河合塾 のバックアップ(No.25)
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- 河合塾 へ行く。
- 1 (2021-03-13 (土) 07:25:37)
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- 14 (2023-01-09 (月) 17:46:14)
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- 27 (2023-09-07 (木) 08:39:55)
- 28 (2023-09-07 (木) 09:43:00)
- 29 (2023-09-07 (木) 13:35:41)
- 30 (2023-09-08 (金) 09:45:29)
- 31 (2023-11-10 (金) 14:14:59)
- 32 (2023-12-12 (火) 09:03:06)
- 33 (2024-02-07 (水) 01:40:21)
- 34 (2024-05-20 (月) 15:36:26)
- 35 (2024-10-18 (金) 23:11:01)
河合塾(かわいじゅく)は、愛知県名古屋市を本拠とする日本の大手予備校、および同予備校(専修学校・各種学校)を運営する学校法人。
代々木ゼミナール、駿台予備学校と並ぶ三大予備校の一つである。また河合塾の模試は全国統一模試(全統模試)などが有名である。「机の河合」と呼ばれることがある。キャッチコピーは、「すべては一人ひとりの生徒のために」。塾訓は、「汝自らを求めよ」。
URL:https://www.kawai-juku.ac.jp
概要
- 1933年11月5日、旧制五高・名古屋高商の教授を歴任した河合逸治(元・中京高等予備学校講師)が私塾「河合英学塾」を創設。
- 1937年に名古屋市に桜山校を開校した年に「河合英学塾」から「河合塾」と改称。
- 1942年4月1日に愛知県から設置認可を受けて各種学校「河合高等補習学校」(定員550名)と改称。
- 1944年3月31日を以て廃校。
- 校舎は名古屋市に貸与され,名古屋市立女子医学専門学校の新設に充てられた。
- 1947年に私塾「河合塾」として再興。
- 1948年、再び愛知県から認可を受けて各種学校「河合高等補習学校」と改称。
- 1955年3月14日、愛知県から学校法人河合塾の設立認可(学校名は変更なし、理事長:河合逸治)。
- 1955~74年にかけて、法人名は「河合塾」、学校名は「河合高等補習学校」という時期が続いた。
- 1958年、大蔵省(当時)から非課税校として認可を受ける。
- 1971年、夜間部補習科を「グリーンコース」と改称。
特徴
- 元々は名古屋のローカル英語塾。
- 「学者が大学受験の為の英語を生徒に教える」と言う点で見れば、駿台と河合塾のルーツは極めて似ている。
- 駿台がライバル視する数少ない予備校。
- 駿台をライバル視している塾(予備校)。
- 名古屋を本拠地に駿台と長年、仁義なき戦いを繰り広げている。
- キャッチコピーは「すべては一人ひとりの生徒のために」。
- 駿台のキャッチコピー「第一志望は、ゆずれない。」に対し、こちらはこれと言って決まったキャッチコピーはない。
- 「ひとつ上が見えてくる 河合塾」が一時的に流行ったことがある。
- センター試験翌日の新聞に載る、「自分の夢まで、自己採点しないでください」が最近だと有名か。
- なかなかよい言葉である。
実情は知らないが。
- なかなかよい言葉である。
- 本拠地は名古屋にある。
- 記念すべき第1校は名古屋市昭和区桜山で始めた桜山校で、桜山には今でもオフィスがある。
- 本部は名駅校ではなく千種校(千種キャンパスとも呼ばれ、河合塾の本部が置かれている)。
- 2021年4月に、名駅キャンパス名駅校*1(東大・京大館/医進館)と名駅キャンパス名古屋校*2が統合され、JR名古屋駅西側の結婚式場「ザ・グランドティアラ名古屋駅前」跡に、新たに
「(仮称)河合塾新名駅キャンパス計画」“名駅校”(東大京大医進館/名大難関進学館)として開校した。
- 共通一次試験開始と、当時、名古屋のローカル予備校に過ぎなかった河合塾の東京進出(駒場校開校)が「予備校戦争」の発端といわれる。
- 現在では全国に多数の校舎を展開している。
- 河合塾津田沼校は駿台津田沼校のすぐ近くにある。
