大阪大学
- 大阪にある日本の国立大学。旧帝国大学の一つ。
- 略称は「阪大(はんだい)」。
概要
- 旧帝大の一つで、東大・京大に次ぐとされる大学である。
- 入試難易度においては、いわゆる東の「四大学連合」の後塵を拝している(理学・工学は東京工業大学、社会科学系は一橋大学、外国語は東京外国語大学、医学・歯学は東京医科歯科大学の方がハイレベル)。
- 2007年に大阪外国語大学を吸収し、国立大学最多の学生数を誇る大学となった。
特徴
- 東大・京大に次ぐ国立総合大学と言えば大阪大学のイメージが強い。
- 理系だけ言えば名大、東北大といい勝負をしている。
- 全国的な知名度は意外に低い。
- 関西以外で「阪大卒」と言っても反応が薄い。
- 関西でも意外と存在感が薄い。
- 大阪府内でも2000年代初期の頃は街ゆく人に「大阪の大学といえば?」とインタビューすると「関西大学!」と答える人が多く「大阪大学は地味。つまらない。」などと散々な言われようだった(マスコミの印象操作によるものなのであまり気にする必要はない)。
- 一番の花形学部は、今も昔も変わらず、緒方洪庵(江戸時代の蘭方医)の「適塾」を起源とする医学部である。
- 工学系統も非常に力を入れている。
- 2007年に大阪外国語大学を吸収し、国立大学最多の学生数を誇る大学となった。
学部
- メジャーな学部のほとんどが揃っているが、なぜか農学部だけない。
- 大学非公認サークルの「阪大農学部」(2016年春頃創部)は存在する。
教養部(廃止)
- 旧制(官立)大阪高等学校(1921年、大阪天王寺に設立)と旧制(大阪府立)浪速高等学校(1926年、大阪豊中に設立)が、ともに1950年に廃校となり、新制大阪大学に包括され、それぞれ、一般教養部南校、一般教養部北校となった。
- 1957年6月 - 一般教養部を教養部に改称。
- 1994年3月 - 教養部を廃止。
- 教養部解体、分属というのに一番反対だったのは文学部だった。
大学教育実践センター
文学部
人間科学部
- 1972年5月 - 文学部から分離設置。
法学部
経済学部
外国語学部
理学部
- 前身は塩見理化学研究所。
医学部(医学科)
- 前身は旧制(大阪府立)大阪医科大学(日本初の公立旧制大学)。
- 源流は、蘭学者緒方洪庵(1810年~1863 年)が、天保9年(1838年)に開いた蘭学塾・適塾。
- 明治13年(1880年)3月、大阪公立病院を府立大阪病院と改称し、教授局を分離して府立大阪医学校と称した。
- 明治21年(1888年)1月、府立大阪病院を廃し、府立大阪医学校を大阪医学校と改称して教授部と病院を置いた。
- 明治34年(1901年)6月、大阪医学校を大阪府立医学校と改称。
- 明治36年(1903年)10月、大阪府立医学校を大阪府立高等医学校と改称し、予科を併設。
- 大正4年(1915年)10月、大阪府立高等医学校を府立大阪医科大学へ改組(学長佐多愛彦。専門学校令準拠のまま改称、大学令による旧制大学ではない)。
- 1919年(大正8年)11月 - 大学令により大阪医科大学に改称、日本初の公立旧制大学(大阪府立のまま改称、大学令に準拠の旧制大学となる)。
医学部(保健学科)
- 前身の一つは旧制大阪医科大学予科。
- 1898年4月、大阪医学校附属看護婦養成所開設。
- 1951年4月、大阪大学看護学校に改称。
- 1952年3月、大阪大学医学部附属助産婦学校に改称。
- 1952年4月、大阪大学医学部附属診療エックス線技師学校開設。
- 1963年4月、大阪大学医学部附属看護学校に改称。
- 1965年4月、大阪大学医学部附属衛生検査技師学校開設。
- 1967年6月 - 大阪大学医療技術短期大学部開学。
- 1993年4月 - 医学部保健学科設置。
- 1996年3月31日 - 医療技術短期大学部を閉学。
医療技術短期大学部は、最初の国立の医療技術短期大学で、かつ、最後まで残った国立の医療技術短期大学でもあった。
概説
