代々木ゼミナール のバックアップ(No.8)
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- 代々木ゼミナール へ行く。
- 1 (2021-03-13 (土) 07:29:22)
- 2 (2021-03-16 (火) 03:05:19)
- 3 (2021-03-16 (火) 04:12:51)
- 4 (2021-03-16 (火) 23:45:51)
- 5 (2021-03-17 (水) 09:31:01)
- 6 (2021-03-17 (水) 22:01:08)
- 7 (2021-03-18 (木) 03:04:17)
- 8 (2021-03-23 (火) 03:36:53)
- 9 (2021-03-28 (日) 11:18:31)
- 10 (2021-05-10 (月) 22:21:43)
- 11 (2021-09-22 (水) 01:06:41)
- 12 (2022-02-09 (水) 20:23:47)
- 13 (2022-02-12 (土) 11:49:53)
- 14 (2023-12-02 (土) 14:30:33)
- 15 (2023-12-13 (水) 17:11:13)
- 16 (2023-12-14 (木) 04:08:25)
- 17 (2024-01-30 (火) 17:55:43)
- キャッチフレーズは、「志望校が母校になる。」
「第一志望」と書いていないのがミソ。
概要
- 1953年(1957年?)、文京予備校を母体に不二学院が開設される。
- 創設は1957年4月30日ともされるが、初代理事長の高宮行男氏が、義父に当たる増田商事社長増田亀吉氏から不二学院を乗っ取ったため曖昧である。
- 1959年、学校法人高宮学園を設立。
- 1961年、代々木ゼミナールと改称。
- 隣接する1937年創立の老舗予備校「代々木学院」の生徒を取り込むためだったと言われている。
- ネットで散見される「『代々木学院』も吸収して」という記述は、「『代々木学院』の生徒を吸収する意図で」*1を誤読した誤りである。
- 駿台・河合塾と合わせて三大予備校の一角を形成し、一時は駿台や河合塾を凌ぐ人気を誇った。
- 少子化の影響で校舎整理を行い、2014年度末に全国の27校舎の内、20校舎を閉鎖して、駿台に一部校舎(津田沼校、浜松校)を売却した。
特徴
- 駿台、河合塾と並び三大予備校と呼ばれていた。
- 現在では、強いて三大を挙げるなら、駿台・河合塾・東進になるだろう。
- キャッチフレーズは「日々是決戦」「親身の指導」「志望校が母校になる。」など。
- 学費が比較的高いことから、「代々木ゼニトール」「日々是決算」「親身の集金」「銭身の指導」などと揶揄されていた。
- 伝統的に私大文系に強い。
- 代ゼミが調子のよかった時代は、バブル期を含み、大学進学者数が多かった時代で、代ゼミは私文志望の学生に特に強かったといわれている。
- バブル期以前から私文に強かった。
- (あらゆる意味で偏見以外の何物でもないが)遊んでばかりの私文志望みたいなのが多い(昔のことばでいえばDQNな奴が多い)というイメージで語られることが多かった。
- たとえば、「代ゼミとは、駿台と犬猿の仲であるキョロ充生産機のこと」といった言われ方をする。
- 現在の駿台にひきつけていえば、フロホ民が大量にいる的なイメージだろう。
- 代ゼミが調子のよかった時代は、バブル期を含み、大学進学者数が多かった時代で、代ゼミは私文志望の学生に特に強かったといわれている。
- 本科(大学受験科)より単科ゼミに力を入れている。
- 全盛期は人気講師のオリジナルゼミも数多くあった。
- 私大文系の生徒は午後に空きコマが多かったため、この時間帯に人気講師のオリジナル講座を中心とした単科ゼミが開講されており、その充実ぶりは他の予備校を圧倒するものであった。一コマ単位で選択できるため、授業の少ない私大コースの生徒や宅浪生、現役生に人気で、この単科ゼミへの生徒の動員力が人気講師のバロメーターであった。
- 単科ゼミや講習会に設定されるオリジナル講座において人気講師がめいめいのテキストに付する付録の量やテキストの厚さそのもので熾烈な争いを繰り広げていた。
- 特定の講師に対する信者も多く、推し講師の方法論や解法テクニックの正当性をめぐる信者間の対立や「〇〇先生のやり方は〇〇先生のやり方のパクリだ」みたいな論戦が日々ネットで繰り広げられていた。それをけしかける講師もいた。
