(現:国立環境研究所)に移管された。
- 1997年3月31日、分院の湯島地区統合のため、閉院(廃院)。(平成 9.4廃止。)
- 2016年(平成28年)、美浦村が国から払い下げを受け、鹿島海軍航空隊跡地を用地取得。
- 2023年(令和4年)4月、大山湖畔公園
(鹿島海軍航空隊跡)開園。
https://www.vill.miho.lg.jp/page/page010259.html
- 指定管理(業務委託)事業者は株式会社プロジェクト茨城。
国府台キャンパス 
(千葉県市川市国府台2丁目8-30)
【旧・東京医科歯科大学教養部】
東京医科歯科大学国府台分校(医学及び歯学進学課程)→東京医科歯科大学教養部(国府台キャンパス)→東京医科歯科大学統合教育機構教養教育部門→東京科学大学リベラルアーツ研究教育院(国府台地区)(ILA国府台)
- 医歯学系の全学生と口腔保健学科編入生が学ぶ。
- 東京医科歯科大学教養部があった市川市に東京歯科大学市川総合病院があるのが紛らわしい。
- タクシーの運転手さんですら間違えることがある。
- 昭和22年(1947)11月1日、東京医科歯科大学附属病院国府台分院開院。
- 1958年4月1日、医学及び歯学進学課程(国府台分校)を設置。
- 1955年(昭和30年)4月1日に千葉大学文理学部内に設置された「医学及び歯学進学課程」(S33.3廃止) が国府台分校として独立。
- 1965年4月、東京医科歯科大学附属病院国府台分院閉院。(昭和 40.4廃止)
- 2011(平成23)年4月入学生から医歯学融合教育を開始。
- 平成23年度から医歯学融合教育を導入したことに伴い、現在では、医学部・歯学部全学科の学生が緑豊かな国府台キャンパスで1年間を過ごす。
- 2024年10月、大学統合により組織としては旧東工大のリベラルアーツ研究教育院(ILA)に吸収されるような形になった。
- 組織としては旧東工大のリベラルアーツ研究教育院(ILA)に吸収されるような形になったが、カリキュラムの完全統合はもう少し先なので、医歯系を担当するILA国府台の役割はほとんど変わっていない。
- 2028年に国府台キャンパスを廃止しようとしているが、行政上の理由で、計画通りに進むかどうかは不確定。
入試 
概要 
2025年度〜
理工学系 
- 理工学系では、昔から東大、京大に次ぐ難関である。
- 関西からの志望者は、地元に東工大と同じ旧三工大だった阪大工があるためかあまり多くはない。
- 2025年度、EX東京科学大(理工学系)演習?コース(西日本地区の設置はなし)、志望別コースの東京科学大(理工学系)コース(名古屋校、浜松校、福岡校)が設置された。
- 本来なら2024年度から設置すべきではないだろうか。
- 高専からの編入試験も実施している。
医歯学系 
- 2028年度入学者選抜より
- 医学部医学科は69名から71名、保健衛生学科検査技術学専攻は20名から27名、歯学部歯学科は33名から35名にそれぞれ増員する。
- 一般選抜(後期日程)では、医学部医学科と保健衛生学科検査技術学専攻で後期日程試験を廃止する。歯学部歯学科については継続して実施する。
- 学校推薦型選抜では、医学部医学科の学校推薦型選抜を廃止し、「地域特別枠推薦選抜」のみとなる。医学科以外の学科・専攻については継続して実施する。
- 総合型選抜では、国際型選抜(仮)を新設する。従来実施していた国際バカロレア選抜、帰国生選抜、私費外国人留学生特別選抜を統合し、インターナショナルスクールに通う生徒も新たに対象に加える。医学科は5名程度、医学科以外の学科・専攻は若干名を募集し、11月に選抜を実施する。
(2025年12月15日発表)
- 2年次学士編入学(医学部医学科)試験及び2年次編入学(歯学部口腔保健学科口腔保健工学専攻)試験を実施している。
- 歯学部口腔保健学科口腔保健工学専攻の2年次編入学は高専からも受験できる。
医学部医学科 
- 医学部医学科は、国立旧一期校・二期校時代から阪大医をも凌ぐ超難関である。
- 志望大学対策コースは設置されてないが、EX国公立大医系演習コースの上位でないと合格は難しい。
- 医学部医学科は「多浪・再受験は20代まで」と言われているが、30代以上の合格者も存在する。
- 2028年度入学者選抜より医学部医学科は69名から71名に増員する。
- 2028年度入学者選抜より一般選抜(後期日程)では、医学部医学科で後期日程試験を廃止する。