昭和30年代後半から昭和40年代にかけて医療技術は急速に高度化し各種学校と専修学校で行われていた教育から短期大学教育への移行が検討され始めた。これに対応するため文部省は国立大学に医療技術短期大学を併設する構想を立て、1967年(昭和42年)に大阪大学に最初の医療技術短期大学が設置され始めたのをかわきりに国立の医療技術短期大学は増加していった。一方、学部の拡張傾向によって医療技術短期大学の4年制移行の必要性が高まり、1996年(平成8年)に大阪大学医療技術短期大学部の廃止をもって、全て医学部保健学科等に改組した。
歯学部
薬学部
工学部
- 歴史的に「西の東工大」と言える。
- 1896年(明治29年)に開設された大阪工業学校(戦後の工業高等学校に相当する)が1901年(明治34年)に大阪高等工業学校(旧制専門学校)に昇格し、さらに第一次世界大戦後の高等教育機関拡充の流れの中で1929年(昭和4年)に旧制官立大阪工業大学に昇格した。
- 5つの学科に分野をわけ、学科ごとに定員枠を設けて入試を実施している。
応用自然科学科
基礎工学部
「科学と技術の融合による科学技術の根本的な開発それにより人類の真の文化を創造する学部」(初代基礎工学部長・正田建次郎博士)
直訳すると「工学科学部」で意味的には「理工学部」に近い。
電子物理科学科、物性物理科学、化学応用科学科、システム科学科、情報科学科からなる。
- 昭和36年4月1日、機械工学、合成化学、電気工学の3学科と共通講座(数理)を設置して基礎工学部が発足。
- 平成8年5月11日、大学院重点化に伴う基礎工学研究科の改組により、従来の化学系と数理系が化学系と情報数理系の2専攻に再編され、それぞれ大学院専任講座が設置されると共に、学部の合成化学科と化学工学科が化学応用科学科に、情報工学科と共通講座が情報科学科に再編された。
幻の農学部
- 旧制大阪府立農学校(→大阪府立農業高等学校→廃校)、旧制大阪獣医畜産専門学校(現・大阪公立大学獣医学部獣医学科)、旧制大阪農業専門学校(現・大阪公立大学農学部)、あるいは、旧制三重農林専門学校(現・三重大学生物資源学部)が大阪大学農学部になる可能性はあった。
概説
- 1883年 (明治16年) 2月に府立大阪医学校(現・大阪大学医学部)内に大阪獣医学講習所を設置,継いで,明治21年(1888年)10月, 旧制大阪府立農学校(本科に農科、獣医科の 2科を設置)が開設された。
- 更に旧制大阪府立大阪高等獣医学校(昭和17年,1942年)が大阪府立農学校用地内に開設され,大阪獣医畜産専門学校と改称(昭和20年,1945年)された。
- 終戦に伴い,学制の改革によって,1949年に他の在阪の国立,府立の専門学校と合併して、新制大阪府立浪速大学農学部獣医学科(現・大阪府立大学生命環境科学域獣医学類~大阪公立大学獣医学部獣医学科)の母体校となった。
- 大阪府立農学校農科は農業科(大正13年,1923年)への改称を経て、大阪高等獣医学校設立後も存続し1948年に新制大阪府立農業高等学校となったが、1952年に廃校となった。
- また、1909年3月に新設された大阪府立農学校園芸科は、1924年4月に分離され、旧制大阪府立農商学校と合併して旧制大阪府立園芸学校(現・大阪府立園芸高等学校)が設立され、後に池田市神田町に移転、旧制(大阪府立)大阪農業専門学校(1944年創立) が併設された。大阪農業専門学校は大阪獣医畜産専門学校とともに新制大阪府立浪速大学農学部(現・大阪府立大学生命環境科学域~大阪公立大学農学部)の母体となった。
- 戦後、新制大学に変わる際、旧制三重農林専門学校を吸収合併して農学部にする構想があったが、1県1大学の方針になった(原則として、越県合併は認められなかった)ため、ボツとなり、三重農林専門学校は新制三重大学農学部(現・生物資源学部)になった。
言語文化部(廃止)
- 昭和49(1974)年に設置された。
- 1989年に解消・再編拡充されて大学院言語文化研究科言語文化専攻となった。
健康体育部
- 昭和56(1981)年に設置された。
大学院