- あまり人気のない講師の信者はマニアとも言われた。
- 奨学金(スカラシップ)制度があり、成績に応じて学費が割引きとなる。
- 特待生制度は1992年度に三大予備校の話し合いでいったん、中止されたことがある。
- 現在でも、上位校の浪人生の中には授業料が最初から半額程度になる者もおり、とにかく生徒を確保したいという意思が見えるという声も。
- この手法も現在では東進がさかんに用いている。
- 家計にやさしい、金銭的にめぐまれない人へのフォローが手厚いということにもなるのかもしれない。好意的に触れる講師も。
- かつては、全額免除の特待生を濫発していた(タダ券と呼ばれていた)。
- 特に有名進学校生は模試を受けたり、センター試験のデータリサーチを出したりするだけでタダ券が来た。
- ただし、選抜試験のみで全額免除の特待生になるのはかなり難しかった。
- 関東では、駿台生が代ゼミにも籍だけ置いて、現代文の堀木博礼先生、化学の大西憲昇先生(のち、宇野正明先生)、生物の中嶋寛先生、地理の武井正信先生(のち、息子の武井明信先生)などだけ選んで出るという贅沢なことをしていた。
- 開設当初の駿台名古屋校の本科生の半分は代ゼミにも籍を置いていると言われていた。
- 他予備校に先駆けて様々なシステムを導入した。
- 1990年代前半に、衛星講座(サテラインゼミ)を導入し、講座数、受講生とも、駿台、河合塾を大きく引き離し大成功を収めた。実は人件費削減のためである。ただし、単科ゼミにおいて本科生は受講料が半額となる制度がさてラインゼミには適用されなかったため、相応に資本を投下していたようである。
- 地方校の生徒には首都圏の人気講師の授業を地元で受講できるとあって、大好評であり、地元講師の講座よりもサテラインゼミの方が活況であったほど。人件費削減のために衛星授業を開始した。
- 開設当初は教室の授業を通信衛星経由でリアルタイムで各校舎の専用教室に中継する形式をとっていた。中継に使用される代々木本校の教室の一つは350人収容の代ゼミ最大規模の教室であった。
- 各校舎には全校舎のサテラインゼミ(単科、講習会)の締め切り状況が掲示され、西谷氏や吉野氏など超人気講師は全校舎で教室増設→締め切りとなり、代々木地区では原宿、千駄ヶ谷、代々木本校に受信教室が設置されるなど、ほとんどお祭り騒ぎであった。
- 当初1チャンネルで運用開始したが、最終的には4チャンネルにまで増強し、4授業を同時中継可能とした。必修科目全授業をサテラインゼミで受講するコースも開設され、こちらも好評であった。
- 映像授業の質が高く、音声や画質もはっきりいって、大手予備校の中ではトップである。
- 映像は一般教室の天井に設置されたカメラによって収録されていたが、講師にカメラを過度に意識させることなく教室の生徒に普通に授業する様子を、複数台のカメラをリアルタイムで遠隔操作して無編集で同時中継していた。その割にサテライン教室においても板書が取りにくいなどということがなく、教室の授業の臨場感そのままに放映されていた。このようなことから、サテラインゼミが高度な映像技術によって支えられていたことが推察される。他予備校の映像授業が打ち合わせありでスタジオ収録に特化していたことを考えると、映像授業においては他の追随を許さぬものであったと言える。
- なお、駿台の映像授業は画質が悪いことで有名。
- 1990年代前半に、衛星講座(サテラインゼミ)を導入し、講座数、受講生とも、駿台、河合塾を大きく引き離し大成功を収めた。実は人件費削減のためである。ただし、単科ゼミにおいて本科生は受講料が半額となる制度がさてラインゼミには適用されなかったため、相応に資本を投下していたようである。
- 大学入試対策のフランス語・ドイツ語講座、美大対策講座(造形学校・横浜アトリエ)や大検対策講座(バイパススクール)、帰国子女対象講座、資格試験講座(ライセンススクール)などを、他に先駆けて開講していた。
- 駿台や河合塾とくらべても、間口が広いというか、多角的な学校運営をしていた。
- 各校舎に、かつては代々木ライブラリーという併設書店があった。
- 今でも、本部校は設備が充実しており、予備校としては珍しく、食堂や寮がある。
- 浪人生の一部の本科生コースでは、生徒自身が講師やテキストのレベルを決めることができる(通称オリカリコース)。
- ただし、その分、講師と学生の距離が近く、「親身の指導」(代ゼミの各教室にはってあるキャッチコピー)をうけやすい環境になっている、とはいえるだろう。