- 2028年度入学者選抜より学校推薦型選抜では、医学部医学科の学校推薦型選抜を廃止し、「地域特別枠推薦選抜」のみとなる
- 地域特別枠推薦選抜では、医学部医学科において条件付合格の発表を廃止し、共通テストの成績を加味して評価を行う方式に変更する。
- 2028年度より総合型選抜で、国際型選抜(仮)を新設する。
- 従来実施していた国際バカロレア選抜、帰国生選抜、私費外国人留学生特別選抜を統合し、インターナショナルスクールに通う生徒も新たに対象に加える。医学科は5名程度を募集し、11月に選抜を実施する。
- 2028年度より学士編入学試験では、医学部医学科の実施時期を6、7月から9、10月ごろに変更する。
- 2026年度入学生から医工連携人材養成コースを新設する。
- 社会に新たな価値を創出する医工連携人材の養成を目的とし、基礎研究と臨床への橋渡し研究や理工学との学際的教育プログラムを目指す。募集人員は医学部医学科10名で、東京科学大学理工学系の対象学院に在籍する学生から選抜する。対象学院は理学院、工学院、物質理工学院、情報理工学院、生命理工学院、環境・社会理工学院のすべてとなる。
- 同コースは2026年度入学生から対象とし、理工学系で3年次早期卒業後、医学部医学科の2年次に編入学する。理工学系3年間、医学科5年間の計8年間(最短)在籍することとなり、「理学または工学」と「医学」の2つの学位が取得できる。
- 3年次早期卒業の見込みがあることが出願条件となり、本学在籍中の学業成績、面接などによって選抜を行う。
歯学部 
- 2028年度より歯学部歯学科では、共通テストの合格判断目安得点を原則7割以上から72%以上に変更し、学校推薦型選抜の募集人員を10名から8名に減員する。
旧制予科~千葉大学学芸学部学芸部〜文理学部〜進学課程(千葉大学文理学部内)~国府台分校
- 1946年7月~1948年 旧制東京医科歯科大学予科入学試験
- 1949~1950年 医学部・歯学部の入学試験なし
- 1949年 5月31日、新制千葉大学学芸学部〈学芸部、教育部 4年課程〉設置。
- 初年度は学芸部80名、教育部100名の入学定員で、授業は9月から行われ1950年25の4月中旬まで続けられた。
- 1950~1951年、千葉大学文理学部入学試験
- 1952~1954年、千葉大学文理学部(医学歯学進学系)入学試験
- 1952年度(昭和27年度)より、医学進学系として120名、歯学進学系として60名、合計180名の入学定員となった。
- 医学歯学進学系の180名は、文理学部の専門に残ることは許されず、医(歯〉学部受験の為の 2年間のコースであった。
- 1952年入学の理科系50名の中にも、医学部を受験して医学部に進んだ者が多かった。
- 1954(昭和29年)になって医学歯学進学系以外の文理学部は人文科学課程、社会科学課程、自然科学課程の3つの課程に別れたが、自然科学課程からも必要な単位を揃えれば医学部・歯学部専門課程を受験できた。
- 千葉大学文理学部医学進学進学系は東京医科歯科大学予科を吸収合併している関係で、同大学の医学部定員40名と歯学部の60名の分があり、千葉大学医学部の定員80名と併せて、医学専門課程を目指す人達が文理学部医学進学系だけで120名もおり、2年間で所定の単位を取得すると、一期校千葉大80名,二期校医科歯科大40名の定員を目指して争うわけで、両大学が一期校と二期校に分かれていたので、級友同士がしのぎを削る受験地獄であった。
- 1951年4月1日、新制国立東京医科歯科大学を設置。
- 1951~1957?年 新制東京医科歯科大学(専門課程)入学試験(二期校)
- 1957年(?)まで移行措置
- 1955年4月1日、医学部進学課程・歯学部進学課程を千葉大学文理学部内に設置。
- 1955~1956年 千葉大学文理学部(東京医科歯科大学医学及び歯学進学課程)
- 1957~1958年 東京医科歯科大学医学及び歯学進学課程(入学試験は千葉大学で実施)
- 医科歯科大学関係の入学定員も文理学部から東京医科歯科大学進学課程に移った。
- 1958年4月1日、千葉大学内設置課程の学生募集を停止、東京医科歯科大学国府台分校として医学部進学課程・歯学部進学課程を設置。
- 1959~2024年 東京医科歯科大学医学部・歯学部(学部入試)
出身者 
東京工業大学 
- 坂間勇?
- 白井丙午郎(環境・社会理工学院技術経営専門職学位課程(修士課程)中退?)
東京医科歯科大学 
- 清宮義幸 医学部、歯学部
- 三好正倫 歯学部