- 平成19(2007)年10月には、大阪大学と大阪外国語大学との統合に伴い、言語文化研究科は「言語文化学専攻」を「言語文化専攻」と名称変更し、講座再編をおこなうとともに、「言語社会専攻」を新設して、2専攻となった。
- 平成24(2012)年4月には、世界言語研究センターとの組織統合により、言語文化研究科は「言語文化専攻」「言語社会専攻」と並んで「日本語・日本文化専攻」を新設し、3専攻となった。
言語文化専攻
- 平成元 (1989) 年 4 月大阪大学言語文化部を基礎として言語文化学 1 専攻の修士課程で発足し、その後、学年進行にともない、平成 3 (1991) 年 4 月に博士課程が設置された。人文科学・社会科学・自然科学のいずれの分野からでも人材を受け入れ、それぞれの専門を基礎としながら、国際化・情報化社会の発展を推進していくことのできる、学際的な研究・教育の体系を築くことを目的としている。この分野の研究科としては全国で初めての大学院独立研究科である。
- 平成 3 (1991) 年には教官・学生をメンバーとする大阪大学言語文化学会が結成され、平成 4 (1992) 年 3 月より学会誌の刊行が開始された。そして、平成 6 (1994) 年 3 月、本研究科は新研究科棟の完成とともに、博士課程第1期生を送り出した。平成12(2000)年からは共同研究プロジェクトが始まり、院生をもまじえた活発な共同研究が継続されて毎年10を越えるプロジェクトの研究報告が刊行されている。
- 平成17(2005)年4月には研究科発足当時からの念願であった再編拡充が言語文化部の発展的解消により実現し、新設2講座を含む7基幹講座の体制で再出発することになった。
本専攻のルーツは、大阪大学言語文化部を基盤として平成元(1989)年4月に発足した言語文化研究科に遡ります。言語文化研究科はこの分野における全国最初の大学院独立研究科でした。情報工学の専門家を教授陣に加え、当時ではまだ珍しかった文理融合を視野に入れた大学院としてスタートしたのです。その後、平成17(2005)年4月には、言語文化部を解消して大規模な再編拡充を行い、さらに平成19(2007)年10月、大阪大学と大阪外国語大学との統合を機に、大阪外国語大学の大学院を含む新たな編成による言語文化研究科のもと、「言語文化専攻」として位置づけられました。
令和3(2021)年4月には、当時協議が始まっていた文学研究科と言語文化研究科の統合を視野に入れつつ、言語文化専攻は先んじて講座再編を行いました。分野I「超領域文化論講座/表象文化論講座」、分野II「コミュニケーション論講座/第二言語教育学講座」、分野III「理論言語学・デジタルヒューマニティーズ講座/言語認知科学講座」、という構成に組み変えるとともに、授業科目も一新して本専攻の特色をより明確に打ち出すことができる体制になりました。
言語社会専攻
- 平成19(2007)年10月には、大阪大学と大阪外国語大学との統合に伴い、言語文化研究科は「言語文化学専攻」を「言語文化専攻」と名称変更し、講座再編をおこなうとともに、「言語社会専攻」を新設して、2専攻となった。
日本語・日本文化専攻
- 平成24(2012)年4月には、世界言語研究センターとの組織統合により、言語文化研究科は「言語文化専攻」「言語社会専攻」と並んで「日本語・日本文化専攻」を新設し、3専攻となった。
人文学研究科
(文学研究科・言語文化研究科の統合・再編)について
- 2021年9月1日付けで「人文学研究科」の設置が認められ、令和4(2022)年4月1日、人文学研究科が開設された。
多様な個人及び社会集団が生み出してきた言語、事物、思考 、習慣 等の精神文化及び物質文化の両面にわたる人間の営為を探求する人文学研究を継承しつつ、専門性にとらわれることなく領域横断的で柔軟に発想する能力並びに現代社会のグローバル化及び情報化に即応した最新の技術を活用する力を身に付けることにより、現代にふさわしい人文学をデザインし、今日的課題に果敢に挑戦し、そこで得られた知見を世界に向けて発信し得る人材を養成することを目的とする。
人文学専攻
言語文化学専攻