- 生徒数が少ないことのメリットは、自習室が満席になることはなく使いたい時にいつでも安心して使えることや席どりする必要はないことがあげられる。
- 最近では、駿台、ベネッセコーポレーションとともに文部科学省が提唱する「英語4技能」の育成を共同で推進していくことを発表したことで話題になった。ベネッセコーポレーションが運営する英語検定試験「GTEC CBT」を活用したサービス提供を開始するとのこと。
- 代々木ゼミナールと駿台予備学校、大手予備校としては初めて2021 年度の「早大入試プレ」「慶大入試プレ」における連携強化を発表した。
- 代々⽊ゼミナールを運営する学校法⼈⾼宮学園(本部:東京都渋⾕区,以下:代々⽊ゼミナール)、駿台予備学校を運営する学校法⼈駿河台学園(本部:東京都千代⽥区,以下:駿台予備学校)は、代々⽊ゼミナールが提供する「早⼤⼊試プレ」および「慶⼤⼊試プレ」の共催をはじめ、早慶⼤対策において連携を推し進める。
- 2008年に本部校代ゼミタワーを建て、隆盛を極めるかに思われたが、翌年のカリスマ経営者だった高宮行男氏の死後、急速に失速していった。
- 規模縮小決定後、人気講師の一人だった英語科西きょうじ先生は東進に
脱走移籍したものの、「講師の代ゼミ」と言われただけあって、東大受験生に絶大な人気を誇った富田一彦先生、接点tこと荻野暢也先生、物理科為近和彦先生、化学科亀田和久先生等個性派有名講師が多い。
- YouTubeなどで検索をかければ一部の講師の講義の様子が視聴できる。
- トップ講師は残ったものの、人気的には中堅講師だった物理科鈴木誠治先生や化学科松浦克行先生などの実力講師は退職し、層はかなり薄くなった。
- なお、吉野敬介先生は代ゼミ退職後、ブランクがあってからの移籍、西きょうじ先生は規模縮小決定後の移籍であり、東進に有名講師を引き抜かれたから代ゼミが弱体化したというのは誤った認識である。
- 一部では「潰れた予備校」と馬鹿にされる。山下幸久先生もといY下先生が「Yから始まるセミみたいな予備校」と揶揄する。
- 在校生の男女比率に関して、女子の割合が極端に少なく、ほぼ男子校状態だという。
- 過疎化が進んでいるのが現状で、自習室等はいつもスカスカなのだとか。
代ゼミショック
https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/6642/
- 2014年度末(2015年3月)、生徒数の減少を受けて校舎整理を行い、全国の校舎の7割が閉鎖された(全国にある24校舎を6校舎へ縮小した)。
- 存続校舎は、本部校(東京・代々木)・札幌校・新潟校・名古屋校・大阪南校(難波)・福岡校の6校舎+造形学校(東京・原宿)の直営7校舎+立川北口受験プラザ。
- 2014年度開設の立川北口受験プラザも存続していたが、2020?年度で閉鎖した模様。
- 閉鎖校舎は、仙台校・高崎校・大宮校・柏校・津田沼校・池袋校・立川校・町田校・横浜校・湘南キャンパス(大船)・浜松校・大阪校(吹田)・京都校・神戸校・広島校・岡山校・小倉校・熊本校の18校舎+横浜アトリエ+大阪造形専門学校(大阪南校芸大美大受験コース)。
- それにあわせて全国模試やセンターリサーチ、大学別模試のほとんども廃止した。
- なぜ代ゼミだけがここまで凋落したのか原因はさだかではない。
- 新聞や雑誌では少子化の影響だと書かれることが多かった。代ゼミ失墜のもっとも大きい要因が少子化であるのは間違いないだろう。が、同じ条件下でも駿台や河合塾、東進は問題なく経営を続けているので、何か他に要因があるのも間違いないだろう。ほとんどの記事は少子化を原因とした無難な記述に終始していたので、一部には不満の声も。
- 一説には、駿台、河合塾とは違い、メイン事業が教育事業から不動産業にシフトしてたらしく、予備校経営は採算が取れなくなったことから縮小したという見方もされており、母体自体に体力がなくなったわけではないようだ。
- 少子化以外の要因としては、現役生を軽視し高卒生に重きを置き過ぎたこと、世の中の理系進学志向・国公立志向に私文に強かった代ゼミが対応しきれなかったこと、講師のタレント化をあまりに追及した結果学生からかえって軽んじられたこと、などなど様々なことがいわれているが、どれも噂話の域を出ず、真相はわからない。
- 授業料免除を乱発したことが経営悪化の一因とも言われる。この点、駿台は安心である(安心なのか?)。