ケンカを売りに行ってるのであろう
- 1984年に大阪校が開校した。
- 駿台のEXクラスと双璧をなすと言われるエクシードコースが設置されている。
- 札幌では地元の老舗予備校・札幌予備学院を吸収、仙台では地元の老舗予備校・文理予備校と提携した。
- 駿台の講師やクラス担任はよくここの予備校を「K塾」と呼ぶ
- ただし、化学科の山本心也先生はpretty塾(←かわい(い)塾)と呼ぶ。
- 某武田塾(笑)からは「良い高校」と評価されている。
- 机が一人一人独立した学校机で、「机の河合」の異名を持つ。
- 椅子も駿台のものよりは座り心地が良く疲れにくい。
- テキスト編集や模擬試験製作の会議は、四大予備校の中で最も念入りに行われていると思われる。
- 浪人生は土曜日にある特別講座などで解いた問題を担当講師本人が添削してくれ、普段でも添削を頼めば講師本人に添削して頂ける。勿論タダ。
- 運動会があったりして、比較的学生同士の仲が良い。
- サッカー部があるらしい。
- ちなみに関東地区、近畿地区、その他の地域でそれぞれwikiが存在する。
- 河合塾wikiは当wikiに対抗意識があるらしく、河合塾講師自らツイッターで河合塾wikiの編集を呼びかけている。
- 関東地区のwikiは廃止された。
- 中部地区のwikiは、関東地区のwikiが廃止されたことを契機に、非近畿地区wikiとなり、充実さが以前より増した(札幌や仙台、関東、広島、九州地区の情報を閲覧できるようになった)。
→http://kawaijuku.wiki.fc2.com/ - 近畿地区のwikiは非常に充実している。
→http://kawaikinki.wiki.fc2.com/
授業
- 授業時間が90分であることが駿台との最大の違い。
- 実際の入試や大学の講義は80分~180分が殆どなので、日頃から長時間集中に慣れておきたい人は河合塾にすれば良いし、学校のように50分が良かったり、90分は集中力がもたないと思ったら駿台で良いだろう。
- もっとも駿台が50分を1コマにしているのは脳科学的に1時間以上集中力は持たないことが示されているためである。
- ただ大学の講義では(特に教養課程)1コマを90分以上に取っている所が多く、駿台に行く人も大学入学後のことも見据えて90分以上耐えられる集中力を持ち合わせておく方が良い。
- 実際の入試や大学の講義は80分~180分が殆どなので、日頃から長時間集中に慣れておきたい人は河合塾にすれば良いし、学校のように50分が良かったり、90分は集中力がもたないと思ったら駿台で良いだろう。
- 90分授業ゆえ、途中で雑談を挟む講師が多い。
- 駿台と授業時間が違うので、駿台兼任の講師の中には駿台とはやや授業スタイルを変える講師もいる。
- 前期・後期をそれぞれ基礎シリーズ・完成シリーズと呼ぶ。
- 授業プリントの配布は駿台より自由である(代々木ゼミナールは禁止)。
- ただ、経費削減のため、わら半紙が使われていたりする。
- 教科にもよるが、駿台とは基本的に異なる方針を取ることがある。
テキスト
- 癖のないオーソドックスなテキストが多い。
- 解説編のテキストやサブテキストはよくまとまっている。
- 塾生はテキストを塾生にしか通じない略称で呼ぶ
ので、塾外生が聞くと少しイラッとする。
講座
- 講習会でオリジナル講座はほとんどない。
- 1987年度に代々木ゼミナールから移籍した古藤晃先生、芦川進一先生の提唱で「公開単科ゼミ」が設置された。
- 伝統的に高校生対象の「高校グリーンコース」に力を入れている。
- かつて、駿台の現代文・地理が弱点と言われていた時代は、関西駿台生も河合塾の講習『東大現代文』(大川邦夫先生)、『東大地理』(岡本耕平先生)などを受講して自主的に弱点を補っていた。
同様に生物も弱点と言われていたが、関西地区は河合も代ゼミも生物はイマイチであった。
講師
- 基本的に講師の質、知名度は(一部を除き)駿台に比べるとやや劣る。
- 性同一性障害をカミングアウトしたしぎょういつみ氏をはじめとして、髪型、服装など講師の外見は最も自由である。駿台もかなり自由な部類ではあるが。