- 令和4(2022)年4月に人文学研究科が設置され、言語文化専攻は「言語文化学専攻」と名称が変わりましたが、6講座から成る体制はそのまま保持されています。
外国学専攻
日本学専攻
芸術学専攻
人間科学研究科
人間と人間の営む社会を科学的な視点及び方法で探究し,人間と社会に対する理解を深め,人間が人間らしく生きていける仕組みづくりに貢献できる知性と行動力を備えた人材を養成することを目的とする。
法学研究科
法学及び政治学の研究教授を通じて,その水準の向上に寄与するとともに,高度の研究能力及び精深な学識を有する人材を育成し,社会に貢献することを目的とする。
経済学研究科
経済及び経営システムに関して理論的,実証的及び歴史的なアプローチに基づき,経済及び経営に関する学問的な貢献並びにその知識の実践的な応用を行うことのできる人材を育成するための教育を行うとともに,この教育を通じて,経済及び経営に関する専門的理解を踏まえ,人間に対する深い愛情を持って,世界や日本で生起する社会現象をとらえ,人類の福祉の向上に情熱を燃やす人材を育成することを目的とする。
理学研究科
柔軟な発想と論理的思考に基づいた問題設定及び課題探求の能力を養うことにより,自然科学への知的好奇心や真理探究に喜びを感じる感性を備えた創造性豊かな研究者及び社会のさまざまな分野でリーダーとして活躍できる人材を養成することを目的とする。
医学系研究科
次の各号を理念に掲げ,高度な倫理観及び深い教養に裏付けられた創造性豊かな医療人及び医学・保健学研究者を養成することを目的とする。
(1) 世界の医療,医学,保健学及び生物学の発展への貢献
(2) 健康で質の高い生活を保障する地域医療の推進
(3) 次世代を担う優秀な人材の育成への尽力
医学専攻
保健学専攻
歯学研究科
歯学に関する理論及びその応用を教授研究し,広く文化の醸成に寄与するとともに,口腔の健康の維持及び増進並びに高度な歯科医療の開発及び応用に寄与できる医療人及び教育・研究者を養成することを目的とする。
薬学研究科
生命科学,創薬科学,社会・環境衛生薬学及び医療薬学の発展のため,創造性あふれる豊かな人間性と倫理観を育み,薬学領域における幅広い知識と深い専門性を修得し,研究,教育,産業,行政又は医療の現場等で責任ある指導的立場から国際的に活躍できる人材を養成することを目的とする。
工学研究科
自然と人類との調和を図り,真の豊かさを持つ安心及び安全な社会の実現を目指し,真理の探究と社会に貢献するモノつくりを通じて科学技術立国としての未来の発展に資することを使命とし,それに応えることのできる創造性豊かなリーダーとなる工学研究者・技術者の育成を図ることを目的とする。
基礎工学研究科
科学と技術の融合による科学技術の根本的開発及びそれにより人類の真の文化を創造することを教育研究理念とし,この理念のもと,社会の要請に応える新しい学問領域を開拓するとともに,理学と工学のバランスのとれた高度大学院教育の実践を通じ,次に掲げる人材を養成することを目的とする。
(1)確固たる専門知識に基づき基礎から応用にわたる研究開発を推進できる研究者・技術者
(2)高い専門性と広い知識をもって学際新領域を開拓する科学者・研究者
(3)自立した研究開発能力を有する国際的リーダー
国際公共政策研究科
国内外の公共政策諸課題に対して法学,政治学及び経済学の基礎の上に立つ学際的視点から教育研究を行い,高いコミュニケーション能力と優れたリーダーシップをもつ研究者及び高度専門職業人を養成することを目的とする。
情報科学研究科
情報科学技術分野に関する幅広い視野及び専門知識を基に,同分野の発展に寄与し,世界をリードできる高度な専門的技術者及び研究者を養成することを目的とする。
生命機能研究科
- 生命の多様な機能や原理の探究を通じて社会に貢献することを使命とし,医学,工学及び理学の融合的な考え方並びに高度な研究能力を有する将来の科学界・産業界を担う国際性豊かな人材を養成することを目的とする。
- 通称FBS。
- 2002年4月、大学院生命機能研究科発足。
- オートファジー研究で有名な吉森保教授の細胞内膜動態研究室がある。