- 報道される過程で、当時あった代ゼミ仙台校の生徒在籍数がさりげなく公表されていたのだが、その大きな箱にみあわない在籍数のあまりのすくなさ・凋落ぶりにショックを受けた業界関係者は多かったらしい。もっとも、仙台は代ゼミ進出前から地元にあった予備校が強かったで、凋落という表現は不適切かもしれない。
- 校舎閉鎖にあわせて少なくない講師は移籍を余儀なくされたようだが、英語の富田一彦氏、数学の荻野暢也氏、物理の為近和彦氏、公民の畠山創氏・蔭山克秀氏らをはじめとする人気・実力講師の多くは今でも在籍している。
- 彼らが退職する時が、本当の意味での代ゼミの終焉になるのだろう。彼らの授業の様子は参考書などでもうかがい知ることができ、クオリティが高いものも多い。
- 少子化や制度改革の影響で予備校経営の厳しさが増していくことがまことしやかにささやかれ続けており、代ゼミだけでなく他予備校が苦境に陥るのも時間の問題かもしれない・もって他山の石としなければという意識の業界関係者は当時から多かった。
- なお、当時代ゼミがもっていた校舎は、貸し会議室やホテルへの転用、各種教育機関への売却にまわされることが多かった。
- 予め会議室やホテルに改装できるように設計されていたため校舎を閉鎖しても転用が容易であり、経営を維持できているとも言われている。(ホテルの代ゼミ)
- その意味では先見の明があったと言える。
- 関西圏では難波の大阪南校のみが残り、1987年開校の江坂にある大阪校も潰れた(閉鎖後もしばらくは御堂筋線から大きなパラボラアンテナが特徴的な大阪校の建物は見えていたが2016年秋頃から解体工事が始まり、2017年の11月に解体が完了した。)
- これに伴って多くの講師が戦力外通告を受けることになった。駿台への移籍を試みた講師も多いらしいが・・・
講師
- 事業縮小決定後に半化通の評論家気取りが、私文系に特化していただの世代交代が上手く行かなかっただの的外れの論評をしていた*1が、実際には昔から国立系や理系にも優れた講師は多く、事業縮小決定のかなり前から長老講師は退職して世代交代していた。
- 昭和の時代に「大学受験ラジオ講座」で名が知られていた講師に出講してもらったりしていた。
- 一般には、佐藤忠志先生、土屋博映先生、西谷昇二先生など私大文系の先生が有名だったが、潮田五郎先生、堀木博禮先生、国広功先生など国立系の実力派講師もいらっしゃった。
- 駿台生に大人気の講師達もいらっしゃった。
- 現代文の堀木博禮先生(後、笹井厚志先生)、化学の大西憲昇(後、宇野正明先生)、生物の中嶋寛先生、地理の武井正明先生(後、武井明信先生)など。
- 代ゼミの特待生濫発を利用して、これらの講義だけ駿台生が
当時の駿台の弱点を補うために大挙して受けていた。
講師(元駿台)
- 1999年に駿台から5人もの人気講師が大量移籍して話題となったことがある。
兼任講師(駿台講師)
- 英語科:青山真也先生
- 数学科:阿部茂先生(退職)、箕輪浩嗣先生(名古屋校)、野崎翔太先生(本部校・立川北口受験プラザ)、
- 漢文科:大角哲也先生(退職)、
- 化学科:佐藤稔智先生
- 生物科:﨑村奈央先生(福岡校)
元講師(駿台講師)
前述の通り、大挙して駿台の採用試験を受けた割には少ない。
模擬試験
- 全国模試や大学別模試のほとんども廃止した。
- 駿台のマーク模試で使われるリスニングのICプレーヤーにこの予備校の名前が入っている。お察し。
出版部門
- 代々木ライブラリー&;という出版部門もある。
- 講師の個性を強く押し出していたため、オーソドックスな定番となるものは少なかった。
- 『前田の物理』のようなロングセラーや、山本矩一郎先生の一連の著作など今でもプレミアが付いて根強い人気の物もある。
- 中には名著もあるが、長らく改訂しておらず情報が古かったり現代の受験状況に合っていなかったりというものも少なくない。
- 最近は新たな出版自体が少なく、白本を含めあまり有用と言える参考書は少ない。
- 人気講師はここからではなく他出版社からの出版も多い。
センターリサーチ
- 廃止。
- 特待生狙いで、超高得点の虚偽申告を行う者が多かった。
- そのためか、センターリサーチの得点のみで特待生になる(タダ券が送られてくる)ことはなくなった。
系列
- 関東を中心に展開する中学受験の進学塾SAPIXを傘下に入れている。
- ちなみに、四谷大塚はナガセ、鉄緑会はベネッセコーポレーションの傘下である。