- 全国的な有名講師には、東進兼任の物理の苑田尚之先生(慶応医学部や医科歯科、横市の物理と担当しているので直前はお勧め)、元・東進兼任で「はじめからていねいに」で有名な化学の岡野雅司先生(元・研数学館)、「実況中継」で有名になった日本史の石川晶康先生、世界史の青木裕司先生(元水城学園)などがいらっしゃる。他にも、センター化学実況中継で有名だった東大教授に直に文句も言える化学の小川裕司先生、医進専門の毒舌魔髙木賀正先生(慶応医学部や横市の化学を担当しており河合の医進関係の化学に責任者なのでおすすめ)など、駿台に負けない分野の先生もいらっしゃる。
- 『実況中継シリーズ』を菅野祐孝先生(元武蔵予備校、元代々木ゼミナール)から引き継いで有名になった日本史科の大御所、石川晶康先生がいらっしゃる。
本が有名なだけで中身は話が眠いおじさんであることは内緒。(元河合塾生徒より)
- 「ネプリーグ」でお馴染みの、地理のパクリ疑惑のある東進の村瀬哲史先生は、河合塾大阪校→東進→学研グループ→東進で、全国区ではある。
- 全国区ではないものの、近畿地区化学科には、関西で石川正明師と人気を二分する重鎮大西正浩先生がいる。
元駿台
兼任講師(駿台)
- 沖暢夫師、太庸吉師、相川雅昭師、國兼欣士郎師、平野剛士師、樹葉瑛士師、東康介師、村中和之師
など。
- 西村明先生、松本紀美子先生、山岸泰道先生、池谷哲先生、津田勇一先生、中井照美先生など。
元講師
現・駿台
- 雲孝夫(元兼任)、渡辺幹雄、宇野仙
- 西敬三(元兼任)
他予備校
- 齋藤慶介(化学、中部地区)
- 公開単科も持っていた。
- 代々木ゼミナールを経て、進学塾ビッグバン~うめだ理数研セミナー(旧・理数研セミナー梅田校)。
- 長井敏弘(数学、広島校)
- 田部眞哉(生物、元・研数学館)
- 公開単科「パワフル生物」も持っていた。
- 1997年度に東進に引き抜かれた。
- 志田晶(数学科、中部地区。元・駿台名古屋校兼任、現・東進)
引退
- かつては、元ENAの奥田猛先生、1984年に大学共通第1次学力試験(共通一次,現在の大学入試センター試験の前身)の国語(現代国語)の問題文を的中させて、時代の寵児となった牧野剛先生(75年河合塾入り)、東大現代文を的中させた大川邦夫先生、東大地理の第一人者、権田雅幸先生などがいた。
- 土師政雄師(代々木ゼミナール、駿台兼任)、斎藤雅久(駿台兼任)
模擬試験
- 「大学入試全国統一模擬試験(全統模試)」と呼ばれる模擬試験
を実施している。
- 1972年に「全国進学情報センター」設立して、全国統一模試(全統模試)開始。
- 元々、駿台高等予備校(当時)の駿台模試と提携していたが、1970年に、従来の「大学入試中部模擬試験」(中部模試)を実質的に全国展開させる形で「大学入試連合模擬試験」(連合模試)を創設した。
- さらに1972年に「全国進学情報センター」を組織して、「大学入試全国統一模擬試験」(全統模試)を実施した。
出版部門
河合出版(元・進学研究社)という出版部門がある。
- 1974年 - 出版事業開始。
- 1983年 - 「株式会社河合塾進学研究社」設立。
- 1989年9月13日 - 「株式会社河合出版」設立。
- 学習参考書出版部として「河合出版」(旧・進学研究社)を運営している。
- 総じて書籍のクオリティは高く、解説の丁寧さに定評がある。
- 反面、参考書系の書籍の評価は他社のものに一歩譲るか(要出典)。
- 駿台文庫のような高度なアカデミック性や玄学趣味はあまりない。
- 大学入試センター試験(大学入学共通テスト)の過去問集である過去問レビューと全統マーク模試の過去問等が掲載されたマーク式総合問題集(通称「黒本」)と特定大入試オープンの過去問集である入試攻略問題集(通称「紫本」)は、教学社の「赤本」、駿台文庫の「青本」、代々木ライブラリー(日本入試センター)の「白本」、Z会またはナガセ(東進ブックス)の「緑本」と並びよく知られている。
- かつては、駿台文庫から出る参考書のような学術書に近い書籍(「理系 化学精説」,「日本史精説」「世界史要説」など)も多く出版されていたが、2010年代ではその様な内容の本は「理論物理への道標」や「医学部進学のための特別講座 医学・医療概説」程度に留まっている。
- かつては、『新英語構文282』や、『理系の化学』に対抗して出版された『理系 化学精説』など、駿台講師も推薦する参考書があり、駿台生にも人気があった。
- 今でも『物理教室』や『名問の森』を勧める駿台講師もいる。
河合塾が嫌いな駿台講師陣の発言集