高等司法研究科
高度の法的知識,幅広い教養,豊かな人間性及び深い職業倫理をもつ法曹を養成することを目的とする。
連合小児発達学研究科
連合大学院 大阪大学・金沢大学・浜松医科大学・千葉大学・福井大学連合小児発達学研究科
「子どものこころ」に関わる諸問題に科学的知識をもって対応できる人材を養成することを目的とする。
キャンパス
住吉校地
- 旧制(官立)大阪高等学校校地。
- 大阪府東成郡天王寺村山(1925年に大阪市に合併され住吉区に編入されたのち現・阿倍野区)。
- 新制大学への移行まで存続し、校地・校舎は大阪大学一般教養部南校に継承された。
- 1960年同・北校(旧制浪速高等学校の旧校地)に統合移転されたため廃止、跡地には1962(昭和37)年、日本住宅公団(現・UR)によって「公団阪南団地」(後・UR都市機構阪南団地)が建設された。
- 跡地には「青春の像」、大高跡碑「大阪高等学校のあと」などのモニュメントが建立されていた。
- 2009年(平成21年)8月にUR都市機構「阪南団地」から、全面的な建替を経て跡地の東側にUR都市機構「サンヴァリエあべの阪南」が建設された。
- 2014年11月に「阪南団地」跡地に「ライフセントラルスクエア北畠店」、中央部分に「ブランズシティあべの王子町」等がオープンした。
- ライフセントラルスクエア北畠店の北西角には「大阪高等学校のあと」の石碑が設置されている。
- 1972年には大阪高等学校開校50年を記念して阪大豊中キャンパス内に「大高の森」が造営されている。
豊中キャンパス
- 旧制(大阪府立)浪速高等学校待兼山校地。
- 大阪府豊能郡豊中村(その後町制を施行、さらに1936年市制施行により豊中市)の旧制府立大阪医大(大阪帝国大学医学部の前身)予科跡地に設置された(待兼山校地)。
- 待兼山校地は第二次世界大戦中軍需工場として一部接収されるなどしたものの、新制大阪大学の豊中キャンパスとして継承され、その校舎は「一般教養部北校」となった。
- 現在も豊中キャンパスに残る浪高時代の建造物としては、旧高等科本館や弓道場などがあるが、特に旧本館(1929年建造)は「イ号館」と呼ばれ、阪大の全学共通教育機構本館・総合学術博物館として現在も使用され、2004年には国の登録有形文化財に登録されている。その他にも同キャンパス内には「浪高庭園」など旧制時代を記念するモニュメントがいくつか建立されている。
- 2010年5月27日には、浪高創立85周年と阪大創立80周年(2011年)記念として、待兼山庭園に「旧制浪高生の像」と、「まちかね童子像」が竣工した。
- 一年生全学部 二年生以降、工学部・医学部・歯学部・薬学部・人間科学部・外国語学部を除くすべての学部が存在する。
- 比較的綺麗なキャンパスであり女子もいるので楽しい大学生活が送れるだろう。
- 前田春彦先生が図書館にまれに出現する。
最寄り駅であるモノレールの柴原阪大前駅周辺には何もないが、キャンパス北西の丘を下った阪急石橋阪大前駅付近は、地元に根付いたお好み焼き屋や焼き鳥屋、居酒屋、ラーメン屋など大衆店があり、程よく学生街を形成している。
待兼山を含む広大なキャンパスには、手つかずの自然が点在している。各建物が大きく道幅も広いので、学生数に比してやや閑散とした印象だ。
ただ、吹田と箕面の他キャンパス間を結ぶ無料バス乗り場には長蛇の列ができる。世界でも有数の超高速スーパーコンピュータを擁するサイバーメディアセンターには、学生の学び場「サイバーメディアコモンズ」が設けられ、世界最高水準の大規模立体可視化システムや3Dプリンタなど高性能な機器が利用できる。コミュニケーション促進のための「ラーニング・コモンズ」(図書館併設)と「ステューデント・コモンズ」(カフェ等併設)は、部室のない学生の活動場所などに使われている。
「明道館」というサークル棟へと続く裏道は通称「留年坂」。学食はちょこちょこ閉店やリニューアルを繰り返し、現在は7ヵ所が営業。学生交流棟の1階にある「カフェテリアかさね」では池に面した大きな窓のある開放的な空間で食事ができる。