- 竹岡広信先生:「関係『代名詞』!代名詞だよね?駿台予備『学校』!学校だよね?河合『塾』!所詮塾だよね?東進ハイスクール?株式会社だよね?代々木『ゼミナール』!もう意味分からんね?」「(授業中廊下で騒いでいる生徒に)授業中は静かにしましょうここは河合塾ではありません」「『(冬のセンター英語』で)なんで40%も間違ってる人がいるの?竹岡の授業を妨害しにきた河合塾の回し者か!」
- 箕輪浩嗣先生:「みんなが駿台を選んでくれたのは河合に幻滅してるからですよねー!?」
- 瀬古啓希先生:(最前列の生徒がペンケースを落とし中身を散乱させてしまう。その生徒は河合塾が配布してるミニ消しを持っていた。それを見て・・・)「ペンケースが落ちたのってこのミニ消しのせいじゃないですかね?配ってくれるのは有難いけども(笑)」
- 田中暢夫先生:(名古屋校でのコメント。名古屋駅前の河合塾は名古屋駅を隔てて駿台の反対側に建っている)「河合は駿台側のホームにも広告出さないと塾生来ませんからね。駿台はそんなみみっちいとこじゃないですけども。」
- 植葉大先生:(福岡校でのコメント)「河合塾福岡校は、窓ガラスしか特徴がありませんからね」
- 小泉徹先生「俺はかつて河合の講習にウチ(駿台)所属のインフル患者を送り込もうとした事がある!!」
- 二宮加美先生:(敬語の並び順で)「K(謙譲語)S(尊敬語)T(丁寧語)で河合(K)最(S)低(T)です。」
- みえトリオの先生方は河合→駿台→東進であることと比較すると師の河合嫌いが際立つ。
- 三森司先生:「場合分けをしない誤魔化しの解答をして、1つ間違えたら0点になる。そんな答案は是非とも河合塾がやれば良いんだよ。」
- なお、師は河合塾の元同僚が書いた河合出版から出ている本を、数学の参考書でほぼ唯一勧めることもある。嫌いというほどではないのかもしれない。
参考文献
- 三上敦史(2010).「受験情報誌『栄冠をめざして』の研究―1966〜83年の河合塾が高等学校に伝えた受験情報―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (59), pp.113-122, 2010-03, 愛知教育大学.
- 三上敦史(2012).「「学力コンクール」の時代(1946−70)一大学入試の模擬試験を実施した学生団体の歴史一」, 『日本の教育史学』, 55 (0), pp.58-71, 2012, 教育史学会.
- 三上敦史(2013).「河合塾による「全統模試」の創設―模試を通した新しい情報戦略の展開―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (62), pp.131-137, 2013-03-01, 愛知教育大学.
- 三上敦史(2014).「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), 2014-02, 北海道教育大学.
*1 1956年開校。1984年リニューアル。18号館名駅校と呼ばれていた。2021年2月8日閉鎖。
*2 旧納屋橋校の機能を引き継ぐ形で1974年に開校。16号館名古屋校と呼ばれ、名古屋・名駅地区の主力校舎だったが、2012年、名古屋駅前に新築移転した(新・名古屋校)。9年後の2021年2月に名駅キャンパス名駅校との移転統合に伴い閉鎖。跡地はリニア中央新幹線名古屋駅の建設予定地になっている。
*3 三上敦史(2014).「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), 2014-02, 北海道教育大学.
*4 「朝日新聞」1989年4月25日付。なお,駒場校と同時に豊橋校も開設したが,こちらは話題とならず。
*5 三上敦史(2014)「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), p.257, 2014-02, 北海道教育大学.
*6 三上敦史(2013)「河合塾による『全統模試』の創設―模試を通した新しい情報戦略の展開―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (62), p.132, 2013-03-01, 愛知教育大学.
*7 元代々木ゼミナール講師。河合塾には1987-2016年度在職。2018年逝去。
*8 三上敦史(2014)「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), p.252, 2014-02.