中之島キャンパス(廃止)
- かつて理学部・医学部・歯学部、大学本部があった。
- 1993年の医学部・同附属病院の吹田キャンパス移転を最後に、中之島から大阪大学の姿が消えた。
- 2004年4月、跡地に大阪大学中之島センターが開設された。
吹田キャンパス
- 別名「吹田(男子)工業大学」。
- 吹田キャンパスでの工学部生比率が高いことから。略称は吹工大。北千里工業大学と呼ばれることも。
理系学生の大半が2年次から通うキャンパスで綺麗に整備されているが、建物のほとんどは研究施設だ。一応グラウンドなどもあるが、サークル活動の基盤は非常に乏しい。“パルテノン神殿”と呼ばれる生命科学図書館は、医学・歯学・薬学分野では国内最大級の蔵書を持つ。ただ、「広すぎて、人がまばらで、他学部との交流がないので寂しい」(工学部生)。移動のためにバイクを持っている学生も多い。
箕面キャンパス
大阪外国語大学の伝統を受け継いだ外国語学部の学生が2年次以降学んでいた箕面キャンパスは、2021年4月に移転。箕面新キャンパスは最新の設備を備えた10階建ての建物で、教室や研究室をはじめ、事務室、食道、購買部などの機能がまとまっている。図書館やホールなどは箕面市との効率的な共同利用を図り、国際色豊かな大学行事等を市民に開放することで「世界と市民を結ぶキャンパス」をめざしている。
ただ、駅前キャンパスになるはずが、北大阪急行電鉄の延伸が当初の予定より遅れ、2023年の「箕面船場阪大前駅」開業までは大阪モノレール千里中央駅からのバスを利用するか、千里中央駅から約25分歩くことになる。
入試
- 旧教養部は作成せず文学部・理学部などの教員が関連する科目の作問・採点を作成していた。
- 駿台では阪大対策のコースや通期、講習での授業がある他、『阪大実戦模試』や『阪大突破レクチャー』などが行われる。駿台校内外のを問わず多くの生徒が受講する。
- 京大と同様に駿台に限らず人気難関大であることから、いい食い物にされている。
- 2018年1月、2017年度の入試(物理)での採点ミスが発覚し、追加合格者を出す事態となった。
- この件に関して駿台の解答速報担当であった古大工晴彦先生は早くからこのミスを指摘してきたが、試験から一年近く経ってようやく阪大がミスを認め、センター試験一週間前にもかかわらず前年度の入試で30人(工学部19人、理学部4人、医学部2人、薬学部2人、基礎工学部2人、歯学部1人)もの追加合格者が出ることになった。
- これは他の大学ではあまりなされていない、解答を公表していることから起こったことであり、このほかにも設問意図などを公表していたことを踏まえると、受験生の事を考えている大学だと言える。
- さらにこの1ヶ月後、京大でも2017年度の入試で物理に出題ミスがあったことを認め、こちらでも追加合格者が出る事態となった。
- この件に関して駿台の解答速報担当であった古大工晴彦先生は早くからこのミスを指摘してきたが、試験から一年近く経ってようやく阪大がミスを認め、センター試験一週間前にもかかわらず前年度の入試で30人(工学部19人、理学部4人、医学部2人、薬学部2人、基礎工学部2人、歯学部1人)もの追加合格者が出ることになった。
- なお、河合塾英語科講師で「進学塾ビッグバン」代表でもある松原好之先生は、「東大、京大は、努力だけではどうしても合格できない面がありますが、大阪大学以下なら努力すれば合格できる、というのが受験業界の不文律です。」*1と述べているが、ちょっと阪大をナメすぎである。
概要
生物
- 私も大学の教員として入試問題を作るので高校生の教科書を見ますが、「今はこんなことまで教えるのか」と感心します。あれを覚える学生は大変だなというのが率直な印象ですね。実際、生物を選択する受験生は激減しています。覚えることが多すぎて、どうも敬遠されてしまうようです。大阪大学医学部の新入生も、入試で生物を選択した人は少ないです。個人的には、高校では知識を犠牲にしても、発見のプロセスを教えた方がいいのではないかなと思います。
(吉森保 元大阪大学大学院生命機能研究科・医学系研究科 教授)